「緑間っち、なまえっち。遅くなって悪いっス」 暖簾でしきられて半個室になった居酒屋の掘りごたつの席に、オレたちはいた。黄瀬が申し訳なさそうな顔をしてそこに入ってきた。なまえがビールのジョッキを黄瀬の方に傾けながら「はい遅刻ー」と言ってニヤニヤする。 「すんません」 ごそごそと靴を脱いで棚に置き、あまりにも自然になまえの隣に座る。自分の眉がぴくりと動くのが分かった。その迷いのなさに不自然さを感じなかったからだ。 「遅刻とか粗相だよね」 「そうだな、駆けつけ一気を所望する」 「ええっ、緑間っちまでそんな!ひでぇっス!」 甲高い声をあげる黄瀬に、嘘に決まってるだろうと声をかけると彼は安堵を顔に浮かべた。アルコールの一気飲みは時として人命に関わる。 「三人で飲むの、久しぶりだね」 「ああ。黄瀬が忙しいからな」 「そんなことないっスけど。それを言うならレポートやらなんやらっていつもぼやいてるなまえっちはどうなんの」 あ、ピンポン押して。オレ、ビール。呼び出しのベルに一番近いオレに黄瀬がそう言う。ため息をつきながら押してやると、ついでに食べ物追加しよーよとなまえがメニュー表を広げた。机の上にはもうほぼ疎らになった軟骨のから揚げが皿の上に散らばっている。油をすったそれはもう食べる気にもならない。 「緑間は学部が学部だしね」 メニュー表から顔を逸らさずになまえがそう言った。 「青峰っちは?」 「さあ?あ、でも今日はバイト先の飲み会とか言ってた」 そう言ったところで店員がやってきた。ご注文はなんでしょうか。やけに甲高い声と、接客用のわざとらしい笑顔がよく似合う女だった。黄瀬はそうなんだと気のないような言葉で答えながら店員に手渡されたおしぼりで両手を拭く。なまえがすらすらと注文をすると、かしこまりましたと言って彼女は去っていった。 「おい、オレたちの意見は反映しないのか」 「え、食べたいものあった?」 なまえが驚いたように目を見開いてこちらを見る。 「オレはいいが、黄瀬はまだ何も食べてないだろう」 「そっか。ごめん黄瀬」 「あー、オレ、なんでもいいっすよ。出されたもん適当につまむから」 分かってましたとでも言うように黄瀬がそう返した。ときどき、この女はこんなふうに配慮が足りなくなる時がある。普段が気配り上手なだけに、そのバランスのとれなさにオレは不安を覚えるのだ。 それにしてもなんだか、不満だ。二人だけがわかっていることが、二人しかわからないことが日に日に増えている気がする。無論、自分がその輪に入れないことが不満なのではない。 「あー。この軟骨すごい不味いね」 「そりゃあ、こんな安居酒屋の軟骨じゃ仕方ないっスよ」 誰かの幸せの上に、それらがどっしりと体重を預けていることを知っているからだ。 「緑間っちは、最近どお」 黄瀬が屈託のない笑顔をこちらに向ける。それにすら苛立ちが募る。 「…どうもこうもないな。課題レポート実習、それからバイトか。ルーチンワークをこなしていると言った感じなのだよ」 「ふはっ、その語尾。いつ聞いても思うんスけど、直す気ないんスね」 「こら黄瀬、笑っちゃだめだよ。これは緑間のアイデンティティなんだから」 「うるさいのだよ…!」 遅ればせながらビールの入ったジョッキと、それからだし巻き卵が席に運ばれてきた。店員が去った後、誰からともなくかつんとお互いのグラスをぶつける。喉を通る、少し温くなってしまったビールは不思議と甘い味がした。それは現実から目を逸らしたことの合図なのかもしれない。 「まあいいじゃん。今日は飲もうよ、憂さ晴らしも兼ねてさ」 見ないふり知らないふりをするのが、彼らと初めて会ったあの頃よりずっと上手になった。きっと自分だけではなく彼も彼女も同様に。それが決して歓迎されることではないことは、自分が一番よく知っているはずだ。 |