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涙の河を泳ぎきって 旅は終わりを告げ、


耳にはめたオレンジ色のイヤホンから、耳に心地よいイントロが流れ出す。何回も何回も、もしカセットテープの時代に聞いていたらそれこそ擦り切れるほど、と表現してもいいくらい繰り返し聴いているその歌は、もうソラで歌えるくらいになった。この曲を初めて聴いたときは、歌詞の綺麗さに胸が震えた。今でも時々、退屈になった授業の合間にこっそりとノートの隙間に歌詞を連ねてみたりする。シャーペンでつらつらと書いたその言葉は、私の汚い字でも美しく見えてしまうのだ。
「ひかりーのーおとーにー、みちーびかーれてー…」
マフラーに口を埋めて、口パクだけで歌を歌う。頬を切るように冷たい風が身に染みる。あっという間に今年も年の瀬だ。この時期は毎年、年の瀬だからというだけで世間は本当に慌ただしい。私の知らない、大人特有の事情があるのかもしれないけれど、子供の私からしたら師走だからと言ってなぜそんなに慌てているのか首を傾げてしまう。学校への道を辿る私の両端を、同じように一緒の制服に身を包んだ人たちが歩く。みんな慌ただしそうに、急いでいる。これも、年の瀬だからだろうか。
クリスマスが近づいて、周囲の話題は来る聖夜に向けて広がるばかり。私は、その中でいつも所在なさ気に目を逸らしたり茶化したりしていた。今年ももちろん独り身だ。クリスマスは同志で集まってパーティをしようなんて寂しい話も出ている。だけど本当は。あの歌をなぞって、なんて恥ずかしいけれど、涙の河を一緒に泳ぎきってくれる人を、私はいつだって探している。
「ちょっと、ねえ、…みょうじ、サン!」
後ろからそう声をかけられたので、なんだろうと思いながら振り向く。イヤホンのボリュームは下げないままで、振り向こうと上げた私の足は結果的に宙ぶらりんのままになった。
「よかったっス。もう何度も呼んだのに、みょうじサン全然振り向いてくれねーから」
私は存在をしっかり知っている、けれど彼は私のことを知らないだろう人が、そこに立っていた。そして、これから先もずっと自分の存在など知ることがないであろう彼が。しかも、私の名字を呼んでいる。はあ、と吐いた息が外気に触れて白く濁った。私の分ではない、吐息だ。
「黄瀬、…くん?」
走ってきたのだろうか、少しだけ上気する顔と金色の綺麗な髪。大きくてきりりとした瞳が思い切り細められて、くしゃりとした笑顔になった。どうして黄瀬くんが、私なんかに。彼を、こんなに近くで見るのは初めてだ。
「そっス!黄瀬涼太っス!」
「…え、えっと、なんの用…デス、カ」
違うクラスとはいえ同じ学年だというのに敬語になってしまうのは彼の存在が特異なものだからだと思う。声が震えてしまったのが、自分でもわかる。恥ずかしいと思う前に顔が赤くなるのを感じた。熱を持ったほっぺたが、熱い。
「定期入れ、落としてたっスよ!ついでに学生証も入ってたし」
「あ。それで…名前、知ってたんですね」
「そうそう。もー、こんな大事なもん落としちゃダメだって!」
黄瀬くんが、めっ!とでも言うようにオーバーリアクションをとる。珍しいものを見る目をした人が、横を通り過ぎて行った。実際、珍しいものを見ているのだろう。
「あ、あり、がとうございます…」
寒さのせいではない、今度は自覚的な理由で声が震える。
「別にそんな、キョーシュクがんなくてもいいっスよ。はい、どうぞ!」
ぽんと、チェーンの付いたパスケースを手渡された。友達とお揃いにした、キャラクターの装飾が施されたそれは、黄瀬くんの手の内にあるうちは不揃いでなんだか落ち着かない。私の手に戻ってきてようやくしっくり来るような気がした。手袋をしていた私の手とは対照的に、黄瀬くんの手のひらは裸だ。寒そうだった。沈黙が続きそうになったので何か喋らなければ、と思った。寒そうですね、とかなんとか世間話で会話を繋ごうと、口を開く。
「好き、です」
口から出た言葉に一番驚いたのは彼でも横を通り過ぎていく学生でもなくて、多分私自身だと思った。意味が分からない。好きとか、何を言っているんだろう。今まで遠くから見ていることしかできない存在でしかなかったのに。まだ育ってもいない恋心を、いや、恋ともいえないそれを、あっさりと収穫してしまった。手元が狂ったのだ。そう言い訳してしまいたい。
「…え!?あ、いや、えっと、違くて、えっと!」
あたふたと口から言葉にならない呻きの羅列があがった。顔を思いっきり下に向けて、視線がローファーのあたりを彷徨う。黄瀬くんがどんな顔をしているのか私には見えなかった。見られなかった。
「べっ、べつにこれからのこととか期待してるわけじゃないんです!ただ…ただ伝えたくって、本当に、それ、だけで」
「えー、なにそれ」
その言葉に思わず顔を上げると、目の前で黄瀬くんが不満そうな顔つきをしていた。おもちゃを取り上げられた子供のように、口を尖らせる。黄瀬くんは、綺麗な唇をしている。
「こんな運命的な出会いしたのに。これからのこと、期待してくんねーの?」
その形の良い唇に魅せられて、私は彼から目が離せない。キラキラと、視界が瞬いて、閃いた。心の一番下で爆ぜた、言葉になんて上手にできないこの思いを、なんて呼べばいいんだろう。心臓がドキドキと鳴ってうるさい。
黄瀬くんがにっこりと笑う。それを見ていたら、ふいに泣きたくなった。彼のその大きな手のひらに、私の雫を落としてみたくなった。黄瀬くんならきっとこの涙を掬ってくれる。掬って、飲み込んでくれる。彼とならこの河を泳ぎきることができるだろう。私は今、そう確信する。

咲くのは 光の輪 高鳴るは、胸の鼓動


涙の河を、
song by YUKI 『プリズム』
(121204)