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カビは、水では退治できないと聞いたことがある。

考えてみれば当たり前のことだった。カビというのはそもそも水を触媒として増殖していくのだから。以前私の不始末で部屋の一角にカビをはやしてしまったとき、どうしていいかわからずとりあえず水でしぼった雑巾で拭いてみたところ、次の日もっとひどいことになっていた。あまり思い出したくない記憶だ。すぐにお母さんに泣きつくと、ひどく怒られた上に除菌用アルコールを渡された。そう、カビを退治するにはアルコールが必要なのだ。エタノールや、オキシドールといったものだろう。アルコール、それから乾燥。カビの想像以上の繁殖力とその退治方法に私は驚かされた。

×××

「なまえちーん、おはよう」
「…びっくりした。敦くん、おはよう」
「今日も赤ちん見に来たの?」
「…うん」
「なまえちんって大人しいくせにそういうとこだけ大胆だしー」
「えへへ…」

朝、体育館の隅でこそりと中を見つめていると、後ろから敦くんに声を掛けられた。敦くんはいつものように眠そうに目を瞬かせながら私を見下ろしている。

「そんなにしなくてもオレが赤ちんに紹介してあげるのに」
「うーん、別に、懇意になりたいわけじゃないから…」
「変なやつだなあ、なまえちんは」
「…ただ、見つめているだけでいいかなって」

敦くんはそっかーと別段興味もなさそうなそぶりで体育館の中に入っていく。敦くんの、そういうところに私は好感を持っている。すでに中にいた赤司くんがおはよう敦と声をかけるのをこの耳が拾った。赤司くんの姿を見つけるとこの目の視力はぐんと上がるし、それは聴力に関しても同じだった。
自分でも、少し常軌を逸していると思う。というか、いつもの自分の内向的な性分からは想像もできないくらい私は赤司くんに執着していた。だけど別に赤司くんと話したいとか付き合いたいとか、そういう感情は全く浮かんでこないのだから不思議だった。いうなれば私は赤司くんの傍に落ちてる石ころなんかになりたかったのだ。それも、赤司くんにぴったりついていく石ころに。

×××

「なんかさ、みょうじさんって気持ち悪いよね」
「うん…なんであんなに赤司くんにべったりなの?」
「しかもいつも見てるだけってのが、また不気味」
「言えてる、アハハ」
「んー、金魚のフンみたいな?」
「っていうよりはもっとジメジメシてるから、あれだよ、あれ。カビみたい」
「やばい、的確すぎて笑える」

あまりにもひどい腹痛に襲われて、トイレの個室に籠っているときだった。トイレの外からふいにそんな声が聞こえた。ぐるんっと、視界が一回転するのがわかった。耳鳴りがする。きっと今赤司くんがここに居たって、見つけることもその声を聞き取ることもできないだろう。トイレの外はいつの間にか静かになっていた。さっき喋っていた女子生徒たちはいつのまにか出て行ってしまったらしい。カビみたい。名前も知らない、知り合いかもわからない女子生徒の言葉が耳にこびついて離れない。カビみたい、カビみたい、カビみたい。何度も反響する。

×××

「なまえちーん?なんか、消毒液臭くない?…って、何してんの!?」
「あのね、敦くん。…カビは、水じゃ落ちないんだよ」
「意味わかんねーし!ちょ、止めろって」
「厄介な、カビは、落とさなきゃいけないいんだよ」
「なにこれ!?エタノール!?何してんのまじで」
「敦くん、どうしよう、落ちないよ。消えてくんないよ」

私は途方に暮れる。さっきから一向に消える気配がない。私は私を消してしまいたかった。擦っても擦ってもその皮膚が赤くなっていくだけで、そのほかにはなんにも変ってくれなかった。敦くんが珍しく困った顔をした。煩わしいという顔ではなくて、それは困ったという顔だった。戸惑いながら私を抱きしめる。私はそれを拒むことができなかった。ぽろぽろと両目から水が零れてくる。どうしよう。このままじゃ消えるどころか、カビが増殖してしまう。早く泣きやまないと。そう思うのに涙は止まらなくて、私は泣き続けた。エタノールを染みこませたティッシュが、惨めだというように辺りに散乱した。カビは水じゃ落ちないらしい。私の中のカビは休むことなく増殖を続ける。私はまだ、泣き続けていた。




水に溶けた明日



続きます。 title by 金星
(120901)