ブラックユーモアの海は文字通り黒くて深い。底なんて見えない真っ暗闇だ。私はそこに足をとられたまま、未だに浮かび上がれない。 「…ねーえーなまえっちー」 夕暮れ時の公園なんて彼氏と行くものだと思っていた。だのに隣に座っているのは彼氏でもなんでもない、かと言って友達とも呼べないような男だった。 「…なんか喋ってほしいっス」 「そんな気分じゃないんだよ」 黄瀬がはははと声をあげた。その顔に似合わない、枯葉のように乾いた声だった。 「そういえば今日桃っちがさ」 思い出したように黄瀬が口を開いた。自分の眼球が動かないように、全神経をそこに集中させる。桃っちがさ、その言葉の続きを、だけれど黄瀬は紡がなかった。 「…なんだ」 代わりに呆れたようなつまらないような顔をして、小さくため息をついた。 「…なによ」 「なんにも反応ねーから。ツマンネーって思って」 「黄瀬が何が言いたいのか、私には分からないよ」 「そんなこと言っちゃって、オレが知らないとでも思った?意識してるのバレバレっスよ」 「はあ?笑えない、」 それまで普通だった自分の声が急に震えた。ひゅうと喉が鳴る。こほんと一呼吸おいて、横に座る黄瀬をきっと睨みつける。 「…笑えない冗談はやめてよ」 黄瀬が私を見て満足そうに笑うものだから、殺意に近い感情を覚えた。 さつきが好きだと思った。もうずっと前から。これは恋だと思って、確信してやまなかった。しかし。私はレズだけど、そんな幻想に甘えられないくらいには現実主義者だ。それが正しくないことを嫌というほど知っている。どうせ叶わない。叶わないし、適わないし、敵わない。私はさつきの王子様にはなれないし、お姫様にだってなれない。配役を与えられなかった私は舞台上の、どこにもいられない。さつきが好きな人ができたというたびに、その好きな人とかいう男の話をするたびに、私は消えてしまいたくなる。同時にさつきを消してしまいたくなる。もう疲れた。私ははっきりと思った。だから思春期にありがちな、気の迷いだと思ってしまいたかった。 「好きだったのに」 「うるさい」 「なんでなかったことにしちゃうんスか」 黄瀬のいやに真っ直ぐな声が、私の心音を止めにかかる。なんでちゃらんぽらんなお前なんかに。そう思ったけれど口からその嫌味は零れる余裕はなかった。 「うるさいうるさいうるさい。もう決めたの。これ以上言うならあんたのムスコ踏み潰すわよ」 「おお怖い怖い」 「おちょくってる?黄瀬ってほんといい性格してる」 「褒め言葉として受け取っとく」 「死ね」 死ね、死ね、死んじゃえ。私のこの、苦くてしょっぱくて仕方ない気持ち丸ごと巻き込んで死んで、そして深くて黒い海に連れ帰ってくれ。黄瀬は犠牲になったのだ。そう私が後から編集してナレーションまでつけておいてあげようじゃないか。 「愛してるよ」 「は」 下を向いている私にはその言葉しか聞こえなかった。自分の体が固まるのがわかった。膝の上で握りしめていた拳の上から黄瀬の大きな手が、あまりにも自然に被さる。 「君が彼女を愛してるよ。それは嘘じゃないっス」 「…ふざけたこと言ってんじゃないわよ、刺すわよ」 「おお怖い怖い」 黄瀬がその金色の瞳を細めておどけるように微笑む。先ほどと全く同じ言葉を吐きながら、先ほどとは全く違った意味を内包させていた。 「愛してるよ」 黄瀬がもう一度呟く。まるで、自分自身に言い聞かせるようだった。私なんてここにいないかのような、小さな小さな呟き。そこから漏れ出るものに気付ないほど、私は鈍感じゃない。知らないふりをしていたいのだ。知らないことにしていたいのだ。私はもう一度下を向いた。 きせがわたしをあいしているなんて。 それこそ悪い冗談でしょう。私はできる限り乱暴に、黄瀬の大きな手を払いのける。黄瀬が少しだけ驚いた顔をしていたけれど、それを見つめる視界も徐々に曇っていく。濁ってゆく。反転暗転、おやすみなさい。さようなら、またの機会はございません。だってそんなブラックユーモア、ちっとも笑えない。 「愛してないよ」 ちっとも笑えないよ。 ブラックアウトユーモア (121103) |