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「ねえ赤司、私はさ」
とろけるような三日月がやけに明るい夜だったと思う。
「多分、大輝がね、…多分だけど。怖いんだ」
電話の向こうから、絞り出した声でそんな言葉が聞こえたあの日を、オレは今でも覚えている。

赤司?久しぶり、元気?三回目のコール音の後にすぐに電話口に名前が出て、お決まりの挨拶が返ってきた。
「最近は、どうなんだ」
「えー?何が?私?元気だよ。相変わらず、毎日ずるずる生きてますよ」
照れ隠しのような突然の敬語にこちらも思わず笑みが零れた。
「相変わらずそうだな」
「だからちゃんと生きてるってばー」
「青峰は、元気か?」
「大輝?もちろん。あのでかい図体でベッドを占領してる」
聞いてよ赤司。バイトから帰ってきたらさ、最近あいつよくこたつで寝てんの。何度言っても聞かないから困っててさあ、赤司からも何か言ってやってくれない?愚痴を零すような口ぶりで、しかしその実それが惚気に他ならないというのはきっと恋人を持つ人間の定石なのだろう。そこから溢れ出る幸福感は隠せるものではない。
「そうか、あいつも、元気そうだな」
「そろそろみんなで集まりたいな。赤司、こっちに来る予定とかないの?」
「残念だけど今幼馴染が受験追い込みなんだよ。だから行けるとしたら遅くとも三月以降かな」
「ああ、赤司の『大事な子』?」
こともなげにそんな言葉で表現された。その表現の的確さに思わず苦笑してしまう。
「…そうそう、その子だ」
「そっかー。まだ仲いいんだねえ。…いやあ青春ですなあ」
「お前らには言われたくないな」
「うちはもう、恋人感ゼロですから。おじいちゃんとおばあちゃんみたいよ」
その言葉からは確かな安定感が見受けられる。それなのに彼女の足元はいつも覚束ない。
その後も、お互いの近況を伝えあった。彼女の発言が八割を占める会話はつらつらと続いていく。時折オレの相槌が入った。まったく、女とはよく喋る生き物だ。
「なまえ、」
「なあに」
「なまえは、でこぼこだな」
「…はあ?何それ、肌の話?確かに赤司と初めて会ったときは肌汚かったかも。これでもニキビ跡はだいぶ消えたと思ったんだけど」
「違うよ、」
思わず口調に笑みが混じった。
「そういうことじゃなくて」
「何よー」
「…ちぐはぐ、のほうがいいかもしれないな」
「ちぐはぐ?さらに意味わかんない」
「わからないか」
「全然、ちっとも」
「そうか」
「うん」
受話器越しの、直接話すのとは少し違う声が耳に心地よかった。思わず目を閉じてしまう。
「ならいい」
「うん?まあ、いいけど」
不思議そうな声が返ってきた。
「そろそろ寝ろ。こんなに遅くに電話していたんじゃ、青峰がまた心配するだろう」
「はは、そうだね、寝ようかな」
「ちゃんと学校には行けよ」
「それ、大輝に言ってよ。あいつ、ほんとに部活にしか行ってないよ」
「お前も大概なんだろう。緑間からも黄瀬からも情報は入っているんだ」
「うっそ、あいつら、裏切りだわ。だーいじょーうぶだって!赤司も、元気でやんなよ。その子とも仲良くね!」
「なまえもな。じゃあ、切るぞ」
電話を切ろうとするとその向こうからそれを遮るように声が聞こえた。
「あ、あとさ。さすが赤司だよね。私が眠くなってきたの、分かったんでしょ」
楽しそうな、笑みを含んだ声だった。
「…おやすみ、なまえ」
それにはなにも返さずに、自覚的に優しい声を出した。
「おやすみ、赤司」
プ、ツーツーツー。電話が切れた音がする。頬にあてていた携帯の液晶画面を見つめると、通話終了の画面がちょうど待ち受け画面に切り替わり、やがてバックライトが消えた。真っ暗になった画面に自分の顔が映る。
なまえは歪だ。なんだか、変なふうにちぐはぐで、覚束ない。見ているこちらがかまってしまいたくなってまう。何か取り繕うような言葉を、言ってあげたくなるのだ。だけどそれが、空気に触れると途端に酸化して別のものに変質してしまうことをよく知っている。ちっとも上手に、その通りに伝わらないものだと苦笑交じりに頭を振った。だからせめて彼女が、寝ているだけでも幸せな夢を見られるように。オレは願う。多分これからだって一生、願ってしまう。
「おやすみ、なまえ」
応えの返ってこないその言葉は行き場を失くして地面に静かに落下した。ふと見上げた空に浮かぶのはあの日と同じ、とろけるような三日月だった。