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さつきは私をよく苛立たせた。
「青峰くん」
「おう、さつき」
歌うように奏でるように、彼女の形のいい唇が弧を描く。遠くから見ていても彼女が青峰という男を、恋慕なのか親愛なのかはともかくとして、好いていることが簡単に読み取れる。うんざりするほどドロリとした甘い響き。誰よりも鋭く誰よりも巧妙な彼女が、唯一隠さない「あざとさ」。訂正したほうがいいかもしれない。彼女の口から零れ出る「あおみねくん」が、私をよく苛立たせた。
「なまえ」
「さつき」
「こんな時間まで残っているなんて珍しいね、どうしたの」
「さつきの練習が終わるのを待ってたの。さつきと一緒に、帰りたくって」
「そうなの?嬉しい!なら早く着替えてきちゃうね」
「待ってるね」
体育館の出口でさつきを待ちながら踵をとんとんと地面に打ち付けていると、汗だくの集団が通った。上背の高い連中の中で、ひときわ眼光の鋭い男と目が合う。青峰だ。私は何も言わなかったし、青峰も何も言わなかった。ただ通り過ぎるまで目だけは逸らさなかった。私にはそれだけしかできないからだ。もうしばらく待つと、お待たせとソプラノの鳥が歌う。制服姿のさつきが出てきた。
「なまえと帰るの、久しぶりだなあ」
「そうだね」
「最近いつもすぐ帰っちゃうんだもん」
「だって見たい再放送があるから」
「ふうん」
「…」
沈黙で返した。苛立ちは刺々しいままで私の奥に存在している。
「…で、どうしたの」
「は?」
「何かあったのかなあと、思って」
さつきがなんでもないことのようにさらりとそう零す。歩みのスピードはまったく変わらなかった。
「なまえは、あんまり人にそういうこと言わないもんね」
「…そんなことないよ」
校門を出て、電灯がぽつぽつと灯る道を歩く。空が茜色から藍色に色を変えていく。
「それに、さつきには言わない」
なるべくひどく聞こえないように、坦々と呟いた。さつきは困ったように笑ってひどい、どうしてなどと言った。私の視界が藍色に染められていく。隣の桃色は映らない。
「だって」
「だって?」
「だってさつきはきっと私を捨てるもの」
「どうしてそんなことを言うの?捨てないよ。それに、捨てるだなんて。友達なのに」
「…」
「なまえ、どうしたの?ひどい顔をしてるよ」
「さつき、私ね、」
「…うん?」
「私、あんたの青峰くんが、欲しい」
さつきの大きな瞳が見開かれるのを、黙って見ていた。珍しい、でも期待通りの表情の変化に、ざまあみろと思って鳴り止まない鼓動。その裏で、誰か知らない、私にそっくりの女の子が泣いていた。実際のところ、私は自分がさつきを好いているのか嫌っているのか、よくわからなかい。羨んでいるのかも憎んでいるのかも、よくわからない。その対象がさつきであるのか、それとも青峰であるのかも。私が本当に青峰に恋慕を抱いているのかも。ただ。ただただ、苛立たしい。その一言に尽きる。足を止めるさつきを無視して、私は歩を進めた。さつきが慌てたようにぱたぱたとあとを着いてくる。さつきはすぐに亀裂を作ったりしない。もう友達でいるのは無理だね。少しずつ、不自然にならないぎりぎりのラインで上手に私にそう感付かせる。確信できる。そのわざとらしさが致死量に達したとき、きっと私は彼女を殴るだろう。そして殴りながら呟くのだ。こんなはずじゃなかったのに。こんなはずじゃなかったのに。そう何度も何度も。私の小さな拳なんかじゃ、彼女を傷つけることなんてきっとできないのだ。喉の奥を小さな粒子が流れていく。とろけるように甘ったるい砂利だ。彼女が好いていたブラックコーヒーに浮かぶあの絶望と、よく似ている。



かなしいのかな



卑怯なのはわたしで、狡猾なのもわたしで、じゃあ

title by 金星
(120928)