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初めてこの世に「顕現した」ときからそこには、辺り一面に花々咲き乱れる、美しい庭があった。
色とりどりの花の香しさと、むっと立ち込める青々しい葉の匂い。草花が幾重にも重なり独特のコントラストを作り上げている。その立体感に、ほうと自然と感嘆の声が出た。目が醒めるような荘厳さに、俺は目を奪われずにはいなかった。
「…あなた、だあれ」
怯えたような声が聞こえたが、それがどこから聞こえたものなのか分からず辺りを見回した。一瞬空耳かと勘違いしてしまうくらいか細い声の出処を求めて集中すると、どうやらその庭の中にあるようだった。深呼吸して、庭へと侵入する。
庭に生える木の陰に隠れるようにしていたのは手を土で汚した女の子だった。鼻の頭にも土が付いており、随分間抜けな面になってしまっている。
こちらを見て怯えたように訝しげな顔をする彼女に釣られて、ついつい俺も控え目な声になる。
「俺っちは、薬研藤四郎だ」
「やげん…?」
「あんたが、俺っちの大将か?」
「……?」
「……違うのか?」
今度はこちらの方が訝しげにそう言うと、彼女は困ったように眉尻を下げ、わたわたと慌てる。見るからに目を泳がせながら、ごにょごにょと何か人名らしきものを口にした。推察するに、どうやら近侍を探しているようだったが、生憎周囲に彼女の近侍は不在であり、彼女はいつまでたっても見つけられない。諦めたように困った顔でこちらを見つめるので、ため息をついて言葉を紡ぐ。
「あんたが誰を探してるのかわからないが、ちなみに言っておくと、俺っちはさっき鍛刀されて、ようやく顕現できたようだぞ」
「……そう、なの」
いかにも戸惑っていますというように言われた。人間だというのに、随分人馴れしていない。
「えーっと、……じゃあ、あなたの、言った通りみたい。どうも、私が、この本丸の審神者です。……よろしく、薬研藤四郎」
泥だらけの手を差し出して、少々引きつった顔で、それでも精一杯にこりと笑おうしているのが分かる。第一印象は大切だと誰かに言われたのだろうか。そう思って彼女を見つめ返すと、すぐにその笑顔はただの引きつり顔に変わる。自分の手が汚れていてとても握手なんかできないと思ったのだろうか、慌てて手を引っ込められた。汚れるのも厭わずに自らの着物の端でごしごしと手の土を拭おうとする姿に、ぷっと自分が吹き出すのを抑えられなかった。
「はははっ。……こちらこそ。よろしく、大将」
審神者が完全に手を引っ込めてしまう前に、その手を掴んで、ぎゅっと握った。俺の行動にびっくりした顔をした彼女は、瞳を何度か瞬かせて俺の顔をしばらく見ていたが、ニッと笑顔を返すと、そのうち表情も和らいでいく。おずおずと俺の手を握り返しながら、ふにゃりと、眉を垂らして笑った。泣きそうな顔をして笑う女。それが、我が大将に対しての第一印象だった。

