落ちていく。緩やかに落ちていく。消失点が見つからない。 私の望むそれとは違った形で、朝は何度もやってくる。 だけれどそれは、とても美しい光を描く。そのしなやかさを、強さを、目を覆ってしまいたいほどの眩しさを、私はよく知っている。 ほら、目を開ければもう何度目かわからないほどの夜明けだ。 「なまえっち、起きて」 「…ん…?」 「ほーら、起きないと。もう朝だよ」 ゆさゆさと黄瀬に体を揺らされて起床の時間であることを知らされる。うっすら開けた瞼の隙間から見つめる外はぼんやり曇っていて、かろうじて黄瀬の金色の髪を捉えた。視界を覆う膜の向こうで、ぬらりぬらりと時計の針は進む。まるで抜き足で歩くいたずらっ子のように。 「…おはよう」 「おはよう。…って、なに、起きる気ないでしょ。目を閉じない、こら!」 「んー…うるさーい…耳がキンキンするよ」 黄瀬の声の大きさに顔を思い切りしかめると、はあ、と私に聞かせるためのわざとらしいため息が聞こえた。 「ほーら。朝ごはん。食ってくっしょ。早く起きて」 「うーい…」 黄瀬に手を引っ張られてようやく体を起こす。むくりと布団から体を出してみると、あまりの寒さに体を震わせた。それもそのはず、私はキャミソールとパンツだけという、この季節にしてみればふざけた格好をしていたのだ。 「さっむ」 「それ自業自得っスよね…寝るときは服ちゃんと着ろっていつも言ってるじゃん」 「だってしたあとは眠くなるじゃん…疲れるし」 また、ため息。黄瀬の第一印象はいつも笑っている、いけ好かない好青年という印象だったけど、仲良くなってみるとすぐにため息はつくし小言は多いし、まるで姑のような男だ。(いけ好かない好青年、なんて矛盾がたっぷりだが黄瀬の第一印象はまさしくそれだった。) 「もー。しょうがねえな。はい」 そう言って、黄瀬は自分の着ていたカーディガンを脱いでそのまま私に寄越す。 「着てていーから。寒いんだろ」 「…」 「…なんだよ」 長すぎる袖を顔に当ててすんすんと鼻を鳴らす。 「…えへへ。黄瀬の匂いがする」 はあ。にやにやと頬を緩ます私と対照的に、黄瀬がまたため息。まったく、今日何度目のため息だろうか。 朝がやってきた。いつもと同じように、寸分狂いもなく正確に。 *** 「どーお。味。濃すぎねえっスか?」 「んーん。私これくらいが好き」 黄瀬が作ってくれていた朝ごはんを、二人顔を向い合せて食べる。ワンルームの質素な部屋で、私と黄瀬は息を潜めて呼吸をしていた。 「このあとどーする?どっか行くの?」 「…帰ろうかな。洗濯物、きっと溜まっちゃってるし」 かちゃり。わざとらしく箸を置く。黄瀬が何か聞きたそうな顔をしたが、それをあえて見ないふりをした。この話はこれで終わりだと、聡い彼は理解したらしい。 「…あ、そういえば、やっと政権交代っスね」 「…知らん」 「なまえっちさあ…もういい歳なんだから政治くらい興味持った方がいいと思うっスよ」 「知らないものは知らないの。別に誰が首相になろうと私の周りは変わらないもの」 本当のことだと思う。 「まったく…そんなんだからこれだから最近の若者は、って言われちゃうんだろ」 「結構じゃん。最近の若者サイコー」 ずずずと味噌汁を啜った。私が作る味噌汁はいつだって味が違う。黄瀬の味噌汁はいつ飲んでも均一だった。 「おいしーね」 私の言葉に、打って変わって黄瀬は嬉しそうに顔を綻ばす。 「まあ、オレが作ったもんだから当たり前」 「調子乗んな、金髪ハゲ」 朝食をすべて胃の中に詰め込んで、ごちそうさまと呟く。ハゲてねーし!と黄瀬がムキになって叫ぶのを聞き流して洗面所に向かった。 水道から勢いよく出てくる冷たい水が、私の温度を急速に奪っていく。顔を洗ってタオルで拭いて(黄瀬の家のタオルはいつだって柔らかい)、すっぴんのまま服を着替えた。黄瀬の匂いのするカーディガンを脱ぐことは名残惜しい。 「じゃあ、帰る」 「うん」 玄関先でショートブーツに足をつっこむと、爪先が冷たい。さっき朝食を食べていたときと同じ空間とは思えないほど、急速に両肩にのしかかる現実感。 「ありがと」 「うん」 「なまえっち、」 黄瀬が、明らかに二の句を紡ぐのを躊躇っているように私の名前を呼んだ。 「…なに」 とぼけるふりで、それに応える。まるで茶番だ。 「…」 「…なんにもないなら、帰るよ」 「…じゃあ、また」 「うん、また」 そう言って、黄瀬に背中を向けて玄関の扉を開けた。びゅうと、風が舞い込む。それが冷たくて思わず頬が引きつった。 「なまえっち!」 玄関から一歩出たところで、黄瀬が私の名前を呼ぶ。億劫な顔を隠すこともせず、もう一度振り向いた。黄瀬の足は裸で、スエットの裾で隠れている。 「…オレがこんなこと言うのもなんだけど、でも、…頑張れ」 余りにも必死な顔で言うものだから、思わず吹き出してしまいそうになった。 「…ありがと。黄瀬もね」 寒さで引きつったのとは違う、自律的な笑みを携えたまま私は黄瀬に手を振った。手を離すと風に煽られたのかばたんと扉が乱暴にしまった。太陽の光が眩しかった。かつかつかつ、ヒールが地面を蹴る音がする。吹き荒れる風に負けないくらい冷たい音だ。その音が大きくなるにつれて、私は現実へ引き戻されるのだ。 私たちは何も分かち合えない。刹那的な繋がりを、それでも求めている。 |