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 先に言っておこう。みょうじなまえは、広い家に住みたかった。
「みょうじ、片づけは終わったか?」
「…この段ボールの山を見た上で終わったと思うなら、赤司はだいぶ目が悪いよ」
「早くしろ。僕はもう終わったぞ」
「えっ、嘘でしょ!?」
 赤司と呼ばれた少年、赤司征十郎はため息をつくでもなく頭を抱えるでもなく、ただただ冷たい目でみょうじなまえを見つめていた。素っ頓狂な声をあげたみょうじなまえはというと自室としてあてがわれたはずの部屋の中を段ボールでいっぱいにしたまま、床にはたくさんの私物を散乱させていた。
「なんでそんな嘘をわざわざつかなくちゃいけないんだ。本当だ」
「だ、だって引っ越しの荷物来たのさっきじゃん…」
 みょうじなまえは狼狽した様子で、先程から手の届くところにある服や鞄や雑貨などを触ったり離したりしている。
「君は手際が悪すぎる」
「仕方ないじゃない。女の子は、ひ、必要なものが多いんだもん」
「無駄なものの間違いじゃないのか?」
 赤司の辛辣な一言に、なまえはまたもや言葉に詰まった。その様子を見て、腕組みをしてドアに寄りかかった赤司はようやく大きなため息をつくのだった。まだカーテンもとりつけていない窓から差し込む黄色い日差しが部屋全体を照らしている。
「…頑張って、早く、終わらせます」
「わかればよろしい。リビングで待っているぞ」
 それだけ言うと、赤司は体を自立させてなまえの部屋から出ていこうとする。その後ろ姿にべえっと思い切り舌を出してあっかんべえをしていたなまえが見えていたかのように突如振り返ると、
「あ、そういえば」
となんでもないように声をかける。対するなまえは動揺して
「うわっ、えっ、なによ」
と慌てて舌と手を引っ込めた。
「下着類は、殿方がいるときは仕舞ったほうがいいんじゃないか?」
 さも興味もなさそうにそう言って今度こそ赤司は扉を閉め部屋を出ていった。スリッパが床と掠れる音がどんどん遠のいていくのが分かる。
「…!」
 なまえは声を出すこともできず、羞恥にふるえながら何度目か分からない後悔をした。
 ああ、この男とルームシェアなんてするんじゃなかった、と。
「…むかつく!」
 拳をグーの形に丸めて、正座をしている状態の自らの太股を思いっきり殴る。当たり前のことだがとても痛かった。しかしそれもすべて自分が決めたことだ。強く噛みしめた奥歯が鳴る音を聞きながら、なまえはやや乱暴な手つきで残りの荷物を片づけ始めるのだった。
 先に言ったとおり、みょうじなまえは広い家に住みたかった。
 というのも、上京組の彼女の実家はここよりもずっと田舎に存在し、そのため収入も恐ろしく違う。彼女の家はいわゆる中流家庭であったが、両親が住むところにあまり関心を払う人々ではなかったため、いつまでも小さなマンション暮らしであった。自分の部屋があてがわれたのも父の転勤に際してというのがきっかけの引っ越しで、彼女が高校生の頃だった。自分の部屋を獲得した後も相変わらず小さい家での生活が続いた。そんな生活の中で彼女は決めたのだ。
 広い家に住む。家族で住んでいた以上の広い家に、それもたった一人で。
 そんなくだらない夢のために、涙を飲むような努力をしたなまえは受験戦争に打ち勝った。無事に東京行きのチケットをゲットし、なおかつようやく一人暮らしの権利を勝ち取ったのだ。
「…仕方ない、でも、やっと。やっとだ」
 ぶつぶつと自分を励ます言葉を呟きながら、天井を見上げる。窓から射し込む光は依然として明るかった。手を伸ばしてみても、光は掴めそうにない。
「やっと、広い家で暮らせる!」
 声が自然と弾む。先程の赤司の言葉がどうでもよくなるくらい、なまえは嬉しかったのだ。この家に住むこと、この家で勝手気ままに暮らせることが。
 大学に入学して二年目までは、受験に合格してすぐに母と見に行ったマンションに入居していた。というのも、マンションというのはたいていが二年契約で、それ以降は随時更新といった形になるからだ。運良くというか運悪くというか、なまえの通うことになった大学は学年が変わる際にキャンパス移動をする必要が無かったために、そこに二年間住むことは確定していた。
