「監督、あたし部活やめます。」
あたしは事も無げにそう言ったら、監督はひどく驚いたようで、珍しく他人にもわかるほどに狼狽した。そんな監督を一瞥し深く一礼してから、あたしは自分の荷物を持ちグラウンドを出ようとした。すると、付き合っている泉が目に入った。彼はあたしを訝しげに見て、首を傾げながら口をパクパクさせた。どうしたんだ、多分そんなことを言っているのだろう。あたしはそんな彼にわりかし大きな声で叫んだ。
「あたし部活やめるからー別れよー!」
それだけ言って、あたしはもう二度と振り向かずにグラウンドを後にした。後悔なんて微塵もなかった。これで良かったのだなんて満足感さえ感じていた。 後ろからひどく慌てたみんなの声がした。あたしの名前を呼ぶ声、やめるなと制止する声。だけどそのどれもがもう、あたしには届かないのだ。
学校を出たその足で、あたしは美容室に向かい泉のために腰近くまで伸ばしていた長くてこの年代にしては珍しい黒髪―――そういえばこれは泉が好きだといってくれた、あたしの一つだった―――を、ばっさりと切った。そしてそのままアッシュブラウンに染めてもらう。その間、携帯にかかってくるたくさんの着信やメールを見るだけ見て、あとは雑誌を見たり、そんなことをして過ごした。二時間もすれば髪も綺麗に染め上げられ、あたしはお金を払って美容室を出る。 そのまま次に向かったのは映画館だった。適当に上映している映画を見繕って、チケットを買う。売店のお姉さんが不思議そうな顔をしてあたしを見ていた。暗い上映場に入ると、そこにはあたしを含めてお客さんは7人しかいない。だから余裕で真ん中の、一番見易いところを独占することが出来た。 映画はもう公開終了間近のラブストーリーだった。陳腐でありふれてて、でもすごく綺麗な恋物語。あたしがしようとしてできなかったもの。映画の中のヒロインは綺麗に泣いていた。そして綺麗に笑っていた。あたしはもう、きっと泣いも笑いも、できないんだろうな。膝を抱えて映画を見ながらあたしはぼんやりとそんなことを考えた。 映画はあっさりと終わりを迎え、エンディング曲とスタッフロールが流れ出した。ただでさえ少なかったお客さんはすぐに出ていき、あたしだけが上映場に残された。しばらくしてスタッフロールも終わり、また明るくなった。あたしはゆっくりと靴をはき、そこを出ていった。
帰り道、泉が好きだと言っていたバンドの曲をiPodから流して聞いてみた。相変わらず携帯にはたくさんの着信とメール。一番多かったのはやっぱり泉だった。泉を思い出せると思って聞いた曲は、反って泉という人間を薄っぺらにするものでしかなかった。そこでまた、11回目の着信が来る。あたしは静かに、電話をとった。
「…はい。」 「やっと出た!なまえ、お前今、どこにいンだよ!朝のどういうことだよ!」 「…どうもこうも、言葉通りだけどね。」 「意味わかんねえんだよ!とにかく、一回戻って、」「ごめんね泉。あたしあんたのこと、大好きだったよ、多分。」
ピッと、泉の返答は待たずに通話を終了させた。そのまま電話帳を出して全消去のボタンを押す。ピッ、本当に消去しますか。暗証番号を入れて、YES、ピッ。しばらくして全て消去しましたという文字が出たのを確認してあたしは携帯の電源諸とも切った。 ゆっくり長くなっていく自分の影を見つめながら、あたしという人間が閉じていくのが分かった。それから、あたしの中から何かが無くなって、何かが終わりを告げたということも。
終わりとは行き止まりなんかじゃなかったんだな、と、もう沈みかけの夕日を見てそう思った。雑踏がきっとざわざわ言っているのだろうけれど、ipodから流れるロックバンドのドラム音で何も聞こえなかった。さようならお日様、こんにちはお月様。ローファーで路傍の石を思い切り蹴とばす。そうしてそのままiPodから流れる音楽だけを聞き流し、少しだけ泉という人間がいたことを思いながらあたしという人間をゆっくりと、閉じた。
人 皮 か ぶ り
多分最初から、私は人ですらなかったのだろう。
(081011) (110118 加筆修正 再録)
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