赤色のソファはこの部屋の家具の中でもとくに可愛くてお気に入りだった。涼太は口を尖らせて「えー、黄色がいい」とかゴネていたけれど無視してこれを買ってよかったと心から思う。二人で座れるようにと買ったソファ。今日も二人、肩を寄せ合って座っている。 「クーラーの風、直で当たって寒いんだけど」 「えー?んなことねえって!これくらいがちょうどよくないスかあ?」 涼太の長くて綺麗な指が、私の髪で遊ぶ。くるりくるりと梳かれる髪の毛は、涼太のために伸ばしたものだ。テレビがちかちかと光っている、私はとくに注目していなかったのだけど、涼太は違うみたい。ときおり笑っている。違うんだよなあ、私たち、こんなに近くにいるのにどうしようもないくらい別個の生き物。このまま何も知らないままでいてくれたら。何も知らないままでいられたら。こんな何気ない日常はいつまでも続くのかな。 「へへー、スキありっ」 「げっ、膝重い、折れる」 「うーん、ふにふにして気持ちいいっス」 「ケンカ売るの禁止ー」 「えー、なんでっスか、売ってねえし」 「あと下アングルから覗くのも禁止ー」 「なまえわがまま!」 そう言いながら私の膝にごろりと倒れてきて、涼太は笑う。この笑顔も、あれもこれも全部私のもの。そう言いきれないのはなぜだろう。ねえ涼太、今何を考えている?バスケに打ち込んでいたあの頃の面影を残したまま、だけど私たちはいろんな、余計なことを知りすぎてしまったね。そうだ、ならばこれは全部余計なことだ。 「…好きだったなあ」 「はあ?なにそれ、どういうこと」 「…どうやら私は今口が滑ってしまったようだ」 「なんスかそれ、なんで過去形なの…オレ、別れねーよ」 「…そんな話してないじゃん」 「だって、なまえ今オレのこと好きじゃねーじゃん」 「…好きだけど」 「…言っとくけどオレ、浮気なんてしてねースよ。なーんか勘違いしてるみたいだけど」 「…ふうん」 「なに勝手に悩んでんの。ちゃんと言えよ、わかんねえから」 「…涼太のその口が悪くなるとき、ちょっとかっこいいよね」 「茶化すの止めろって」 「うそうそー。ねえ涼太、好きだよ」 「…ほんとに?」 「ほんとに。涼太だって勘違いしてる。お互いさまだったね、ごめんね」 「…オレはなまえだけが好きだから」 「ね、…チューしよっか」 唇から伝わるのは私より少しばかり高い温度。な、はず。自然と私も目を閉じる。涼太から安心したような、雰囲気が伝わった。 だけど。もうね、戻れないんだよ。どうしようもないくらいに、あそこから離れすぎてしまったんだよ。はは、あそこってどこだろ。私はどこから来て、どこに戻るはずだったんだろ。パリン、と聞こえる剥離音。何かが剥がれて零れて落ちる音。まだ泣けないなあ。涼太がもうやめようっていうまでは隣にいるよ、だからさよならは先に言ってね。人間が、繋がったところから気持ちが全部伝わるみたいな構造だったらよかったのになあ。伝わんないなあ。触れている唇は熱くて仕方ないはずなのに、これから私たちはシーツの海に飛び込むはずなのに。どうしようもなく冷たいなあ。おかしいよ。 「…ベッド、いく?」 涼太の優しい声がする。頷くだけで応えた。抱きかかえられて運ばれる。背中をうごめく右手がこそばゆい。見える景色全てが偽物みたいだなあと思った。タイミング良くビロードの空を駆ける流れ星みたいに、胡散臭くてしょうがない。どうして泣いてるの、なんて聞かれたらなんて答えればいいかわからない。ただどうしようもなく、悲しかった。 私たち、きっとこれから先、どこにも行けないのに。胸が熱いのも頬が濡れてるのも震える声も溢れる涙も乱れる髪もこれから始まる愛の遊戯とよばれるその行為も、全部、うそくさい。いつから歪になってしまったの。こんなの全然笑えない。 舌で上唇をなめてみた。あんなに甘かったのに。ああひどい、とうとう味すらしない。おかしいな。 かなしみの可塑性 title by 金星 (120814) |