自分がこんなに嫌な女だとは思わなかった。初めて誰かを好きになって、最初に思ったのは一言で言ってしまえばこんなことだった。 「ちょっとなまえ、なにカリカリしてんのよ」 「べーつーに、なんにもないですう」 「なんにもなかったらそんな顔しないでしょ。ね、そういえばさ、この前言ってたケーキバイキングのお店、土曜日1500円なんだって」 「…だから何よ」 「そしてバスケ部は土曜、午前中だけで午後からはオフなんだなあ」 「…で、だから?」 「ケーキバイキング、一緒にどうかなあと思いまして」 「うっそ!ほんとに!?やったあ、行く、行かせていただきますとも!」 「さっきまでのイライラどこに行ったのよー、ね、何があったの?」 「やったあ、え、ほんとに嬉しいんだけど!」 「聞けよコノヤロー」 自分は嫌な女だけど、こんなことで舞い上がってしまうってことは、まだ底辺には居ないんだと思う。…思う、そう思いたい。リコのことが大好きだ、まだその気持ちが勝っている。ただほんの少し、名前で呼び合うあたりとか、部活でずっと一緒にいるところとかそういうところがこう、もやっとするわけですよ、別に誰が悪いわけでもないこともわかっているわけですよ。だけどこのまま、もし木吉くんと付き合っていったらいつか自分のヤキモチがどんどんぷくうっと膨らんでいって、ぱあんって破裂してしまうような気がして、怖いのだ。 ○○○ 「みょうじ!」 「あ、木吉くん」 「あれ、…リコいないか?」 「え、さっき出ていったけど、木吉くん探してじゃないのかな?」 「…まじか、そういえば体育館に来いってメール来てたな」 「多分それのことだよ!」 「あー、無駄骨だったなあ」 「体育館、早く行きなよ。リコ、きっと待ってる」 「そうだな、…あ」 「なに?」 「無駄骨じゃなかったな。みょうじに会えた」 にこりと笑って木吉くんが教室を出て行った。ずるりと椅子からずり落ちそうになるのをぐっと堪える。なんとか踏ん張ったけどそのかわり火照る頬は誤魔化せそうにない。こんな簡単なことで私の中に蓄積したもやもやは一気に消化されてしまうのだから、情けない話だ。木吉くんは、ずるい。 ○○○ 「もー!遅刻だよリコ!」 「あー、ごめんごめん、練習思ったより長引いちゃって」 「…って、なんで木吉くんがいんの」 「オレもケーキ食いたくって、着いてきたんだ。みょうじ、いいよな?」 「…いいけど」 「さー入りましょ!私お腹減っちゃった!」 「オレもー」 「鉄平食べ過ぎて出禁になりそうよね」 「あはは、さすがにそれは」 二人の後ろを、とぼとぼ歩く。どこか汗の匂いを残した二人の後ろ姿がやけに仲睦まじく見える。自分だけやけに気合い入れてお洒落しているのが馬鹿みたいだ。リコと二人だけだったらそのアンバランスさも許せちゃうんだけど、全然気にしないんだけど、鉄平くんとリコが部活帰りの恰好をしているならなおさら自分だけ惨めになる。仲間外れにされてるみたい。なんで、なんで、なんでなんでなんで二人で一緒に来ちゃうかなあ。そりゃ練習だったってわかってるけどさあ。もやもやもやもや。この前鉄平くんが潰してくれたヤキモチがむくむく膨らんでく。 「でさー、あそこのスクリーンの掛け方が悪かったと思うのよね」 「あー。確かにな。ちょっと連携力不足かもしれんな。明日伊月と黒子に話してみよう」 「…なまえ、どうしたの?」 「全然食べてないぞ、調子悪いのか?」 「大丈夫?」 店に入ってからも、私のもやもやは晴れるわけもなく、口数が減る。喋る気分じゃないどころか食欲すら失せてしまった。自然と二人は部活の話が多くなる。おいおい、私のわかんない話すんなー。コノヤロー。なんてことは、もちろん言えなくって、もやもやもやもや。今日朝ごはん抜いてきたのに。二人が心配そうに私を見つめる。罪悪感も同時にぐんぐん積もる。二人が悪いわけじゃないのに、なんで私はこんなにイライラしてるんだろう。本当に心配してくれてるのに。自分がどんどん嫌になっていく。あー、もう、なんかお腹痛くなってきた。 「…大丈夫じゃないかも。お腹痛い、帰るね」 「は?」 「ごめん、また学校で会お」 「ちょ、待てよみょうじ、送ってく」 「いいから!」 「…なまえ?」 「…どうしたんだ?」 「…あー、ごめん大丈夫だから、ほんと、ありがと。またね」 視界の先で私のチェックのスカートがひらりと揺れる。お金を置いてそのまま席を立つ。あー、ケーキ食べたかったな。木吉くんに会うんだったらもっとかわいい格好してくるんだったな、この前買った花柄のワンピースとか。頭の中だったらいろんなこと、考えられるんだけどな。二人とも、ちゃんと大事なんだけどな。からんからんと入口のドアベルが鳴った。馬鹿だなあって、私のことを笑ってるみたいだった。知ってるもん、そんなこと。 ○○○ 夜、携帯電話が振動する。だらしない部屋着で自室のベッドに寝転んでいた私は起き上がってそれをとった。どうやら電話らしい。誰からだろうと思って、名前を見てみると木吉くんからで、ドキリと胸が跳ねる。携帯を持つ手がいつの間にかじんわりと汗をかいているのがわかる。なんだろう、別れ話かな。もう付き合い切れないって思われたかな。ああもうばかばかばか、どうして私はこんなに馬鹿なんだろう。この電話に出なければ、別れ話も避けられるだろうか。うわああどうしようどうしよう、と思っていたら、電話が切れた。…切れちゃった。がっかりしたようなほっとしたような、複雑な気持ちが胸を支配する。ぶはっと、もう一度ベッドに沈む。…これで、よかったのだろうか。すると階下で、ぴんぽーんとインターホンが鳴る音がした。すぐにお母さんが私を呼ぶ声がする。なまえちゃーん、降りてきなさーい。お客さんよー。はいはい今いきますよーっと呟いて、のそりと体を起こす。誰だろう。 「え…木吉くん!?」 「ようみょうじ」 「…なんでここにいんの!?え?え!?」 「ちょっとなまえちゃん、あとでお話聞かせてねーうふふ」 「ちょっと外でよーぜ」 「あ、え、ああ、えええ、あ、う、うん」 お母さんがニヤニヤしながら私たちを見送った。ああもうどうしよう、てかなんでここにいるの。直接訪問するならなんでさっき電話してきたの!ええ!もう!突然すぎるよ!木吉くんやっぱり不思議!夜の道は意外と暗くて、隣に木吉くんがいないと歩くことすら憚られる。木吉くんも私も、黙って歩いていた。…気まずい。 「…なんで家きたの」 「電話でなかったから。ていうか、電話かけたとき下にいたんだけどな」 「なにそれ、意味わかんないよ。電話でないんだから本当にいないかもしれないじゃない。もしかしたらお風呂とか、外出してるかも」 「…それは考えなかったわ」 「馬鹿なの?ほんといっつも思ってたけど」 「はは、そうかもな」 「…木吉くんはずるいよ」 「…」 「ずるいよ、私ばっかり、好きみたいだ。好きになってくみたいだ。なんにもわかってないような顔して、なら私のこと、離してくれればいいのに」 「…」 「…ずるいよ。ずるい、ずるい」 「なあ、みょうじ」 「リコのこと、好きなのに嫌いになりそうな私が嫌い。木吉くんのこと信じてあげられない自分が嫌い。木吉くんと付き合い始めてから、私どんどん私が嫌いになってく」 「みょうじ、聞けよ」 「もういやだ、好きなのに苦しいよ。苦しくなるなんて知らなかった。知ってたら好きになんてならなかったのに」 止まらない。心の奥に閉まいこんで、必死に隠そうとしていた思いがぽろぽろと零れてくる。情けなくってかっこ悪くって、こんな自分木吉くんだけには見せたくなかったのに、変だな、こんなときだけ口がやけに早く動く。 「…なのに木吉くん鈍感だしなんかズレてるし、もー。…なんで私ばっかこんなに好きなの。馬鹿みたい」 「なまえ!」 「…っ、…なに」 「なんでオレの話聞かねえんだよ。そうやって思ってることちゃんと言ってくんねえと分かんねえって」 「…」 「オレ、鈍感でズレてるらしいから?」 「…そういう意味で言ったんじゃないもん」 「馬鹿はどっちだ」 「木吉くんだよ」 「じゃあなまえもだな」 「…なにどさくさに紛れてなまえって呼んでんの」 「なあ、オレがなんで誰の名前もすぐ名前で呼ぶのになまえのこと苗字で呼んでたかまだわかんねー?」 「…何が言いたいの」 「察してください」 「わかんないよ、言ってくんなきゃ」 ごめん、木吉くん。本当は私、わかってる。でも、でも、ちゃんと言葉をちょうだい。ズルくて、ごめん、だけど。 「…なまえ、好きだぞ」 「…知ってる、かも、しれなくなくなくもない」 「はは、なんだそれ」 「べっつに」 「意地っ張りなのはなまえの方」 「…うるさいなあ」 木吉くんは歩みを止めた。暗くてよくわからないけど、多分笑っているような気がした。頭を撫でられる。くすぐったい。焼かれたモチが、しゅるるるると空気が抜けて小さくなっていく。私はズルい。木吉くんとおんなじように。今だって頭を撫でられて、やけに従順な猫みたいに振る舞ってる。本当の私はもっと、あざとくてずるがしこいのに。でもそれも、悪くないかな。悪くないのかな、だって木吉くんと、おんなじだ。今日も狡猾に、私はあなたの心臓を狙ってる。 「なあなまえ、キスするぞ」 「…していい?じゃ、ないんだね」 くすりと笑って、望まれるままに目を閉じる。近づいてくる木吉くんの、鉄平くんの匂いがする。知ってるの。知ってて知らないふりをしているの。私の真っ赤な心臓は、もうとっくにあなたに握られているんだってこと。 心臓に色はあるか? ひな子さん リクエスト ありがとうございました! (120722) |