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 暑さで萎えるでもなく寒さに震えるでもないこの季節は、一年間の中でも一番私が好きな季節だ。
 私を後ろに乗っけて自転車を漕ぐ火神にそう言うと、
「お前この前は冬が一番好きだとか言ってたよな。その前は夏が好きだって」
と、呆れたような顔で言われた。続けて、適当なヤツだとも。
 私は火神の呆れたような顔が好きで、もっと言うと火神のことが好きで、そしてこれは秘密のハナシ。
「てーかなんでわざわざ海なんて行かなくちゃいけねえんだよ」
「はあ?愚問だね、そんなの決まってるじゃん」
「なんだよ?」
「海が私を呼んでいる」
「…ドヤ顔やめてくれよ」
「火神から私の顔は見えないでしょー、ドヤ顔なんてしてませーん言いがかりはヤメテクダサーイ」
「ほんっといちいち気に障るヤツだなあお前って」
「ほらー、黙ってチャリ漕げ!漕げ!」
 ちくしょう、と小さく呟く声が聞こえるけど当然のように無視した。ぱっと後ろを振り向くと、夕闇が迫ってきていた。この時期になると随分太陽が沈むのも遅くなって、私たちは夏の訪れを意識する。無視される春は可哀想だなあと思いながら、それでもいずれ来るであろう夏を待ちわびて自然と頬が緩むのは止められない。私は春が好きだ。夏と、それから秋と冬。
 ゆるゆると自転車が進むんで風が私の横をすうすう通り過ぎていくけど、顔だけは火神の無駄に広い背中のおかげで風の被害に遭うことがない。そろそろ切ろうかなあと考えていた長い髪が、ゆらゆらと後ろに靡く。火神のうなじをつうと汗が流れていくのを見て、咄嗟に目を逸らしてしまった。
「火神ー!」
「んだよ。まだ海までかかるからな」
「んーん、そうじゃなくてー、おめでとう!卒業!」
「はあ?」
「私ー、明日から大学生!」
「何言ってんだお前…」
「会えないね」
「は?」
 火神が怪訝な声を出す。私は火神の二の句を継がせずに空気を吸い込んで、一気に声を出した。
「もう今までみたいには会えないね」
 明日はいよいよ大学の入学式で、私は彼とは違う大学への進学が決まっていて、明日のためのスーツもネイルも完璧に終わらせていて、そして、まるで高校の頃のままのような顔をして火神の後ろに座っている。明日からは、もうこの光景は見られない。それを思うと少しだけ寂しくなる、のは嘘ではないと願いたい。
「会えねえの?」
「そういうもんだよ」
「そういうもんか」
「そういうもん」
 そういうものだ。私は火神のことが好きだけど、それは今現在の気持ちであって、これから先遠く離れたりだとかどちらかが死んでしまったりだとか、そうなってもずっと彼のために純潔を誓えるかと言ったら正直分からない。綺麗事を抜いてしまえば、恋なんてそんなものだ。現に、明日から違う大学に通うだなんてそんなことで私はもう日和ってしまっている。
 私は春が好きだ。夏と、それから秋と冬。それから、火神大我が、好きだ。最後のは、秘密のハナシ。
「さよならだね」
「寂しいな」
「黒子くんにももう会えないのかあ」
「おまえってほんとに黒子好きだよな」
 セミの鳴き声が聞こえるころには、お互い新しい友達と遊んでいるだろうか。新しい場所で、新しい人間関係を築いて、新しい遊びを覚えて、慣れないお酒を飲んでみたり、たまにはバスケをして汗をかいたりするのだろうか。全く予想がつかない。だけど確かなことがひとつだけある。私たちには未来があって、これからも私たちの前には道がある。私たちの後ろにあったはずの道は少しずつボヤけて見えなくなっていくかもしれないけど、先はこれからも続いていく。
 車輪の音を必死に耳に焼き付けようと私は半ば必死だった。火神の自転車の後ろに乗ることができるのも、多分最後なのだ。

 私たちの先に伸びる道は一本道で、しかも一方通行で、だけど二人が並んで歩ける幅はない。ねえ火神、火神。
 君は最初からそれを、知っていたんでしょう、火神。
「家まで送ってけよバーカ」
「はあ?自分で帰れバーカ」
 そうやって毒を吐いたってちゃんと送っていってくれること、絶対にそうなることを私は知っている。未来が見えるからだ。二人を繋ぐくたびれたみたいなリボンは今にも解けそうで、見ていて頼りないことこの上ない。縋るように、荷台を掴んでいた手をゆっくり外して、火神の背中をぎゅっと掴んでみるけど、思っていたようなオーバーリアクションは返ってこなかった。
 ズルい私の横を、嘲るみたいに風がすうすう流れていく。残酷だなあと、他人事のように笑った。

死骸と懺悔と夏の海(130408初出)(130506再録)