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「及川、そっち筆箱で押さえてよ」
 模造紙の四隅を筆箱や油性ペンの入った箱で押さえながら、及川に声をかけた。模造紙を広げるのだって一人じゃ結構な重労働なのに、及川はちっとも手伝おうとしない。
「及川さん、早く部活に行きたいなあ」
 そんなこと分かっている。だから、保健委員会とかいう死ぬほどくだらないもののために作るこの模造紙のレイアウトも極力自力で終わらせて、彼が居残りするのが今日だけで済むように事前に準備しておいたのだ。及川はつまらなさそうに、机の上で組んだ腕に顎を乗せ、唇を尖らせた。そうこうしている間にまた模造紙がくりんと丸まった。堂々巡りだ。
「おーいーかーわー」
「はいはい、手伝うよ。なまえはすぐに怒るなあ」
 しょうがないとでも言うように頭を振りながら及川が気だるげに立ち上がる。途端ににゅっと伸びる身長と、模造紙を掴むがっしりした大きい手に思わず目を逸らしてしまう。窓の向こうはまだ日が高い。
「なーにやってんの、外なんか見て。なまえもしっかりしてよ」
 オレ、さっさと部活行きたいんだからさ。及川が偉そうな口調で偉そうなことを言う。それを無視して、作業を始めることにした。
「大体、なんで俺らがやんなきゃいけないのかねえ。なまえとオレ、違うクラスだし、予定合わせるのも大変だっつうの。ね、そう思わない?大体、ホームルーム終わる時間も違うんだしさ」
「随分お口が賑やかだけど、その分手を動かせばもっと早く部活に行けるわよ」
「たっくー、なまえのおこりんぼさんっ」
「可愛い子ぶっても無駄。それに私とあんたがこれをしなきゃいけないのはじゃんけんに負けたからでしょ」
 鉛筆でうっすら下書きをした紙面を確認しながら言葉を返す。及川がえーっと不満げに声を漏らした。
「あんたって、本当にバレーボールが好きだね」
「うーん、でも、なまえといるときはなまえのほうが好きだよ?」
 殺し文句とでもいうように、澄ました顔で言ってくる。及川のこの調子には慣れっこなので今更ため息をつくまでもない。
「それ、私が聞いて喜ぶと思うならあんた相当なコミュニケーション障害者よ」
 笑っただけで言葉を返さない及川を一瞥してから油性ペンを差し出す。どんなボールでも剛速球に変えてしまう、実はとても不器用な彼の大きな手がそれを掴んだ。

