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じんじんと焼けるような感覚が脳味噌をどんどん浸食するのを理解しながら、みょうじなまえは隣を歩く背の高い男の言葉に耳を傾けていた。ときに笑顔になり、馬鹿じゃないのとちゃかしながら、それでもその感覚を顔に出すことはなかった。秋になって新調した、スタッズのついた紫のパンプスの先にきゅうと収まった足の指が、さっきから悲鳴を上げているというのに。
繋いだ手からじんわり伝わる熱の感覚が脳味噌をどんどん浸食されるのを理解しながら、黄瀬涼太はその温度に酔いしれていた。隣を並んで歩くなまえの笑った顔を見たくて、ついついいつもより大袈裟にふざけてしまう。馬鹿じゃないのと笑みを含んだ声で紡がれる言葉を聞くたびに、心臓がゆるゆるととろけるようだった。
二人は手を繋いで、人通りの少ない夕方の住宅街を歩いている。人通りの多い街で徹底されていた黄瀬の変装はすでに解かれて、帽子とサングラスはしっかりと鞄に仕舞われていた。
「あー、楽しかったっス!」
「もー涼太テンション高すぎ、うるさすぎ」
「だってこんなに笑ったの久しぶりだもん」
「まじめにつっこみすぎて私は疲れちゃったよ」
なまえがはあとため息をつくのと対照的に、黄瀬は昼間の太陽みたいに笑った。夏もいつのまにか終わってしまって、蝉の声どころか虫の声さえ聞こえない。肌を撫でるのは夏のそれとは違う、これから冷たくなっていくことを確信させるような風だった。
「ねえ涼太、今年ってトンボ見たっけ」
「え?あー、そういえば見てないかもっス。てかオレ、ほとんど体育館にいるからわかんねっスけど」
「あーはいはい、バスケ馬鹿」
「なになまえっち?もしかして拗ねてんスかあ?」
黄瀬がからかいと喜色を半分ずつ持ち合わせたような声をあげる。なまえはそれには答えず、道沿いにあった公園に入ろうと提案した。ベンチに座り、黄瀬は飲み物を買ってくるとなまえに告げる。欲しいものはないと簡単に断りをいれ、黄瀬が公園入り口の自動販売機に走るのを確認してから、なまえは紫色のパンプスからゆっくりと足を取りだした。じんじんという痛みからは一瞬解放された気分になるが、目線の先に広がる明らかな靴擦れにまた目眩がする。抑圧されていた小指の側面には水膨れのようなものができていた。ヒールのある履き始めたときからこの痛みとは切っても切れないつき合いであるが、未だに仲良くなれている気がまったくしない。
久々のデートのために奮発して新しいパンプスを買い、それを履いてきてしまったことに後悔し始めたのは街を歩いている午前中のことだ。大丈夫大丈夫と唱えながら隣を歩く黄瀬の軽口に言葉を返していることは苦痛ではなかったが、痛みは大きくなる一方だった。
「うっわ!なんスかそれ!」
「…靴擦れ」
いつの間に帰ってきていたのか、黄瀬の大袈裟な声が聞こえる。足を見つめていた視線を元に戻すと、炭酸飲料を二本持っている黄瀬が目の前にいた。綺麗な二つのアーモンド型をした瞳はこれでもかと広げられ、その上に広がる二つの丘みたいな眉は今は中央に皺を寄せている。なまえはバレてしまったかと小さくため息をついた。
「いったそー…」
「そんなでもないよ」
「いつからそんなだったんスか〜?言ってくれればどっかで休んだりできたのに」
「んー、結構早いうちから実は痛かった。まあ、慣れてるし大丈夫かなって」
「慣れてるからってそんな…」
「女の子ですから。豆とは永遠のライバルなわけです」
「でもそんな、痛いっスよ〜」