 もちろんその物件についても、なまえは自分の希望にできるだけ沿うよう万全を尽くしたつもりだ。その実、二年間の暮らしを振り返ってもとくに不自由なく、それなりに快適な生活を送ることができたように感じる。
 だがただ一つ。不満としてあげるならば、そこもやっぱり部屋が狭かったことだった。
 そんなわけで順調に単位を稼ぎながらバイトに勤しみ貯金を膨らませていたなまえは、契約更新の時期に際して、引っ越しを決意したのだった。
「メゾネット、憧れだったんだよね」
 これはこっち、これはあっち、と段ボールの中身を仕訳する作業に精を出すなまえの顔はやはり笑顔だった。
 話を戻そう。
 引っ越しを決意したなまえのそれからの行動と言えば、同居人を探すことだった。
 広い家に住む。もちろん、一人でというのが最大の野望だったのだが、学生で、しかも都心ともなると、家賃的には相当苦しい。というか無理だ。そういうわけで、一人で住むことよりも広い家に住むということに不等号の口が開いていたなまえはすぐさまルームシェアをしてくれそうな人を見つけることが最善の策だったのだ。
 学部の友達やサークルの友達、いろんな人を当たるがなかなかいい返事が返って来ず、半ば諦めそうになっていたなまえのもとに舞い降りてきた天使、それが赤司征十郎だった。
 赤司は彼女の同級生であり、学部は違えど共通の友人がいる。その友人のおかげで二年間、他の学部生としては驚くほど懇意にしてきたのだった。彼の登場になまえは瞳を輝かせ、まるで大きな商談が成立したかのように大きく握手を交わしたのである。
「僕もちょうど一人で暮らそうと思っていたところなんだ」
「そうなんだ!赤司、ありがとう!」
「不得手なところもあるからね、みょうじ、是非僕に一人暮らしとはなんたるかを教えてくれ」
「任せて!さ、それじゃあ物件決めようか!赤司の希望と私の希望、どっちもできるだけ叶えたいけど全部は無理だから、ちゃんと話し合って決めよう!」
 そのとき、そんななまえの言葉に赤司はくすぐったそうに笑った。楽しそうだね、と彼の口が動くのがなまえにも分かった。
 結局、二人のバイト先や学校の授業も考えつつ(余談だが二人のキャンパスは同じである)、条件にあった物件を探していく。普段の授業の様子からは考えられないなまえの行動力に、なまえと赤司の共通の友人でもある黒子は呆れたような顔をしながらその様子を見守った。
 そして学年が三年に上がる一ヶ月前、春休みも真っ只中の三月になまえが二十年間も待ち望んだ運命の引っ越しが行われたのである。
 部屋のタイプは2LDKのメゾネットだ。一階に16畳の広々としたリビングダイニングキッチンがあり、部屋の右奥にある階段を上がった二階には向かい合わせのような形で、7畳の洋室が二部屋ある。トイレとバスはもちろんセパレートタイプであり、お風呂は広々とした真新しい状態だ。IH完備の綺麗なシステムキッチンとそれなりに広いベランダはなまえを喜ばせた。家賃は折半で半分ずつ持つことになっているが、この部屋は赤司が見つけてきてくれたものであり、赤司が契約主となっている。部屋の完璧さもさることながら、家賃のほうもこの間取りにしては驚くほど安く、思わずなまえは聞き返してしまったほどだ。たまたまいい物件があったんだよ、と赤司がなまえに言ったためにそこでは頷いてしまったが、いくら親にお金を出してもらっているとはいえやはりそれはそれで申し訳ないなまえとしては正直ほっとしたところだった。結果としてなまえが一人暮らしをしていたころよりもずっと安い値段に落ち着くことに母が嬉しそうな声をあげていたのはここだけの話だ。最初は異性との同居に反対していた両親だったが、事情を説明し赤司の親ともよく話したところ、ようやく安心したのかゴーサインを出してきた彼らのだめ押しとなったのはやはり家賃であったのだろう。
 綺麗な家の中を見回すと、なぜだか新築のにおいがする気がする。リフォームしたてなのだろうか、赤司はそう言っていたけれどマンション自体が随分新しい建物なのだ。不思議だけれどそこはとくに考える場所ではないな、ないはずだとなまえは思い直し、せっせと作業を進めた。
