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 濃紺の絵の具を隙間なく塗りたくったような空の真下、ぼやけた黄色の外灯を辿るように道を歩く。耳にはめたイヤフォンからは歌詞のない、優しい音色をしたメロディーが溢れている。日が出ている時間も随分長くなって、涼しさどころか蒸し暑さすら感じるようになったこの頃、ようやく新しい生活を楽しめるようになった。
「…暑いなあ」
 わざと大きい声で呟く。夏に近づいているとは言え、夜も更けるこの時間は当たり前のように外は真っ暗だ。ぼやけた色の灯りはあまり意味を為さず、むしろその向こうの闇を深くしていた。夜道は危ないと思うし、何があるか分からなくてやっぱり大分怖い。自分を元気づけるように、もう一度呟く。
 暑いなあ。
 いつもの場所にくると、機械仕掛けのように足を止めた。外灯の灯りが作るぼやけた円の外側に立ち、闇に塗れる。向かいのマンションの三階を見上げると、ちょうど今帰ってきたのだろうか、私がその場に立ち止まったと同時に、彼の部屋の電気が点灯し部屋に眩しいくらいの光が輝く。カーテンがかかっていて部屋の中ははっきりと見えないけれど、うっすら人影が見えた。その姿を見るだけで顔には自然とふやけたような笑みが浮かぶ。じっとりとした湿り気のある空気が夏の訪れを予告していた。
「…お誕生日、おめでとう。涼太くん」
 さっきの独り言とは比べ物にならないくらいか細い声でそう呟く。きっとこの言葉は彼には届かない。
 ちゃんと、いろんな人にお祝いしてもらえたかな。お仕事は頑張ってるかな。バスケはもっと頑張ってるかな。少しでも上手になって、もっとわくわくしてくれているかな。今日も一日、苦しいくらいに笑ってくれていたかな。大丈夫かな、悲しくなったりつらくなったりしてないかな。
 涼太くんに、聞きたいことはたくさんあった。それはもう、ランプの魔人が出てきて願いを叶えられると言われても追いつかないくらいたくさんの願いを、私はずっと抱えている。
 だけど、まだ会えない。まだ会わない。私が彼の隣に当たり前の顔をしていられるようになるまで、私にはやらなくちゃいけないことがたくさんある。私はただの彼の幼馴染だし、彼にとって私もそれ以外の何物でもない。涼太くんの誕生日が来るたびに、私は今いくつだっけと、考えたくない質問に苦笑する。
 あんなに小さかった涼太くんが、こんなに大きくなったなんて。
 誕生日のたびにそういう私に、彼はいつも困った顔をした。困って、そのあと不機嫌そうになり「なまえさんとそんな違わねーじゃん」と、同じくぶすっとした声でそう言うのだ。それに私はごめんねと笑いながら返す。
「頑張るから、頑張れ」
 喉が震えてひゅうと空気が漏れた。
 涼太くんに好きだと言われたときのことを思い出していた。それが随分前のことに思えるのだが、きっとそれほど時間は経っていないだろう。時間が止まったと錯覚してしまうほど長い間、私は目を見開き続けていた。彼の震えを誤魔化したような声と、それに反して情けないほど歪んだ顔を前に情報処理が追いつくこともなく、本当にぽかんとした顔で見ていた。
 ようやく思考が戻ってきた私は慌てて否定を繰り返す。涼太くんの顔に浮かぶのは悲嘆を通り越してもはや絶望だった。私にはまだ、やらなくちゃいけないことがたくさんある、だから今は涼太くんのことをそういう対象としては見られない。拙い言葉で喋る私の本意をまとめると、結局そういうことだった。半分は本当で、半分は真偽が自分でも分からない気持ちだ。想像もしていなかった展開に、汗腺から出る分泌物が止まらない。あたふたとする私をよそに彼はうんと長い沈黙を紡いだ後、そっかと呻き声のような声で言う彼の顔を見ていられなくて、視線は足元を彷徨った。涼太くんが、そのあとに続けて言葉を続く。
 オレも、本当は頑張りたいことがたくさんあって。だから、なまえさんが断ってくれてよかった。ちゃんと、オレはオレの力で頑張りたいことができた。それを、嬉しいと思う自分がいる。涼太くんが照れくさそうな顔で笑う。さきほど苦しそうだと思った声は、もしかしたら照れくささを隠そうとした声だったのかもしれない。涼太くんは嬉しそうだった。私が、少し寂しくなってしまうくらい。頑張れ。彼が、そう言って右手を差し出す。私もおずおずと左手を差し出した。歪な形の握手が為され、そのとき私はようやく彼の手がこんなに大きかったことに気付く。
 なまえさん、手ぇ小っせぇね。
 同じことを考えていたのか、くすくす笑いながら言われた。思わず涼太くんの顔を見る。目を細めて、年齢然として笑っていた。
 頑張るから、頑張れ。
 それは、最後に彼が私に言った言葉だった。 
「…生まれてきてくれてありがとう」
 涙と一緒に唾を飲みこんだから、ありがとうのうはちゃんと発音できたか分からない。突然涙が溢れそうになったのを反射的にこらえる。 
 もし次涼太くんの前に顔を出したら、そのときはうんと驚いた顔をして、それ以上に笑ってほしい。笑って大きな掌で髪の毛を梳いて、頑張ったねと言ってくれればいい。彼の今の大事な人の話を、大事なものの話をうんと聞かせてくれればいい。私も、ちゃんと言うから。頑張ったねって。よかったねって。それから、もう一個言いたいこともある。
 私も、涼太くんが好きだ。
 そう思えば、不思議なくらいなんだって頑張れる気がするのだ。ほどなくして彼の部屋の電気が消える。疲れて寝てしまったのだろうか。それをちゃんと確認して、私は踵を返す。濃紺の空の下、外灯をくぐるように夜を歩く。おやすみなさい、涼太くん。そう呟きながら歩くステップはいつの間にかリズミカルになった。もちろん届かない。まだ、伝えられない。
 どうしてだろう。そんなことが、こんなに幸せだ。

Hallo, my love.
Happy birthday Ryota Kise!
二回目の誕生日を迎えられることに、最大の感謝と祝杯を。
(130618)