▼ △ ▼ △

出陣し、過去を巡り、敵である、自分と同じような姿をした刀たちを撃破するたびに、自分の力が増していくのがよくわかる。共に出陣する仲間の心強さも感じるようになったし、彼らが傷を負えば胸も痛むようにもなる。最初の戦いでこそ血の臭いに敏感だったが、今ではすっかり慣れてしまった自分のことも、認めざるを得なかった。
だが、戦場に慣れ、強くなるたびに、体の奥底に静かに積もっていくような違和感の正体を突き止めることはできないままだった。
「薬研くん、お疲れ様です」
出陣を終えて本丸に戻り、軽傷を負ってしまったので手入れ部屋に行こうとして廊下を歩いている途中で、大将と鉢合わせた。手には盆を持ち、その上には湯気が立ち上る湯のみが置いてある。落とさないように緊張しているのか、指先が微かに震えていた。
大将がこんな風に声をかけてくれるようになったことに驚き半分、喜び半分でいながら、同時にここに来てからの日々の重さを感じる。
「大将か。珍しい。今日は大好きな庭いじりに興じなくていいのか?」
からかうようにそう言うと、取りつく島もなく冷静に返された。
「一段落したから部屋に戻ってきたところだよ。それより、怪我をしたと聞いたけど、大丈夫?」
やはり庭をいじっていたのか。庭に行けば大将に会えるというのが、本丸にいる刀剣の間ではお約束とされているほど、彼女は本丸の庭を美しく飾ることに精を出していた。
「何、怪我するのも仕事のうちさ。それに、軽傷だしな。すぐに治る」
そう軽く返しても、大将の顔には暗い色が射す。心配性だなと笑った。
「みんなには怪我一つしてほしくないのに……わたしが力不足なばかりに、ごめんね」
「謝るなって。顔が暗いぞ、大将。ほら、笑顔笑顔、えーがーおー」
俺はにーっと笑い、さらに自身の指を大将の頬にやり、ぐっと上に引き上げた。強制的な、引きつった笑みが彼女の顔に広がる。
「ち、力が強いよ。薬研くん」
「大将は表情が暗いんだな。笑ってるだけで人生結構楽しいぞ、な?」
「薬研くんは強いなあ。比べて私は、駄目駄目だね」
励ましたというのに思い切りしょんぼりした顔をされた。頬をあげていた俺の指は軽く掴まれ、ため息をつきながらそのまま下に降ろされる。
「大将は頑張ってる。自意識過剰はいけねーが、時々は自分でそう思っていいって俺っちは思うぜ」
「……ありがとう。薬研くんは本当にすごいな」
大将が俺を何度も強い、すごいと褒める理由が、今ではもうよくわかってしまった。
自身は刀として、もう、この世には存在しないからだ。
健気で、儚げで、それでも前を向いている。それがどんなに尊いことかと彼女はしきりに説く。しかし、一方で、そう言われるたびに、自分が、不確かで朧げな存在であることを指摘されているような気になってしまう。彼女が悪いわけではないのだけれど、自分の足元がぐらつきそうな感覚に囚われるのだった。
前を向いているのではなく、前しか向くことができないのだ。戦場に出てしまえば自身だって荒れ狂う刀。目の前の敵を倒すことが全てだと思えてしまう。とても器用とはいえない、不器用な身だ。どちらかといえば自分には前「しか」向くところがないのだと、そう思って一人でくつくつ笑うと不思議そうな顔をされた。例えそう言っても、きっと彼女には伝わらないだろうなあ。
「早くこの戦いを終わらせないと。終わったら、そのあと、楽しいことをたくさんしよう」
「……そうだな」
我が主の言葉にはっとする。
そうか、この戦いは、いつか終わるのか。
終わるのだ。そりゃあそうだ。始まったなら、終わらないものなんてない。人の命だって事の顛末だって同じだろう。そんなに単純なことを、いつからか失念してしまっていたようだった。違和感の正体は、これだったのだ。いや、正確にはそれは違和感ではなく、喪失の念だったのだ。
一つ戦いを終わらせるたびに、俺の命は一歩終わりに近づく。一つ勝利を重ねるたびに、自身を取り巻き本丸に繋いでいる鎖は腐って、緩んでいく。
そう。俺には、前しか向くところがなかったじゃないか。どこにも戻れないのだ。ここに「喚ばれて」しまったときから。
主人が楽しいことをしようと嘯く「そのあと」、自身はどうなるのだろう。せめて刀身さえあれば、少しでも長くここにいられるのだろうか。あるいは……
そこまで考えて、バカバカしいと頭を振った。大将の持つ盆から湯のみを奪う。
「そのお茶、もらってもいいか?」
「え?えっと、うん。いいよ」
「じゃあ、もらってくぜ。手入れ部屋に行ってくる」
「い、いってらっしゃい」
いつか終わる。祭りの後、俺はどこへ行くのだろう。

▼ △ ▼ △

戦いの最中だというのに集中できないことが増えた。
薬研藤四郎としてどうあることが、自分にとって、そしてあの審神者にとって最善なのだろう。取らぬ狸の皮算用とも言えるような虚ろな演算を何度も頭の中で繰り返している。
索敵が終わり、戦いが始まる。目の前に構える敵の不気味な眼光から目を反らせない。この体を与えられてその存在を感じるようになった脈拍が随分早くなっていた。ドクンドクンと、うるさいほどに心臓が脈打つ。額から汗がたらりと垂れた。
そんな状態のまま、敵に挑んだのがよくなかった。歴史改変組の太刀の一振りを、まともに受けてしまったのだ。ヤバい、と思う頃には既に太刀傷をその身に受けていた。意識が暗転する。最後まで網膜の裏に残ったのは目の前に先ほどの敵太刀の赤い眼光だった。揺らめいて、消えない。

