ほしいものあーげる、ほしいものなあに。 彼女の線の細い声が、歌うような呟きで空気を震わす。背後から聞こえたそれにゆっくり振り向くと、想像通りなまえがにこにこと笑っていた。 「…急にどうしたんだい」 そう声をかけると少し駆け足になった彼女がふわりとオレの右腕をとった。彼女の首に巻かれた、タータンチェックのマフラーが風に靡いた。昨日まではマフラーなんてまだ少し早いような気がしていたけれど、今日は妙に肌寒い。冬が襲いかかろうとしていた。 「寒いね」 「そうだね…って、話を逸らしているだろう、なまえ」 「えへへ。辰也の腕は、温かい」 「もう、なまえってば…仕方ないなあ」 自分がなまえに弱いのはよく承知している。敦からもよく「室ちんはなまえちんに甘すぎだしー」などと言われてしまうのだ。何故だか頭が上がらないのだから仕方がない。このままいくと一生自分は彼女の尻に敷かれてしまうのだろうなあとぼんやりながら想像がつく。 「辰也、もしかして忘れてる?今日、辰也の誕生日だけど」 「…忘れているわけないだろう。さすがに、自分の誕生日くらいは覚えているさ」 そっか、よかったあ。となまえが安堵したような声を洩らす。何より昼間、学校でクラスメイトや友人、チームメイトからも祝ってもらったばかりだ。なまえからはまだ何ももらっていないけれど、とくに要求しようとは思っていなかった。部活が忙しい毎日だ。こうして一緒に帰れるだけでも幸せだと、素直に思う。 「で、なにー?私からプレゼントほしいって言わないの?」 「…なまえ、準備してるの?」 「何よその目!一応これでも彼女ですよー、しっかりこの日を楽しみにしてましたとも」 ぎゅっとオレの腕をつかんでいない方の手でガッツポーズを作る。顔はもちろん得意げだ。かと思えばその顔はふっと穏やかなものに変わる。まったく、彼女の表情の変化は見ている人を飽きさせない。風がびゅうと頬を撫でた。 「まあ、辰也は何がほしいのかなあと思って。だからプレゼントはまだ準備してないんだけどね」 「ふうん」 「辰也がほんとにほしいものって、なんなんだろうね」 「…さあ、オレにもよくわからないな」 笑いながらそう呟いて、心の中では悪態をついた。違うよ、なまえ。心の奥で呟く。オレは、本当はどこまでも貪欲で、惨めったらしくて、諦めることすらできなかった人間だよ。努力は報われると信じたくて、それが通用しないことも薄々だけど気付いていて、だけど未だに敗北者にすらなれない。諦めることができないから、現在進行形で努力をしているうちはまだ負けていないと思えるから、だからやめることすらできない臆病ものなんだ。 「辰也がほしいものはなんだってあげるよ。なまえちゃんの四次元ポケットでね!」 そう言うとしたり顔でお腹をぽんぽんと叩いた。どれだけ目を凝らしてもそこにポケットは見当たらない。 「この世のすべての富と名声とか?」 「うげ。辰也ってばそんなもの望むの?」 幻滅ー、となまえはげんなりした顔をした。 だから。こんなことを言ったら君は幻滅するだろうかと、オレは思う。ほしかったのはバスケの才能なんかじゃない。オレが求めているのは勇気だ。それは止める勇気で、捨てる勇気で、全部置いていく勇気。それを失くしても生きていく勇気。喉から手が出るほど欲しかったもの。 「ほしいものは手に入りそうなもの?」 「…わからないな」 「そっか」 それきり沈黙が続いた。通りにある民家の庭に生えているのだろう、金木犀の香りが鼻孔をくすぐる。あーあ。繋がれた手をぶらんぶらんとふりこのように振らせながら、なまえはそう言った。オレのほうを見たりはしなかった。 「ほしいものをほしいって言うのは、そんなに悪いことだと思う」 なまえが呟いた。それはオレに対する質問ともとれるし、答えを求めない独り言ともとれるような細やかな声だった。それには答えないで、ため息交じりにオレも呟く。最初の一声が情けないほど震えた。 「…オレ、なまえが思ってるより結構しょーもないよ」 「知ってるよ、ばあか」 なまえが悪戯な顔で笑った。乱暴な言葉からは想像もつかないほど優しい顔だった。オレはぎゅうと手を握り返す。なぜだか泣いてしまいそうだった。理由はわからない。ただ隣を歩くだけの彼女を、この苦悩をどうにかするためには何の力にもならないであろう彼女を、それでも愛しいと、そう思ったのだ。 歌うような声がもう一度囁く。ほしいものあーげる、 「ねえ辰也、ほしいものはなあに」 四次元ポケットを持っていない彼女は、まだ笑っている。 Crying for the moon HAPPY BIRTHDAY! 氷室 (121030) |