※女審神者設定 こんなにも本丸が騒がしいのは、和泉守がここにやってきて初めてのことだった。 「珍しいじゃん、あんたが縁側に出てるなんて」 徳利とお猪口を脇に置いた和泉守が振り返ると、審神者が立っていた。逆光のせいで和泉守には審神者の表情は読みとれない。審神者の姿で部屋の明かりが遮られているが、夜も更けているというのに室内からは刀剣たちのどんちゃん騒ぎが鳴り止まず、ずいぶん騒々しい。 まったく、どいつもこいつも浮かれている。その一言に尽きる。和泉守は人知れず溜息をついた。 ようやく明かりに目が慣れてきた頃には、審神者も縁側に腰を下ろしていた。 「いつもだったら鶴丸あたりと飲み比べー!とかって言って一番に騒いでるところでしょ」 「時々はゆっくり酒を呑みたくなる日もあるんだよ」 「そうなの。なんか、…意外ね」 「折角うめえ酒も呑めるような体になったんだ。たまにはしっかり味わわねえとな」 「刀剣って、なんでかわかんないけどみんなお酒大好きだよね」 「ああ、なんってったって、うめえからな。あんたも呑むか?」 「せっかくだけど遠慮させてもらう」 和泉守が差し出した右手のお猪口から目を剃らしながら、審神者は言った。和泉守は、前に一緒に酒を酌み交わしたときに審神者がすぐにへべれけになってしまったことを思い出した。あの失態(だと審神者本人は思っている)以降、審神者はなるべく酒から手を引くようにしているのだ。 「兎にも角にも、あれだ。任務終了お疲れさん。主サマ」 「…ありがとう」 審神者はそう言いながら照れくさそうに目を細めた。そうなのだ。歴史を改編しようとする勢力との戦いは、数時間前にようやく、終焉を迎えたのだった。もちろん、審神者率いる刀剣たち、つまりは時の政府の勝利という形で。 歴史は、守られた。 なので、誰からともなく宴会をしようとの流れになり、今こうして呑めや歌えやの大宴会が繰り広げられているのは、当然といえば当然のことだった。 「右も左も分からないままここに連れてこられて、ずっと戦いっぱなしだったからなあ」 「そうだな。ほんっとうに終始使えない主だった」 「…うーん、聞かなかったことにしておくね。まあ…これでしばらくは、」 審神者はうーん、と声を上げながら、組んだ両手を空に向けて伸ばし、体をめいっぱい傾けた。ひとしきり体の筋をのばすと、息をついて、 「休憩かな。ようやくみんなとまったりできる」 と、嬉しそうに笑う。かと思えば、眼孔を鋭くさせ、嬉しそうな顔はたちまち嫌らしい笑みに変わり、 「もちろん、まったりできるだけのお金も貰えたしね」 と続けた。「まったく、抜け目のない女だ」と思い、和泉守の口元にも呆れたような笑みが浮かんだ。 「梅が散ったね」 「…そうだな」 先日までここに咲いていたあの花は梅というのだと脳にインプットさせながら、しかし表情を変えずに和泉守は相槌を返す。この作業にも慣れたものだった。 「もう桜が舞ってる」 審神者は下駄を履き、庭に出た。ひらひらと舞う桜を掴もうと桜の木に手を伸ばす。 そうか、これが桜か。 足下に落ちた桜の花びらを見つめ、和泉守の脳がそれを桜の花びらだと認識する。人の形をとっていながら、それでもやはり刀剣は、人とは圧倒的に違う生き物だ。 「春までにさあ、全部終わらせられるか正直自信なかったんだ」 「そりゃあよかったな、あんたの勝ちだ」 「…春が来るね、和泉守」 和泉守に背中を向けながら、審神者は桜の花びらを掴もうと一生懸命に手を振り回していた。ようやく取れると思った矢先に花びらは明後日の方向に進路を変え、ひらひらと落ちていくので審神者はもどかしく思った。 「オレは春が嫌いなんだよ」 和泉守は拗ねたような、どこか怒っているような声を出す。 「…ふうん」 縁側から見える、まん丸になり損ねたような月に雲がかかり、先ほどより幾分暗くなる。ちょうど同じくらいに、春が嫌いな理由が思い浮かんだ審神者は合点がいったという顔をして、和泉守に質問を投げかけた。 「あ、もしかして、和泉守って花粉症なの?」 「かふんしょう…なんだそれは」 和泉守は不思議そうな顔をしたので、審神者はしまったと思った。今は歴史改変を防ぐという目的のために同じ場に存在しているが、だからと言って彼と自分がこれまで違う時間を紡いできたという事実は覆らない。その事情は和泉守だけではない、どの刀剣たちにも通じることだった。しかし、審神者はときどきそれを忘れてしまいそうになる。 それもこれも、彼らが、あまりにも「人間」然としているからだろう。 