月並みな表現になるが、穏やかに笑う人だと思った。にこりというよりはふわりと笑うという表現が当てはまるだろうか。細められた目元にはまるで化粧気が感じられないのに華やかさが感じられた。オレは生憎化粧のことなどわからないのだが、とにかくそうだと思ったのである。高尾のようなうざったい奴がしつこく話しかけてもいつもやんわり笑っている。そのくせ話はきちんと聞いているし返しの言葉も機敏が効いている。彼女に似合う花は桜だななどと、柄にもなくそんな事を思った。そして桜の花が似合うのに、どこか秋の雰囲気を持つ人だった。 「みょうじさん」 「…ん?なあに、緑間くん」 コートを見つめるみょうじさんの後姿に声をかけると、一拍置いて振り向かれた。どうやらコートの中の動きに集中していたらしい。特に驚いた様子はなかったが、いつもならすぐに反応が返ってくるのにそうではなかったのがいい証拠だ。 「いや、とくになにもないのですが」 「なによそれ。緑間くんは、休憩中?」 「ちょっと汗が目に入って痛かったので、水道場に行ってました」 「…そうなの?大丈夫?」 審判役の生徒がホイッスルを吹く音が聞こえる。コートの中ではオレ以外のレギュラーが最後の調整の5対5をしていた。走り回る先輩たちや高尾は汗をだらだら流しながらも、どこか顔が晴れやかだ。それを見ていると自分の足も無意識にむずむずするのを感じ取る。 「緑間くん、最近ようやくここに馴染んできたもんね。やっと敬語も板に着いてきたし」 「…今でもまだ、たまに出てしまいます」 「ははっ、いいのよ。それが緑間くんだもん」 「…そう、思いますか」 「思うよ―。…それより、頑張ってよね、今度の試合!」 「もちろんです」 「負けたら私は、これが最後だから」 「そう、ですね」 「それで、これが終わったら、もう卒業だしね」 その前に受験があるんだけどね、と少しだけ困った顔をするみょうじさんを見つめる。来年の春には、みょうじさんはもうここにいなくて、だけどオレは来年の春も夏も秋も冬も、ここで今とおんなじように季節を越していくのだろう。みょうじさんの分の空白は、それならだれが埋めるのだろう。そう思っていると、汗だくのオレの腕をみょうじさんが静かにとった。突然のことに一瞬、びくっと体が震えるのが自分でも分かった。みょうじサンの目がすうと細められた。まるで大事なものを見つめるような瞳だ。対象はもちろんオレの手なのに。 「綺麗な、手をしているね」 「…まあ、手入れは欠かしませんから」 「うん。きっとこれは神様に愛された手だね。バスケットをするために、ううん、それ以外でも」 「…」 「この手に愛される人は幸せだろうなあきっと」 「それなら、」 あなたがその人になってくれませんか。その言葉が喉元まで出かかった。ダメだ、今はまだ。動揺しているのが悟られないように、ごくりと飲み込む。飲み込んだ唾液はなんだか熱かった。みょうじさんの瞳がくるりと動いてこちらの目と視線が合わさる。 「…?それなら?」 「なんにも、ないのだよ」 「なにそれ?あはは、それに、また敬語抜けてる」 「…みょうじさん、見ていてほしい」 眼鏡のフレームが下がってきて気になるなどと自分でも分かりやすいほど唐突に別のことに思考を働かせた。照れ隠しだ。分かっている、これ以上ないほどに。みょうじさんがぽかんとした顔でこちらを見ていた。 「負ける気は毛頭ないのだよ」 あなたのために優勝カップをとってきます、以前本で読んだ言葉が浮かんだけれど、そんなこととても言えないので、今日のところはこれがオレの精いっぱいだ。もしこれが終わったなら、みょうじさんの涙とともにある優勝カップ、そんな未来があるならあるいは。いや、考えるのはまだ止めておこう。照れ隠しに眼鏡のブリッジをくいとあげた。みょうじさんが数秒遅れてようやく笑う。「期待してるね、緑間くん」それは猫が眠りにつくような、午後の日差しのように穏やかな笑みだった。 君の呼吸が欲しいんだ 素敵企画慈愛とうつつさまに提出します。参加させてくださりありがとうございました! (120827)伊都 |