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つらいときとか泣きたいときにぐっと飲み込む唾の味って、どうしてこうも刺々しいんだろう。せめてそこくらい優しくてもいいはずなのに。喉がひりひりなって、それなのに現状は全然変わってくれなくて、私はいつもそれは唾のせいなのだと悪態をついていた。いつもいつも。

「どうしたんだよこんな時間に」
「べっつにー。ただ、そうだな、うん。木吉を利用しようと思いまして」
「ははっ、なんだそれ。暇潰しかよ」
「まあ座んなよ。これ、あげる」
「おお、缶コーヒー。気が効く。さすがオレの彼女」
「褒めても何も出ないわよ」
「コーヒーが出たな」
「…そうだね」

深夜の公園は外灯までどこか冷たくってよそ者顔だ。お前はここの主だろう。きっとこの外灯、もし私がここで暴漢に襲われても助けてくんないんだな。そんな顔をしている。木吉が私の横に腰掛けた。缶コーヒーからもうもうと立ち上がる湯気が外灯を反射してそこだけ白く濁った。寒いなあ、なんて呟く。そうだね、と答える。ひどく白々しいなあと思う。

「で、どうしたの」
「…だから、別にどうもしないって。そうだな、簡単に言うと木吉に会いたかったかな。最近ちゃんとあえてなかった気がするし」
「ふうん」
「…はい、それでは木吉くんに質問があります」
「なんだ?」

木吉が私を見て不思議そうな顔をした。湯気は依然として、勢いよくあがっている。

「私と作るこれからの人生設計について一つ語っていただきたい」
「…なんだそれ」
「どうぞ、シンキングタイム10秒」
「短っ」
「じゅー、きゅー、はちー、ななー、ごおー、…よんさんにいいちっ!」
「最後早すぎだろ」
「ぜーろー!それでは木吉さん、どうぞっ」
「んー…てか10秒短すぎだろ」
「ねー。だよねー」

「なんでそんなふうに、あの人たちもちゃんと時間かけて考えなかったんだろうね」

「…うん?」
「はい、それでは聡い木吉くんにもう一つ質問です」
「ああ」
「ある少女がいました。お父さんが少女を捨てて出て行ったとき、あとから愛人が複数いたと知ったとき、友達にあんたなんか嫌いと言われたとき、お母さんに新しい恋人ができたとき、その情事を見ちゃったとき、新しい弟ができたとき、家族の中がやっぱりうまくいかなかったとき、弟が学校でいじめられているのを知ったとき、それだけじゃなくて弟がお母さんにいじめられていることを知ったとき、親友だと思っていた子が少女の彼氏と内緒で付き合っていたと知ったとき、お母さんが新しい父の悪口を私に吹き込むとき、新しい父が少女を一度も怒ったことがないと気付いた時、もう家族が、なんにも機能していないのだと悟ったとき、そしてそれに長い間気付けなかった自分を振り返ったとき、愛なんてものがこの世の中で何の意味も持たないのだと結論づけたとき、少女は何を思っていたでしょう」
「…なにそれ」
「これは実は道徳の授業です」
「なんだそれ…えーと、悲しいとか、苦しいとか、いやだとかかなあ」
「残念。不正解です。スーパーひとしくん没収」
「残念だな」
「答えは、なーんだやっぱり、でした」
「随分さっぱりした答えだな」
「…まあ、なーんだやっぱりのあとにはいろいろつくかな。やっぱりそうかとか、やっぱり駄目だったとか」

ふうん、と木吉が下手な相槌を打ってコーヒーを口に含んだ。甘ったるいだろう微糖のコーヒーがゆるゆると舌の上で転がされて嚥下される。喉元がゆっくり動いた。私はそれを見つめてから、話しだす。

「でだ。木吉クン。実は随分前から気付いていたんだけど。私はどうやらそういう人間らしいんだよ、なんにも大事にできないし、なんにも大事だと思えない、家族さえも、わりとどうでもいいと思ってて。そのくせ不幸だってずぶずぶ自分に溺れている、自分が作り上げた矮小な世界を許せない、そういう人間らしいんだよ」
「…はい?」
「というわけでそれを脱却しに来ました」
「…どういうことだ?」
「だから最初に言ったでしょ、木吉を利用しにきたって」
「…」
「…木吉、私を可哀想って言ってよ。しょうがないって、仕方ないって、お前のせいなんかじゃないって言ってよ」
「…」
「私は、そうしてくれないと可哀想なんかじゃないって、思えないんだよ」
「なまえ、」
「可哀想なまんまなんていや。誰かを嫌いになるのも、嫌われるのもいや。これからもこんな思いをしていくのも誰かに私と同じ思いをさせるのもいや、全部いや。強くなりたい、泣き虫のまんまはいやだ。私、子供かもしれないけどさ、本気で思ってるの。一人で生きていけるくらい、強くなりたいの」
「いやだ」
「はあ?」
「泣き虫のまんまでいてくれないとオレが困る。だからなまえは可哀想なんかじゃない」
「な、にいってんの」
「だってそう思えばお前は可哀想なまんまでいてくれるんだろ?なら、言っただろう。なまえは可哀想なんかじゃ、ない」