「はあ…これくらいやればいいでしょ。よし、終わり」
 数時間後、ようやく一段落ついたなまえは立ち上がる。段ボールは依然として積んであるが、最初よりは随分片付いたし部屋の中も大分整理された。少なくともこのままでも今夜寝ることはできるだろう。先程リビングで待ってると言った赤司のことを思い出したがきっともう自室に戻っているのだろうと思いながら、先程から乾きを訴える喉を潤すために階下にあるキッチンに向かった。なまえが以前から使っている、その広いきっちには随分不釣り合いな冷蔵庫はずーんと低い音をあげていることだろう。鼻歌を歌いながら階段を下りようとしたところでなまえはぎょっとする。
 赤司はキッチンのほうにおいてある四人掛けのテーブル(これは赤司が持ってきたものだ)の椅子の一つに腰掛けて本を読んでいた。見たところずっとそこにいたらしい。確かに、よくよく考えるとなまえの部屋の真向かいにある彼の自室に上がってきたらしい音は聞こえなかった。
「…赤司?」
「ああ、なまえか。本に夢中になっていたが、結構時間が掛かったのか?ああ、壁に時計を掛けないとな。時間が分からない」
「うん、えっと、結構掛かっちゃった、ごめん。えっと、ずっと待っててくれたの?」
「うん?ああ、まあな」
「別にここにいる必要なかったのに。自分の部屋の片付け、もっと進めておいても…ていうか、なんでリビングに来るように言ったの?」
 その質問に、赤司は不思議そうな顔をしたまま答える。
「なにって、引っ越しそば」
「…はい?」
 今度はなまえが不思議そうな顔をする番だった。
「食べるんだろう?普通、引っ越ししたときと言うのは」
「ああ…でも、最近それを律儀に守ってる人ってあんまりいないと思うけど…」
「そうなのか?でも、もう買ってきてしまったからな」
「え、そうなの」
「ああ、今日の朝そばを買ってきた。あの、あれだ、…そう、カップ麺をな。僕はあんまり、というか一度も食べたことがないから、実は楽しみにしていたんだ」
「カップ麺、食べたことないってほうにむしろ驚きだよ」
「そうか?多分、結構いると思うぞ」
 赤司が席を立って、やかんに水を入れて火にかける。と言ってもIHなので火はでないのだが。
「一緒に食べなきゃ意味ないな」
「はい?」
 背を向けられたまま、そんな言葉が赤司の背中から飛んできて、なまえは間の抜けた声をあげた。
「こういうのは、一緒に食べないと。だから、待ってたんだ」
 思わず口をあんぐりを開けたなまえがその言葉を飲み込むまでにそう時間はかからなかった。ということは、さっき(時間的には全く先程ではないのだが)早くしろと言ってきたのは単純にカップ麺を食べたかったからなのだろうか…?なまえは困惑する。だが、すぐにそんなものはどこかに飛んでいき、代わりにこみ上げてきたのは笑いだった。
「ははっ、赤司、最高!」
「なにを笑っているんだ、みょうじ」
 訂正しよう。みょうじなまえは広い家に住みたかった。そこに初めて、他人という文字が加わったのだった。ああ、一緒に暮らすのが赤司で良かった。みょうじなまえは密かにそう思うのだった。

赤司征十郎と紡ぐ受難の日々


「…どう?カップ麺」
 ずうずうと音を立てて麺を啜るなまえを羨望の眼差しで見つめながら赤司は音も立てずに麺を啜った。その視線に耐えきれなくなったなまえは、そんな質問を赤司に投げつける。
「…微妙だな。添加物の味がする」
「はは、正解だよ」
 赤司の素性など詳しく知らないし知ろうとしたこともないなまえだが、どうやら随分育ちがいいようだということに気づいた。それに、眼光が鋭くしっかりとしていると思っていたのっだが、意外と生活感がないのかもしれない。天然というか、外で見る赤司とは違った可愛さがある。
「まあ、これからいろんな味を試せばいいよ。美味しいのがあるかも知れないし」
「そうだな」
 赤司が笑う。なまえもそれを見て笑った。不器用な二人のルームシェアが、始まるのだった。

 残ったスープをぐいっと飲むなまえを赤司が、今まで学友の誰もが見たことのないようなぎょっとした顔で見たのはまた別の話だ。

完全に趣味。まあ続かないんですけどね(^^)(130524)