 及川徹はその大きな手でたくさんの宝物を抱えている。一見宝物のように見えるそれが、及川自身には土くれにしか見えないことを別にすれば、彼はとても幸福だ。

「さっさと終わらせて、部活したいなあ」
「はいはい、さっきも聞いたよそれ」
 そっちのとこ、赤で縁取りしてね。と、言葉を付け加える。
「赤かー。もっと派手な色なかったの?」
「派手な色って何よ。赤だって十分派手でしょう」
「ライトブルーとか」
「それはあんたのユニフォームの色でしょうが」
「ゴールドとかね」
「悪趣味ね…そもそもそんな色普通の油性ペンセットにないわよ」
 それなら自分で別に持ってこいと心の中で悪態をつきながら自分の作業を続ける。及川のことをチラ見すると、意外にも頼んだ作業をしっかりとこなしていた。どんなにチャラいふりをしても、根が真面目なのは誤魔化せない。こういうところに出てしまうのだから。それが業というものだ。
「婚約指輪はゴールドにするからね」
「また突飛な話ね」
 見直したかと思えば、すぐにまた話がわけのわからない方向へ行く。サーブをいくら練習しても、会話のコントロールのなさを直す気はないらしい。これだからコミュニケーション障害者などと私に言われてしまうのだ。
「あんたお金も貯めらんないだろうし、メッキでいいわよ」
「だーめ、ちゃんと純金をあげるって。18金でもプラチナでもなくて、純金ね」
 及川さんを舐めないでネ。場違いなほど弾けるような笑顔で言われる。その表情に何とも言えない違和感を覚え、砂を噛むような感覚を宿したままありがとうと適当に口を動かした。
「もう少しで終わるから、あとちょっとだけ頑張ってよ。それなりに片が付いたらあとは私がやっておくからさ」
「なーにいってんの。どうせオレのためにこれの準備まで終わらせてくれてたんでしょ。そんな愛しい恋人を置いていくわけないじゃない」
 歯が浮くようなセリフでも似合ってしまうのはその風貌のせいなのだろうか、それもオーラか。背中にむず痒い感覚を有しながら、誤魔化すように早口になる。
「あーあ、そんなこと言うならさ。ほんと、同じクラスだったらもっと楽だったのにね。そもそも今日がこんな長引いたのだって及川のクラスの終礼が遅くなったからだし」
 クラスメイトだったら、私たちはどんな会話をしたんだろう。及川とは中学から同じで、付き合いだしたのは高校に入ってからだが、残念ながら一度も同じクラスになったことがないのだ。
「私ね、時々考えるんだよね。及川がもし、私のクラスメイトとか、友達とか、兄妹とかそういう関係だったりしたら、なんてさ」
 先程の気恥ずかしさを隠すために、ぺらぺらと喋らなくていいことまで話してしまう。及川の甘言には慣れたと思っていたけれども、自分もまだまだ修行が足りないのだと恥ずかしくなる。
「はは、なにそれ、面白いね」
「でしょ?特に、及川が兄妹だって想像した時が一番面白いかな。だってさ、」
「まあ、無理だよね」
 私の言葉を遮るように及川が言葉を紡いだ。寒い夜のように鋭く、刃物で切られた断面のようにきっぱりとした言葉だった。
「…はい?」
 私は面食らって、すっとぼけた返事をしてしまう。及川を見ると、いつもと同じように笑っている。いつも以上に、笑っている。
「なまえの友達にも、親友にも、兄妹にも隣人にも幼馴染にもなれないだろうな、俺」
「あー…そ、そうかもね」
 きゅぽ、と、油性ペンのキャップを閉めるためだと自分に言い聞かせながら、思わず俯いた。
 そんな私の頬に、にゅうと長い腕が、大きい掌が伸びてきて、優しく添えられる。驚いて俯いた顔を上げた。オレンジの西日が、落下してくるような青い空が、紙面の赤い油性ペンの色が、天井の電灯の薄汚れた黄色が、床に散らばった緑のモルタルの床が、視界の端で交じり合って黒く染まる。

「よかったね」

「なまえの、友達にも、親友にも、兄妹にも、隣人にも、幼馴染にも、クラスメイトにもなれない及川さんで、君の恋人にしかなれない俺で、よかったね」

「とーる、」
 及川が、宝物を抱きしめるみたいにそっと笑った。頬に添えられた手がまるで熱のようにさあと引いていく。窓から差し込む西日が及川の横顔に影を落とす。背筋がぞくりを震えて、内臓の辺りがこそばゆく動いた。現実がみしみしと音を立てて傾く。キラキラした宝物の箱の中のものを盗み見てしまったような、面映ゆい感覚が全身を駆け巡る。言葉を返すことができなかった。なんにも、何の返事も思い浮かばない。

「あは。徹って呼ぶの、珍しいじゃん」

 彼のおどけた口調は真剣さの裏返しだった。私はそれをもう痛いほど知ってしまえる距離にいる。
 苦し紛れに精一杯手を伸ばして、先程まで私の頬にあった彼の手を握る。
 口を、思い切り開いてしまいたい。可能ならば。
 及川、及川。これは本当に私の妄想なのかもしれないけれどね。私はね、本当はあんたに、18金もプラチナも、それこそメッキだったとしたって私にとっては変わることがない宝物だし、意味があるんだよって、教えてあげたかった。純金以外のすべてのものが意味を失くすとしたら、この世界はとても苦しいものになってしまうでしょうと、そう諭したかった。
 だけどそれが今の私にはできない。だから、柔い温度を保ったままの彼の手を握る。繋いだところから漏れ出るみたいに、この気持ちが伝わるなんて幻想をどこかで信じながら。
 及川徹を愛することができるのは、彼と同じように世界で私だけでありますようにと、懇願した。彼が、本当は大嫌いで憎くて仕方ないこの世界を見下ろすとき、その隣にいるのは私でありますように。
 彼をそこから突き落とすことができるたった一人が、他の誰でもない私でありますようにと。

よかったね
カーニバル/song by the pillows
(140620)(140624 加筆修正)

君の唯一である俺になれてよかったねという、多数の「秀才」にはなれても唯一の「天才」には到底なれない彼の、とんでもない自虐。