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「高尾くん?いらっしゃい」
「…久しぶりなまえさん」
「久しぶりだね。えーっと…どれくらいだ?ここのところ会議とか重なってたから、そうだなあ、…全然時間とってあげられなくてごめんね?」
「べっつにいいっスよー。それより、ね、なまえさん。オレ部活帰りなの。お腹空いちゃったんスけど」
「えー?そんなこと言われても私もさっき帰ってきたばっかだし、大したもの作れないよ?」
「いーよ。なまえさんの作るもん食いてー」
「…」
「…なに」
「カズナリは人をおだてるのが上手ね」
準備して作っちゃうわ、といってなまえは自らの髪の毛をシュシュで適当に縛った。いかにもキャリアウーマンというかっちりしたYシャツとスカート。薄い水色のボーダーがあしらわれたそのシャツはなんだか色っぽい。高尾はそれを横目で見つめながらソファに座った。なまえが高尾をカズナリと呼ぶときは嬉しいときなのだと、経験上知っていた。あまり耳に馴染まない、まるでカタカタ表記のようなカズナリという言葉。未だにざわりと心臓を撫でつける。
「ごちそーさまでした」
「お粗末さまでした。おいしかった?」
「おう、もちろん。ちょーうまかった」
「それはよかった。コーヒーでも入れよっか」
「…それもいーけど、」
「う、わ?」
席を立とうとしたなまえの腕を引っ張って手繰り寄せる。幸いにもまだ皿を持っていたので惨事になることはなかった。
「久しぶり会うんだからいちゃいちゃしよーよ」
「…ったく、高尾くんは、もう」
なまえはそう言いつつも高尾の膝の間にすっぽり収まる。さっきとは違いシンプルな部屋着に着替えてしまったなまえからする匂いが高尾を落ち着かせる。お風呂に入ったわけでもねーのになんでこんな匂いがすんだろな。高尾はなまえを腕の中に収めながら不思議に思った。
「…じゃあ、近況報告しようか」
「そうっスね」
「私、高尾くんの話聞きたいな。ほら、なんていったっけ、緑間くん?私、あなたと彼の話、面白くて好きよ」
「あー、あいつね。相変わらずだよ。性格もイミワカンネーけど、同じくイミワカンネーくらいバスケに夢中。あと相変わらず鉄仮面」
「そっか、相変わらずね」
「だけどこの前の試合、…初めて、あいつの涙を見た気がするよ」
「…」
「…あ、別にオレ試合に来れなかったこと責めてるつもりないっスよ?」
「ごめん。…行きたかったんだけど、でもどうしても仕事が抜けられなくて」
「はは、社会人にそこまで無理強いするつもりねーっスよ」
「…見たかったんだけどな。高尾くんがバスケするところ」
「まあ勝ってたら次の試合来れるって言ってくれてたし、それだけで十分。むしろ勝てなくてゴメンナサイって感じ?」
「…私体育会系の部活入ってなかったし、こういうときなんて言っていいかわかんないんだけど、でも、…お疲れ様」
「あざーっす」
イヒヒ、と高尾は両の頬を思い切り持ち上げて笑う。なまえは前を向いているのでそれを視認することはできなかったが、その声に少しだけ安堵した。その後も話は続く。高尾の声が弾んで、それになまえが相槌を打った。
「今度はなまえさんの話聞きてーな」
「私の話?…うーん、とくに代わり映えのしない毎日を送ってるからなあ」
そう言ってなまえも最近自分に起きたことをつらつらと話し出す。時折笑いを混ぜつつ高尾が相槌を打った。上司に怒られたこと、お弁当の盛り付けを隣の席の同僚に褒められたこと、飲みに行った席であった笑える話、最近初めて知ったこと、通勤途中に読んでいた本、その中のお気に入りのセリフ。最近よく注文するスタバのメニュー。つらつらと、そんな他愛のないことを話した。それを共有できることが心底嬉しいのだと、高尾の声が語っている。なまえもそれを理解しているから饒舌になる。ようやくネタも尽きて、純度の高い沈黙が訪れた。ずっとこのままでいられないかな。なまえは眠りにつきそうになりながらも頭の片隅でそんなことを思った。それも高尾の一言でかつん、と固まる。高尾は消え入りそうな声で、なのにはっきりと呟く。
「どこにも行かないで」
「…高尾くん?唐突ね。どうしたの」
「はは、オレが最近読んだ本の、一節」
「その前に高尾くん、本なんて読むの?」
「正しくは真ちゃんが読んでた本をチラ見したの」
「それ、読んでるって言わないよ」
「…大人はずりーな」
「…今日の高尾くんは不可解ね。それも、本の一節?」
「大人はずりーよ」
なまえの問いには返さずに、高尾はもう一度そう言った。そう言って、後ろについていた手をなまえの首に手を回した。なまえはくるりと高尾の方を向き直し、その広い肩を覆うようにぎゅっと抱きしめる。困ったようなため息が高尾の耳元で聞こえた。その声に心臓がきゅうと締まるのを感じる。カズナリは時々捨てられた子供みたいな目をするね。いつかなまえに言われたことを、高尾は思い出していた。全くその通りだと自重の笑みを浮かべた。高尾は怖いのだ。高尾がいなくても簡単に生きていってしまえるであろうなまえが、そしてそんな彼女に自分が干渉できない未来が存在することが。今ここにある自分そのものが意味を失ってしまうのが。そしてその未来が、いつか必ず訪れてしまうことが。そんな、吹けば消えてしまいそうな今のこの時間をなまえと共有できていることが、なまえと抱きしめあえることが、嬉しくて、幸せで、なのにどうしようもなく悲しい。失われつつある幼いころの記憶への憧憬に少し似ている。
「好きよ、高尾くん」
「…よくゆーよ」
これだから大人はずりーよ、ちくしょう。高尾は心の中でもう一度毒づく。表面立って悪態をつきたい気持ちだった。なまえはそんな高尾の気持ちも知らずに、高尾の骨ばったうなじに顔を埋める。まとわりつくなまえの髪の毛が鬱陶しかった。香るのはやっぱり、同世代の女子からは決してしないような、甘いだけではない匂い。こんな曖昧な気持ちを、目の前のなまえには理解できないだろうか。それともどこかで仕方ないなあと思っているのだろうか。そうじゃないとしたら自分にもこんな時期があったなあと過去に思いを馳せているのだろうか。高尾は考えられるだけの可能性を上げて、そしてそれを霧散させた。酸素を吐き出そうとする喉が震える。
「オレはいつまであんたを好きでいていーの」
「なんでそんなこと聞くの?ずっと好きでいてよ」
「…よく、ゆーよ」
それは無理だよなまえさん。1足す1は?と問われたときのようにすんなりと、当たり前の解として何よりも先に導き出されたのはその答えだった。夜が終われば朝が来るように。今日が終われば明日が来るように。そして昨日には二度と戻れないように。当たり前の事実として、それはこれからもずっと高尾の目の前に立ち塞がるのだろう。ああそうか。高尾はようやく気付く。

先に線を引いたのは自分の方だったのだ。


イエスは導かない
(121013)