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「今日は、大丈夫なんですか」

黒子くんが私にそう問いかけてきたので、私は最初何のことかわからなかったけどすぐに時間のことかと合点がいった。気付けば空も少しずつ昼間の明るさが引いていっている。夏だからまだまだ暗くはないとはいえ、夕方とはもう言えないくらいの色だ。体育館の中は昨日と同じように蒸れていた。

「時間?大丈夫だよ、おばあちゃんに交渉してきた」
「厳しいんじゃ…?」
「それがね、話してみたら意外とすんなりオッケーもらえちゃった」
「へえ。でも、それはよかったですね」
「やっと飯かあ、今日も頑張ったな!」
「木吉くん。お疲れ様ー」
「おうみょうじ、おつかれー。どうだ?キツくなかったか?」
「うん、楽しかった!それに、選手の方が絶対きついじゃん。すごいなあって思っちゃったよ!」
「まあ、オレらは好きでやってるからなあ…なあ、黒子?」
「まったく同意です」

黒子くんが真顔で頷いた。でも、私はそれすらもすごいなあと思う。好きなことを好きって言うのも、好きでい続けるのも実はすごく難しいことなんだなあって、歳をとるたび思うからだ。だからこそ誠凛バスケ部のみんなはすごいのだ。キラキラ、しているのだ。

「なまえちゃん、今日はありがとう」
「リコちゃん!お疲れ様!ううん、楽しかったよー!こちらこそありがとう」
「…明日も、来れる?」
「いいの?うん、来れる来れる、全然来れる!」
「じゃあ助かるわ!明日もよろしくねー」
「うん!ありがとー!…じゃあ、そろそろ帰ろうかな」
「そっか、なまえちゃん帰っちゃうのか。じゃあ日向くん貸したげる。日向くーん!ちょっとお!」

リコちゃんが日向くんを大声で呼んだ。少しめんどくさそうに頭の後ろを掻きながら日向くんがこちらにやってくる。ニヤニヤしてしまいそうな頬に手を当ててぐっと堪えた。

「あー?どうしたんだよ」
「日向くん。なまえちゃん、帰るらしいから。送ってってあげて」
「はあ?なんでオレが」
「あー、リコちゃんいいよ。私、一人でも帰れるから」
「なに言ってんの、そういうわけにもいかないでしょ!」
「そ、そんなに道も暗くない、し、ぅえ?」
「帰んぞ」

むんずと腕を掴まれてぐいぐいと引っ張られる。みんなも口をあんぐりと開けて私たちを見ていた。だけど多分一番間抜けな顔をしていたのは私だっただろう。おいおい日向くん、一瞬前はなんでオレがとか言ってたじゃない。なのになんで手とか掴んでんの、なんで一緒に帰ってくれてるの。ねえ。


「…日向くん、送ってくれてありがとう」
「こんくらい別に、全然だろダァホ。てか想像以上に近そうだし」
「うん。この前抜け道を発見してですな」
「なんだそれ、ハハ」

日向くんがようやく笑った。笑った顔を見てほっとしてしまう。基本的に、日向くんはあんまり笑わないから。私に笑いかけてくれないだけなのか、もともとあんまり笑わないのかわからないけれど。木吉くんに怒鳴っている姿が印象的すぎるのかもしれない。

「それに、帽子も」
「あー。あれな」
「正直、ちょっとだけキツかったから助かっちゃった」
「…そーかよ。ならよかったわ」
「ありがとうね」
「…みんな、実は心配してたから、気にすんな」

沈黙が私たちを覆った。こつんこつんと靴が地面を蹴る音がしている。ようやく夕闇が迫ってきた。夜が近い。しばらく歩いていると家の近くまで来てしまった。名残惜しいけど、お別れだ。「もう家だ。ここでいいよ」そういうとぼんやりしていた日向くんはふっと我に返ったかのように、私を見た。驚いた顔が可愛いなと思った。門を開けて、するりと中に入る。門を締めて、日向くんにもう一度さよならを言おうと振り向く。すると、日向くんの筋肉がほどよくついた手がにゅるりと伸びてきた。私の頭を、ぽんぽんと撫でる。私がぽけーっとしていると、また我に返ったのかわ、わりぃ!と慌てた顔になりじゃあな!と叫んで走っていこうとした。

ねえ、日向くん。なんでそんなことするの。ずるいよ。これ、溢れだしたら、止まんないんだよ。

「ねえ!日向くん!」

日向くんの名前を呼ぶ声が、弾む。

「私、日向くんのこと気になってるみたい!」

ビーカーから溢れ出した上澄み液は、ぽたんぽたんと零れていって、あっという間に辺りは水浸しになってしまった。

「…は?」
「いいかな!」

足を止めて振り向く日向くんの間抜けな顔が目に入った。上に広がるマーブル模様の空が目に刺さってなんだか泣きたくなった。それでも口の動きを止めることが、私にはできない。

「私、日向くんのこと好きになっても、いいかな!」

声が、弾んで、音になる。