これがオレの答えだよ。毅然とした瞳で、木吉ははっきりとそう言った。交渉は決裂だ。ここにはもういられない。もともと縋ったのが間違いだった。私はまた、間違った。一人で生きようって言いながら、この体たらくはなんなんだ。こんなときに呼び出して、都合のいい時だけ悲劇のヒロインなんて、そんな女が木吉と一緒にいられるわけ、ないでしょう。木吉が拒否してくれないと、また痛い思いをしてしまうでしょう。私はだから、木吉と一緒にいたかったから、可哀想で、いたくなかった。それなのに。木吉は私を可哀想だという。ならもう一緒にはいられない。これが逃げだって?分かってるよ、そうだよ逃げだよ。これは逃げだよ。私は怖いんだよいつだって、いつだって誰かに、捨てられるのが怖いんだよ。だから全部自分から先に捨ててきたんだよ。お父さんがくれたぬいぐるみも、友達と取りあいっこしたおもちゃも、努力も現実も全部全部。いらないっていって、どうでもいいふりをしてきたんだよ。だって傷つくのは怖いじゃない。ふうん、そうなんだ、やっぱり、私には相応しくないねって諦めてしまった方が楽じゃない。自分がもう一人ずっと遠くにいて、そこから見てるんだ、だからこれは私じゃないんだ、だからぜんぜん、痛くもかゆくもないんだ、ただ、やっぱり駄目だったかあって思った方が、そういう自分になったほうがずっと痛くないじゃない。傷つきたくない、傷つけたくない、苦しみたくない、苦しめたくない、期待したくない、期待させたくない、でも惨めになるのだけは、絶対いや。ならせめてほんの少しの失望と、やっばりねっていう安堵が、この胸に残ればいい。分かってましたよ最初から、っていう、ちっぽけな達観。それで他の全部がチャラになるなら、ああやっぱり駄目だったかあ、仕方ないなあで終わらせてしまったほうが断然いい。木吉のこともそんなふうに思っていた、はずなのに。罰が当ってしまったのかな。私が木吉を、ほんの少しだとしても本気で、欲しくなっちゃったから。わかってるよ。わかってたよ最初から。
そんなふうにずるい私をさ。誰も、本気で好きになってくれるはず、ないじゃない。

「じゃあ、もう木吉とはバイバイだ」
「はあ?…なあ、ちゃんとオレの話聞いてた?」
「だって私、可哀想なまんまじゃ木吉の隣にいられない、木吉はでっかくて強くて眩しい。今の私には、それが強すぎる」
「オレは、これからもお前に隣にいてもらうためにそのまんまでいてって言ったんだぜ?」
「…だって」
「なまえ、別に変わんなくていーよ。一人で生きていけるようになりたいなんて、そんな寂しいこと言うなよ。そのまんまの、卑怯で情けなくて冷めててどっか違うところ見てる、可哀想ななまえでい―よ」
「きよ、し」
「だからオレを、ちゃんと利用しろよ」
「…はあ?…ふざけてんの」
「いーの。オレもお前を利用する、オレを好きなお前を、オレはいつだって利用してる。これでおあいこだろ」
「意味わかんないよ」
「だってなまえ、オレのこと好きだろ。どうしようもねーくらい」
「…なんで自信満々なの」
「さあな?」
「…」
「そんで、そんなオレを可哀想って思ってくれてて、いいから」
「…たとえそうだとして、百歩譲ってそうだとして、でもそんなの、そんなの木吉が不公平じゃない、不利じゃない、そんなこと言って、私をこれ以上惨めにさせる気?意味わかんない、馬鹿じゃないの」
「馬鹿でい―よ」

「馬鹿でいいから、惨めになんてさせないから、オレのために、オレと一緒にいて」

木吉がそう言って笑ってから上を見上げる。私もそれにつられて上空を見つめた。幾千もの星が瞬いているのだろうけど、生憎外灯であんまり目視できなかった。あの星が爆発するころ、もう一度きらきら輝くころ、世界は終わっているのだろうか。それとも新時代が始まって、もちろん馬鹿馬鹿しい戦争なんてものも相変わらず勃発していて、貧困に苦しむ人もたくさんいる、相も変わらない世界が続いているのだろうか。無条件の優しさがいつか人を殺すこと、木吉は知っていたのだろうか。私は、そんなふうに誰かの手をとってしまってもいいのだろうか。私は私の世界を許せない、それはここに来たときと変わらない。木吉に缶コーヒーを手渡したときと何も変わってくれていない。世界は一瞬で色づいたりしてくれない。私は明日も、多分そこそこに不幸で、だけど絶対にそこそこに幸せなんだ、そんな温い世界で息をしていくんだ。可哀想なのは私も木吉も、おんなじだ。木吉の手は、最後まで決して私に触れなかった。頭をなでることも、手を握ることも、キスをすることだって。なのに不思議なくらい暖かくて、それが思わず泣いてしまった理由だなんて、恥ずかしくて言えやしない。「そんで、オレと一緒にさ。他の誰でもないオレのために、なまえに優しい世界を作ろう」そんなものがあればいいのになんて一瞬でも思ってしまったことも、これから先絶対に、死んでも言えやしない。木吉は私に触らない。ただ、笑っているだけだった。優しい手のひらから上がる湯気はいつの間にか止んでいた。


星下の藻屑



(120909)