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みょうじなまえは沈んでいた。言葉通り、沈んでいた。びっくりするくらい項垂れて、もう何日になるかわからない。部屋は黄色の遮光カーテンで日の光が遮られて、昼間なのにやけに暗い。毎日何時間もかけて綺麗にセットしていた髪も、今やぼさぼさ、無残で見る影もない。目の下にはまっくろなクマができており、もうご飯もろくに食べていないのかその頬はこけていた。もしかしたら顔も洗っていないのかもしれない、やたらと顔色の悪い顔が見える。ふかふかの毛布にくるまって、自室の布団の上を占領し続けてはや数日。ピンポーン、と。今日も階下で間抜けなチャイム音が聞こえる。

「おーい、なまえー、いるんだろー。開けろよー。」

間抜けなチャイムの後は、同様にひどく間の抜けた若い男の声がした。彼はなまえのいわゆる幼馴染で、そして同じ高校で、なおかつクラスメートだ。そんな彼をなまえが無視し続けてどれくらい経つだろうか。それでも毎日彼は彼女の家にやってくる。というのも、彼女の家は彼の家の斜め前にあるからで、なまえはその行為にそれ以上もそれ以下も意味を求めていない。そしてもちろん彼もそうなのだと、なまえは思っている。

小さなころから、なまえは彼の――水谷文貴のやっている野球の練習についていっていた。なまえの両親は二人とも多忙で、昔からよく水谷家に預けらていたからである。泣き虫な文貴が野球のときだけは真剣な目をするのは面白くもあり、なんだか寂しくもあった。昔から、そうやって、ずっと一緒にいたのだ。

ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん、と、階下ではチャイムが鳴り響いている。文貴もやけになったのか、なんだか音に規則性が付きだした。こういうくだらないことが彼女のツボにはまることを、彼はよく知っていた。ともかくこんなにメロディーをつけられてチャイムを押されてはたまらない。彼女はようやくのっそりと階下に降りて、鍵を開けた。

「…」
「…なによ、うるさい、チャイム押すな、馬鹿」
「あけてくれると思わなかった」
「あれだけチャイム押されたら開けるわ」
「…ごめん、でも…あけてくれるとは思わなかった」
「それさっき聞いた。なに?プリント?先生からの課題とかでしょ」
「うん、まあそうだけど、なまえ」
「…なによ」
「痩せたなあ、なんか一気に。しかもお前、髪ぼっさぼさだし」
「うるっさいなあ、ほら、渡して。帰るなら帰れ。」
「わあ、あ、あがりますあがります」

文貴はよれよれのYシャツの襟を何故だか正しながら、あわててなまえの家の玄関口で靴を脱いだ。そういえば玄関に来たのなんて久しぶりだ、となまえは思った。冷たい床が気持ちいい。とりあえず自分の部屋に案内することにした。汚いだろうけどたかが文貴だ、そんな気を使う必要なんてないと考えたのだ。

「う、わ。暗ェ…」
「…帰りたいの?」
「ごめ、ごめんってェ」
「…」
「…」
「…」
「なあ、なまえ…学校来いよ」
「…」
「みんな心配してる。」
「…」
「あ、でも阿部は怒ってたかな、みょうじ、学校来たらボコす!ってさあ…そんときの阿部ってばおかしくてさァ…」

にへらとひどく間の抜けた笑みで、目の前の男は笑う。なまえは急に自分の胸を押さえた。目線は下を向いたままだ、文貴と合わせる気はないらしい。

「文貴。ここらへんがね、」
「…は?」
「…ここらへんがね、すうっとするの。」
「…うん、?」
「前に本で読んだんだ。主人公が今と同じ台詞を言うの。そしたら主人公のお母さんが言ったんだけど、『それは寂しいのよ。』って。」
「…」
「ねえ、文貴。私は、寂しいのかしら。」
「…なまえ」

なまえは下げていた視線をようやく文貴と交わらせた。その眼には今にも零れ落ちそうなほど涙が溜まっていて、文貴はぎょっとした。

「わかんないの。私は寂しいのかしら。泣いても、泣いても、馬鹿みたいに涙が止まらないの。」
「なまえ、…なまえ」
「なんで、…好きなのに、ひどいことされても、こんなに好きなのかしら。絶対にもう私を見てくれないなんて、そんなこと、わかってるのに、なんで、こんなに好きなのかしら。」

それから、なまえはまた自分のパジャマの裾でごしごしと目をこすった。その裾はもうどれくらい彼女の涙をすったのだろうか。文貴は狼狽した。そんなに痛々しい彼女を見てられなかった。意味もなく伸ばした手は空を切り、行き場をなくして結局彼女の背中に行きついた。トンと、なまえは簡単にバランスを崩して文貴に倒れこむ。こんなに細かったんだなあ、とぼんやりとそんなことを思いながら文貴はなまえを抱きしめる形になった。

「なまえさあ…」
「な、によ…」
「馬鹿。」
「は、はあ!?」
「馬鹿。馬鹿じゃないの。なんでそういうことちゃんと言わないんだよ。俺がいるじゃん。俺じゃなくたって、なまえのこと心配して、なまえのために泣いてくれる人だってたくさんいるじゃん」
「…」
「もっと、ちゃんと手を伸ばしてよ」


「俺頼りないけどさ、なまえのほっそい手だったら、掴んだら離さないってくらいの自信はあるよ」


肩ごしに聞こえる文貴の声が、こんなにも心地よいものだったなんて知らなかったなあ、と、思っていたらまた涙があふれてきて、なまえは戸惑った。いつのまにこいつはこんなに大人になってしまったのだろうか。それと同時になんだか笑えてきて、こらえきれずに吹き出した。きっと今、文貴は不思議そうな顔をしているのだなと思った。自室の真っ白な壁紙が涙で滲む。何もできないけれど、何も変わらないけれど。彼女はもう一度彼の肩に顔を埋め、その両手を背中に回す。

「文貴、…ありがと」

その言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか。わからないけれど文貴はふっと笑って言う。

「ばーか。」

その言葉に、なまえがどれほど救われたのか、多分彼は知らない。翌日彼女は長かった髪をすっぱりと切って学校に登校した。阿部があんぐりと彼女を見る傍らで、文貴は目を細めて笑った。



再生




何かを捨てて、何かを手に入れて、私たちは生きていく。だから、あの頃を私はきっと忘れないんだろう。ならばこれは、再生の物語。

(120126)