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※映画ネタバレないと思うけどあるかも?

「ドミネーターを敵に向ける時ってさ、宜野座くんはどんなことを考えているの」

パスタを啜りながら彼女の口から放たれたその質問は、食事の席にはあまりそぐわないものだった。一瞬だけ手が止まり彼女の顔を盗み見るが、深刻そうな表情は浮かんでいない。会話の種の一つとしての質問だったのだろうと心中で安堵する。
顔だけならドミネーターなんて言葉が死ぬほど似合わないような、いつまでも幼い顔つきの彼女がキョトンとした顔で、黙ってしまった俺を見つめた。俺はため息をついて頭を振る。
「…ドミネーターを向けるときか」
「そう。宜野座くんって今も昔もドミネーターを使ってるけど、監視官から執行官になってから、何か変わったのかなあって」
こちらの事情を知っているとはいえ、ずいぶんつっけんどんとした、不躾な質問が、ずいぶん彼女らしいと思った。
施設の中でしか自由のない俺たち執行官と会うには、いくつかの煩雑な手続きが必要である。そのため、普段なら面会希望者など滅多にない。ところが、ドミネーター等を扱う研究員としてこの厚生省に籍を置く彼女は、その面倒な手続きをすっ飛ばせるからか、時々思い出したように俺に会いに来る。学生時代からの知り合いだが、それほど深い接点があったわけでもないこの俺に。
「それを聞いてどうするんだ」
「別にー?次の研究のブレストに使えるかなって。ずっと言ってると思うけど、私はユーザーの心理的ケアにも尽力していきたいんだよ」
「それを執行官落ちした俺に聞くのか…これ以上色相が濁ってしまったらどうしてくれる。このマッドサイエンティストめ」
「ははは。それは褒め言葉だよ、宜野座くん」
私たちの研究のおかげで、日々日本の社会はよりよくなっているんだからさ。
当たり前のようににこりと満面の笑みを浮かべ、涼しい顔でそう言われた。
彼女の右手に持たれていたフォークが皿に置かれた。その左手がアイスコーヒーの入ったグラスを掴む。ズルズルと下品な音が部屋に響いた。
俺は目を閉じて思い出す。ドミネーターを構える、その瞬間のことを。
ターゲットと目が合う。意図的にその瞳の奥を覗かないようにしている。あんなものを見てまともでいられるのはあの人くらいだ。常守朱。かつては俺の部下、しかし今では上司になった彼女。
細かに揺らぐ執行対象者の瞳の中を面と向かって見てしまったらと考えると怖気が走る。凍えるような燃えるような、追い込まれて何もかもがない交ぜになった瞳の中なんて覗けばあっという間に色相が濁ってしまうだろう。
想像して悪寒が走るたびに、自分は普通の人間なのだと心底実感する。その事実に少々落胆する自分と、おそらくこれから先一生をかけても自らは怪物になれないだろうことに安堵する自分がいた。
「…何も考えていない。職務執行中は無心だよ」
「ふうん。昔から?」
「昔からだ」
その回答を聞いて彼女の眉が八の字に垂れ下がる。不満だと顔に書いてある。
「なんだその顔は」
「つまんないの」
不謹慎だと思ったが何も返さない。皿の上のパスタはあと半分ほど残っているが、食欲はすっかり失せてしまっていた。
「…」
「まあ、恐怖は大切だよね。月並みだけど、深淵を見つめるときは深淵もまたこちらを見つめていると思わなきゃ」
「…?なんのことだ」
「宜野座くんは過去の偉人の話はあまり読まないのかな?はは、まあいいや」
紙ナプキンが丁寧に彼女の口の周りをふいていく。
「…恐怖なんて俺は一言も言っていないだろう」
「うん?なんのことかな?」
彼女は、先ほど自分が言ったことをすっかり忘れたようにぽかんとした顔をこちらに向けた。まるで話が通じないと頭を抱えそうになるのは始めて会った頃から変わっていない。だから当時から彼女のことは苦手だったのだ。
環境と、自分の立場だけが変わったのだ。彼女はどうやったって何も変わらない。いや、彼女を受け入れるようになったあたり、俺の内面も随分変わっているのだろう。
食器が空になったかと思うと、彼女は対岸のソファからこちらのソファに移ってきた。あっさりと対面の図が崩れる。
寄ってきた彼女からはフレグランスの香りなどはしない。化粧っ気も飾り気も全くない彼女の顔は年を取らないまま、まるで学生の頃のようだ。日頃から頼りにはなるが随分妖艶なあの分析医が片隅をよぎった。これが雲泥の差というものか。
「やっぱりキスをする方がいいよね」
頬を掴まれ、強制的に彼女の方を向けさせられる。痛みはなかったが突然だったので首がごきりとなった。
「ドミネーターで撃たれるよりさ」
彼女の言動に理解が及ばず眉根が下がるのを感じる。
「だって宜野座くんがこうして目を合わせてくれるもん」

それに、宜野座くんも怖くないでしょう。

ぐっと近寄られたかと思うとそう耳元で囁かれた。その声は干からびた泉のようだった。俺の頬を掴んでいた彼女の手のひらが首の後ろに回され絡ませられる。耳元から離れた彼女の目と俺の目がしっかり合ったまましばらく沈黙が流れた。彼女の瞳の奥が揺れる。瞳の奥の自分の姿が揺らぐ。
神なんてものは信じていない。救済も求めていない。死んだものは生き帰らない。時間は戻らない。全てが刹那から始まり、そうして刹那の中で終わってゆく。明日も明後日も自分はドミネーターを構えるだろう。執行対象者を脳内にインプットし、人を組み敷いて、その「うちがわ」を抉るのだ。
それが宜野座伸元の「生きる」ということだった。疑問はない。畏敬もない。死んだものは死んだだけのことだ。それだけなのだ。そうなのだと自分は割り切ることができる。何故なら俺は、怪物ではないから。
沈黙を切り裂いたのは俺だった。彼女の唇に自分から近づき、キスをした。目は閉じない。彼女の目も開いたままだ。驚いた顔をした彼女の瞳の中の自分は、随分と真っ直ぐな瞳をしている。

「監視官かあ、宜野座くんは向いてないと思うなあ」

随分前に、それこそ学生時代に彼女に言われた言葉を突然思い出す。何の気なしに言い放たれた言葉に苛立ち、当時は何を不謹慎なことを言うかと怒鳴りつけてしまったが、今ならばその通りだったのだろうと思える。彼女の千里眼を賞賛したいくらいだ。
「…しちゃったね、チュー」
「雰囲気をぶち壊すな」
「だって、びっくりしたから」
彼女は今更照れたように前髪を押さえた。汚れた白衣が視界を遮る。
「ははは」
「うわ、何急に笑ってんの。宜野座くん怖いよ」
「いや、善良な市民でよかったなと思っただけだよ」
自分でも驚くほど自然に笑みが零れた。彼女は怪訝な顔を返す。パスタに含まれていた香辛料が鼻先でピリリと香る。笑い出したのに、俺は泣いているようだった。
彼女のベタベタと艶めく髪をそっと撫でる。彼女の困った顔を見るのはおそらく初めてだ。

僕らこうして沈んでいけたら(150202)
宜野座伸元の幸福と限界について。