そういいながら、黄瀬はなまえは炭酸飲料を一本なまえに渡すと、そのままその場に屈み込んだ。なまえの足と、それからなまえの顔を交互に見ると、自分が持っていたペットボトルをそっと傷口にあてがう。
「ちょっ、なにすんの!汚いでしょ」
思わずびくりとなまえの体が跳ねた。突然の刺激になまえは声を荒げる。
「いや、ちょっと冷やした方がいいかなあって…」
痛かった?と不安そうに聞かれてしまうと、なまえはそれ以上になにも言えなくなってしまう。少し沈黙してから、ありがとうとぶっきらぼうに返した。ペットボトルから垂れた水滴が、なまえの足を伝っていく。
「痛くねえ?」
痛いに決まっているのに、黄瀬は再び聞いてくる。心配そうな顔は、この大きな図体にはずいぶん不釣り合いだなあと思って、なまえは苦笑した。ありがとうともう一度、今度は笑みを含みながら黄瀬に伝えると、なまえの言外に示した「もう大丈夫」を理解したのか、ペットボトルはゆっくりと足から離された。少し濡れてしまった爪先にはさっきより余計に風を張り付いていく。なまえはそれを感じるかのように、組んだ足先を何度か揺らした。
「…ねえ涼太、」
「ん?なに、なまえ?」
蓋を開けて容器を揺らしながら飲んでいる黄瀬のペットボトルからちゃぷんと水分が揺れる音がした。黄瀬はペットボトルをくわえたままなまえに顔を向ける。器用に折り畳まれている長い足と背中のアウトドアバッグから覗く変装道具を横目に、彼女は笑った。
「あのね、教えてあげようか。女の子の秘密」
「女の子の秘密?」
「そう、でも、涼太がちゃんと意味が分かるようになるまで、人に話しちゃダメよ?」
なまえの言葉が理解できないのか、黄瀬は笑みともなんともとれない曖昧な表情を浮かべる。なまえの瞳が細い三日月みたいに薄く広がるのを、黙って見つめていた。
「女の子だもん。痛くても痛くないふりくらい、できるんだよ」
「…」
「…」
「…はあ?」
「やっぱ涼太にはわかんないか」
「いや、マジでさっぱりっス。つかそれ、女だけじゃなくねえ?」
 怪訝な顔を浮かべる黄瀬から目を逸らしたなまえは、そのままの表情で上空を見上げた。もうすぐ夕方も終わりを迎えようとして濃紺が浸食しつつある空を見つめながら、
「そっか、…そっかあ」
と、黄瀬に聞こえないくらいの声で呟いた。寂しそうな声だった。
 ねえ、ドーユーイミ?と黄瀬が不満そうに呟く。なまえはそれに、なにも返さなかった。
「いつかわかるといいね」
「…うん。…うん?」
 未だに怪訝な表情を浮かべる黄瀬に、なまえはそろそろ帰ろうと呟き、目に痛いくらい鮮やかな色のパンプスに再びその足を押し込んだ。痛みがちりりと走るけれど、それを誤魔化すように勢いよく立ち上がった。そうしてようやく、歩き出す。すぐさま黄瀬もそのあとを追って、横に並んだ。夕闇を縫うように、二人は自然と手を繋ぎ歩く。
 目を逸らすことができるというのは、ある意味ではとても幸せなことかも知れなかった。それをなまえは知っていて、黄瀬は知らないのだろう。その徹底的な違いを黄瀬が理解するとき、きっと私はこの人の隣にいないのだろうなあとなまえは何となく理解した。隣で黄瀬は何事もなかったかのように笑っている。ちりりと、じんじんと、爪先のそれとは違う、心臓が焼け付くような痛みを感じた。
 でも大丈夫だ。なまえは思う。痛くても痛くないふりをできる。だって私は女の子。とても残酷でどうしようもない、かわいそうな生き物だ。

まやかし孵化し(130925)(131019 再録)
黄瀬の優しさと現実がうまく噛みあわない話。