▼ △ ▼ △

「薬研くん、大丈夫!?」
次に目が覚めた時に目が捉えたのは、大将の顔だった。初めて会った日のように、服や指先、頬に土や汚れがついている。
大方先ほどまで庭にいたのだろう。本当に庭いじりが好きな人だ。大将からうっすら香る草花の芳醇な匂いに、むせ返りそうだ。これが、生命の香り。
「大将……?」
「よかった……もう、ダメかと思った……!」
「ああ、俺、そうか。帰還したのか……って、慌てすぎだ大将、俺っちは大丈夫だ」
俺は布団に寝かされていた。別段、身体が痛いわけではなかった。そういう風にできている。そうでなければそもそも繰り返し戦えない。軽く周りを見回して自分の置かれた状況を理解し、次に身を乗り出している彼女を宥めることにした。
「でも、無理しないでってあれほど言ったのに…!こんな、に、傷だらけで……!」
「だ、だから大丈夫だって。そう言ったろう」
身体を起き上がらせた。しかし、急にというか、堰を切ったようにというか、大将が手で顔を覆い、ボロボロと涙を流し出したのでぎょっとする。所有している刀剣がこれほど重傷を負うことなど、初めてなわけではないだろうに。
俺はただの刀なのになあ。いや、参った参った。
この気持ちが期待というものなのだろうか。 ため息をつきそうになるがすぐに飲み込んで、大将の肩を叩く。
「あのね、私、私ね……」
泣いてばかりだった彼女がきゅっと顔を引き締めて、俺の顔をじいっと見つめる。どきりと心臓がなった。
大切だと言ってくれ。恋い慕っていると、言ってくれ。その一言だけでいいんだ。このままここにいたいと、ずっと彷徨っていたいと、思い続けたいんだよ。
しかし、そんな俺の明後日の期待に反して彼女の口から出た言葉はまったく違うものだった。
「私、決めたの。薬研くんを、もっと強くする。もうあなたが傷付かないように。……私、頑張るから」
彼女が笑う。初めて会った時と何もわからない、眉尻をこれでもかというほどに下げた、泣きそうな笑顔。釣られて俺も笑った。自分でも驚くほど自然に、笑えてしまう。いつからこんな自分になったんだろうと、呆れてしまうほどに、俺は今、恐らく彼女と同じような顔をして笑っていた。
「相変わらず、大将は泣きそうな顔で笑うんだな」
「なによ。薬研くんが笑えって、言ったのよ」
「ああ、そうか…そうだったな」
「わたしに何ができるかわからないけど、怖いけど、でも、強くなりたいって祈るから、笑うのよ。……ねえ私、ちゃんと、笑えてる?」
その質問には答えなかった。愚問だったからだ。
大将はうんと強くなった。知ってるよ。
「……俺はな、できることならずっと、あんたの刀であり続けたいよ」
きょとんとした顔をしてから、ありがとうと彼女は言う。
雲が晴れて太陽が顔を見せる。俺は彼女からそちらに目を逸らし、眩しくて目を細めた。彼女の後ろに広がる、広大な庭。彼女が守りたいとする大切なもの。色とりどりの花が咲き乱れ、青臭いほど芳しい緑が、紛うことなき生命の息吹が、そこには確かに存在している。
なんて美しい庭だろう。ここから出ていくという選択肢を、俺はどうしても選べない。鎖を幾重にも巻き重ねて、彼女を守るために、彼女を守れない身体で在り続ける。
夢の中。彼女の作った、ここは、俺を閉じ込める美しい箱庭。

愚かさの容れ物(150507)
ペトリコール song by 米津玄師
決裁板でバーーンっと机を殴りたくなるような苛立ちを込めて書き始めましたが、なんというか、本当にすいませんでした。