※パラレルです。近くに海があればいいなあと思いながら。 海に行きたいと言い出したのは半分は本気で、半分はその場の空気を紛らわすためだった。青峰と二人でやれと言い渡された数学のプリントが、うんともすんとも進まなくなった八月三十一日午後四時二十八分のことだ。 「青峰ぇ、チャリ漕ぐの速すぎ!」 「あ?なんだって?聞こえねーよ」 「だったらもうちょっと聞こえる位置にいなさいよ」 「はあ?意味わかんねえ」 「もうちょっとスピード緩めろってこと!」 私たちは海に来ていた。流れる景色はオレンジ色で、見えているものがすべて幻の中にいるように朧気に過ぎていく。彩度の高い風景に体を包まれながら、私は汗だくで自転車を漕ぎ続ける。初めは隣に並んでいたはずの青峰が時間がたつにつれて、背中しか見えなくなっていく。それを私はどこか悔しいと感じながら、しかし絶対に追いつけないと思ってしまう。 それは諦めとは違った、もっと別の何かだった。 青峰についていこうと食らいつくことで、あっという間に目的地に到着する。いつも友達と喋りながら自転車を漕ぐ距離の何倍も短く感じた。夕焼けは端っこのほうが少しずつ紺色に浸食されつつある。自転車を止めるのにもたもたと戸惑っている私をほったらかしにしたまま、青峰は靴を脱いで両手で持ちながらすたすたと砂浜を進んでいってしまう。待ってよ、という言葉は喉元で留まった。 「ったく、どうせタオルも持ってきてないくせに」 負け惜しみのように独り言を零したら、波が弾ける音にかき消されてしまった。 「あーおーみーねー!」 「んだよ、うるせえ」 「なに靴脱いでんのよ、そんな砂まみれの足で、帰りどうする気?」 「タオルならお前が持ってるだろ」 「いや、そりゃそうだけど、って何で知ってんの」 「夏は女の子の必需品なのよ!ってさつきが言ってた」 桃井さんの真似だろうか、かすれた高い声に笑ってしまう。青峰は私を見て怪訝な顔をしたけれど、すぐにまた海のほうを向いてしまった。 「夏も終わりだねえ」 今度は波にかき消されたりしないように、精一杯大きな声で言った。小さな波が、ぱあんと打ち寄せては消えていく。目前に広がるのは穏やかな海だった。どんどんどんどん、オレンジ色は濃紺に上書きされていって、それに伴って私の夢現も幻になってしまうような気がする。 「そうだな」 「寂しいなあ」 「そうか?」 「…青峰今日誕生日でしょ」 「あ、そういえばそうだった」 「誕生日忘れないでよ…」 「てかなんで知ってんだ」 「携帯のスケジュールに入ってた。前にあんたが入れたんでしょ」 「そうだったっけか。知らねえ」 めんどくさそうに眼を細めて、頭をぼりぼりと掻いた。一般人には大きすぎるサイズの靴ははるか後方に並べられていて、横にちょこんと私の靴も置いてあった。 なんだか、二人して、自殺してしまうみたいだ。 くだらないことを考えついてから、夏の終わりの空気に毒されている自分に気づき、苦笑とともにはあと溜息をついた。 「夏、終わっちゃうなあ」 もう一度、繰り返してしまう。とりわけ夏が好きだというわけでもないし、むしろどちらかといえば嫌いな部類に入ってしまうのに、私はどこかで寂しさを覚えてしまうのだった。青峰に続いてどんどん先に進んでしまったら、いつの間にか足元にはちゃぷちゃぷとどこかぬるい水の感触があった。青峰の背中は広くて、大きくて、近くにいるのになぜだかこんなにも遠い。 「置いてかれちゃう」 小さい声で呟いたら、また波にかき消されてしまうような気がした。半分くらいは期待していたが、それは期待外れに終わる。 「置いてかれるんじゃねーだろ」 「え?」 「お前が、置いていくんだ」 青峰が、ひどく平坦な声でそう言った。 寂しそうでも、悲しそうでも、苦しそうでも、なんでもない。今日の朝はサンドイッチを食べましたとか、そういう当たり前の事実を告げるときと同じトーン。そして、私はそんな青峰の顔を見ることができない。 私と青峰は、クラスメイト。仲が良くも悪くもない、学校内で話す程度のお友達だ。それ以上でもそれ以下でもない。そしてこれからも、そうでいたいと思っている。 青峰の柔らかいところに触っていいのは私ではない。 「そんなことないよ」 波がざぶんと打ち上げる。潮騒が聞こえて濃紺が襲いかかる。夏の終わりの匂いがした。さよなら。声を出さずに、心の中だけで呟いて夏を葬る。手向けの花は準備していない。もしかしたら、足元を濡らす塩水が、すべて涙の化身かもしれない。私の、あるいは青峰の。 夏が終わる。私を置いていく。 置いていかれてしまう。 夏葬(130903) (131019 再録) HAPPY BIRTHDAY 青峰 130831 |