とは言え、審神者と刀剣たちは、決して短いとは言えない月日を共にしてきている。花粉症とはなんたるかを説明するのも面倒だと考え、説明の放棄を選んでも支障がないだろうと妥協してしまうくらいには。審神者はあっさりと説明を諦めた。 「なんでもない」 もちろん和泉守もなにも気にせず、よっこいしょと体を起こし、庭に出てくる。 「さっきも言っただろ。オレは春は好きじゃねえんだ」 審神者の隣に並んだあたりで立ち止まり、和泉守は空を仰いだ。 「だから、」 審神者の苦心が嘘のように、和泉守の手の平が、すんなり桜の花びらを掴む。あまりにも優雅な所作に、自らの奮闘を忘れて、審神者は自然とその様子を追ってしまう。花びらの形が崩れるのを防ぐかのように、そうっと握りしめると、和泉守はそれを審神者に手渡した。受け取ろうとして手を伸ばした審神者の目と、和泉守の目がしっかりと合う。 「春はおまえが連れて行け」 和泉守はいつになくまっすぐな瞳をして、審神者を見つめた。対して視線を交わらせた審神者は、なんと言葉を返せばいいか分からず、思わず息を詰まらせた。 「…」 「…それっ、目潰しー」 和泉守がいきなり、審神者の目の前に手をやった。審神者の両の目すれすれに、突き出した人差し指を勢いよく近づける。眼球に当たるか当たらないかで審神者がようやく反応し、体を捻らせた。その勢いのせいで、和泉守の爪の先が審神者の鼻の頭を軽く掠る。 「わっ、ちょっと、痛い!なによいきなり!」 「闇討ち、暗殺、お手の物ってなー」 「は、はあ?堀川くんの真似しても無駄だからね!もー、びっくりしたでしょ!」 「ははは。なあ、あんた、ひでえ顔してるぜ」 「和泉守のせいでしょ!」 「いいから、鏡見に行ってきな」 「言われなくても行くわよ!」 足音に怒気を存分に顕しながら、審神者は厠へと続く板の間を歩いていった。 はて、握りしめたあの拳から、花びらはもう散ってしまっただろうか。 そう思い笑いながらその姿を見送った和泉守はまた縁側へと腰掛け、思い出したように徳利を持ち上げお猪口へと酒を注ぐ。 「ねえ。さっきのどういうこと?」 すぐ後ろから声がしたのでぎょっとして振り返ると、蛍丸が腕を組んで立っていた。 「…蛍丸かよ。ったく、驚かせるなよ」 「そうじゃなくてさ。質問に答えなよ」 「どうした?今日は妙につっかかんなあ…」 蛍丸のいやに真剣な瞳の色をしばらくのぞき込んでいた和泉守は、観念したとでもいうように酒を啜った。 「なんだよ。別に、いいだろ。…人の幸せを願うことは、そんなにいけねえことか?」 「それはとてもいいことだけど、ただ願い方に問題があるって話」 蛍丸にそう即答され、和泉守がげえっという顔をした。 「おいおい、えらく辛辣だなあ」 蛍丸は言葉を返さず、つんとしてそっぽを向いた。庭からは微かに虫の声が聞こえる。 おそらく、近い将来自分たちは消えるのだろう、と、和泉守はなんとなく理解していた。それは横にいる蛍丸も同じようで、それゆえわざわざつっかかってきたのだろうと和泉守は納得する。室内で騒いでいる他の刀剣たちだってみなそうだ。 もうすぐ自分たちのこの体は消えるだろう。もちろん、刀剣自体が消えるわけではない。ただ自らを自らと認識しているこの意識は、そのときが来ればあっさりと消えゆくだろう。 わかっていないのは、聡明とはとても言えない、我らが主。あの審神者だけ。 「春なんか来なければいいのにな」 「…ばーか。いくじなし」 辛辣な言葉を吐いたと思ったら隣からくしゅんとくしゃみをする音が聞こえた。和泉守が横を見るとちょうど蛍丸が鼻を啜る。鼻の頭を指で擦る蛍丸を見ながら、「主の、あの傷が消えなければいい」という言葉が、瞬間的に和泉守の頭をよぎり、その後自分の顔面にすぐに苦笑が浮かぶのが分かった。 「本当にな。どうかしてる」 その言葉か蛍丸へなのか自らへなのか、分からないまま頭を振りながらそう呟くと、蛍丸を置いて和泉守はのそりと縁側から立ち上がり、人工的な明かりが燦々と輝く室内へと歩を進めた。飾りのたくさんついた服がいつもよりずっと重く感じた。蛍丸はいっそう拗ねたような表情を浮かべる。 和泉守が背を向ける本丸の庭で、梅の花はとうに散った。虫の声は日に日に声量を増す。桜の花びらは我関せずといったように、ひらひらと舞っている。 春が来る。そうして、当然のような顔をして、もうすぐ。 春が逝く。 鳴かぬ鳥(150308)(150420 再録) ・「あんた」と「おまえ」を使い分ける和泉守兄貴…という萌えです。 ・タイトルはロミジュリの有名なあの詩より、とどまれない審神者ちゃんへ |