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「ぎゃっ」
「…なんだようっせえな」
「うわっここ涼し!…じゃなくて、醤油!切れてるしー」
「はあ?買ってこい今すぐ」
「自分だけクーラーの中にいようなんてそうはいかないわよ。ほら馬鹿大輝、立て、立ち上がれ今こそ」
「うっぜえ」
「あー、今日はお刺身だったのに残念だわ―」
「…はー、しゃあねえなあ、可哀想ななまえちゃんのために行ってやりますか」
「可哀想なは余計だっつーの」

大家さんからせっかく刺身というご馳走をもらえたというのに、醤油が切れていることに気付いたのはいざ付け合せでも作ろうとしたときだった。ワンルームの私の家の、その部屋部分ではクーラーをかけたまま涼しげな様子で大輝が夕方のニュースを見ていた。私はキッチンの方で汗だくで料理を作っているのにおかしな話だ。ていうかここの家の所有者はだれだ。私だ。私なんですけど?あれ?同棲始めてからずいぶん経つけど、いつのまにか青峰くん当然のように居座ってるけどここ私の部屋だからね?あれ?のろのろと部屋を這うように動く大輝を蹴っ飛ばす。おい、いいから早く動け。巨体がごろごろしてるなんて不気味だ。ようやく靴を履いて、玄関を出るとむわあああとした夏の匂いが私たちを包む。

「あー…あちー…」
「…うん、あついね…」
「…行くの止め…いや…行くか…」

そんなに刺身食べたいか。ああそういえばザリガニ捕まえるの趣味だとか言ってたな。そういう生物?系きっと好きなんだろうな。下手するとザリガニも食ってそうだしな。こいつに限って、ありえない話ではない。炎天下の真夏は、夕方だというのにアスファルトがじりじり焼ける音が聞こえるくらいにはまあ、暑い。まだまだ明るい外は、カーテンを締めっぱなしの私の部屋からはまったく見えない。むわああ、と、夏の匂いがした。横を歩く大輝のこめかみあたりからは既につう、と汗が流れ始めていた。くそう、新陳代謝のいい男め。

「あちーな…な、なまえ。帰りゴリゴリ君買って帰ろーぜ」
「食費の無駄遣い…といいたいところだけど今日だけは賛成…」
「やべーなんでこんなスーパー遠いんだよバカヤロー」
「私のせいじゃないって―の」

猫背で隣を歩く大輝が私の歩幅に合わせてくれるようになったのはいつからだろうか。最初はあまりにも早い大輝の歩くペースに着いていくことすらできず途中で私が着いていくのを諦めてしまったりしたものだ。そうまでしないと気付かない大輝も大輝だと思うのだけど。長い長い細道の前方からは、夕日がじりじりと最後の力を振り絞るように照らしている。横を歩く大輝が全身オレンジ色だ。

「はは、大輝、オレンジ色じゃん」
「はあ?それなまえもなんですけど」
「うわ、ほんとだ、ビビる」
「同じ方向見てんだから当たり前だろ」

同じ方向かあ、これからも見ていられるかなあ。夕日がこんなに綺麗な日は少しだけおセンチな気分になったりもして、少しだけ寂しくなったりも、して。例えばそれが不安な夜でも、そんな私に気付かずぐーすか眠る大輝の顔を見ると気が抜けて私も結局ぐーすか寝ちゃうんだけど。二人してぼさぼさの頭しておはようって言い合う朝の幸せを大輝は知っているかな、分かってくれるかな。ああやっぱり、好きだなあって思う。大輝がいつまで私を好きでいてくれるか分かんないけど、でも私、きっとこの人のことを嫌いになれないんだろうなあ。そう思ってても、嫌いになっちゃう日が、いつか来るのかな。嫌だなあ。でも自分ばっか好きなのはやっぱり恥ずかしくて情けなくて寂しくて、だから悲しくならないように私は至るところに予防線を張り巡らしてるんだよ。大輝、馬鹿だからきっと気付いてないんだろうけど。これからも、言うつもりはないけど。

「はいはいはい!」
「んだよ、なに手ぇ挙げてんの」
「浮気してもー、言わないでほしいです!」
「…」
「…」
「いきなりイミワカンネー」
「いや、なんとなく思ったから言っただけ。言っとくけど私、隠れ浮気推奨派だからね。」
「いやおまえそれじゃダメだろ、推奨ってなんだよ」
「私を不快にさせなきゃオッケーよ大輝くん」
「…」
「あと、私のところに戻ってきてくれるなら何しても構わないよ大輝クン」
「逆に自信家だよななまえって」
「体の浮気は許そうじゃないか。心の浮気は許さん」
「どっから引っ張ってきた名言だっつーの」

ん、と言われて手を差し出される。繋げということだろうか。手を合わせると強引に掴まれた。思わずくすりと笑う。さっき暑いって言ったの誰だよ。相変わらずこういうところがとてもかわいいなあって、思う。

「あんな、信用ねーかもしんねえけど、オレは浮気なんてしねーよ」
「…めんどくさい女にはなりたくないわダーリン」
「何を隠そうワタクシ、なまえちゃんを愛してますんで」
「…今日は暑いのにえらく口が回るわねダーリン」
「それうぜーから止めろ」
「…はーい」
「んで、勝手に不安になんの止めろ」

馬鹿なのに考えすぎなんだよ、と言われた。お見通しって、言われてるみたいだった。馬鹿とは失礼な。少なくともあんたよりは勉強できますー。あーあ、スーパー見えてきた。この手はもうすぐ、解かれるのかなあ。あのね、ずっと思ってることがあるんだけどね。別にどこに連れてってくれなくてもいいんだよ。大輝がバスケ馬鹿でも、汗臭いTシャツ山のように持って帰ってきても文句言いながら洗ってあげる。試合もバイトのシフトと被らなきゃちゃんと見に行くよ。先に言ってくれれば休みだってとるし。喧嘩なんてこれからだって山ほどするんでしょ、知ってる。先に謝るのはきっと私だろうけどね、まあそれもいいよ。感謝の言葉なんてその口から出た日には雪でも振るんじゃないかな。照れ屋でガサツで、実はロマンチストな私の彼氏さん、キスのときは絶対目を閉じてる私の大事な人。一つだけ、クサいことを言ってもいいかな。大輝は馬鹿だって、笑うかな。あのね、こんな、なんでもないような時間が本当は私、とてもとても、愛しい。愛しいんだ。言葉にするなら、そうだな、多分こんな感じなんだだろうなあ。

ああ夕日が綺麗だ。本当に泣きたくなるくらい、綺麗。つないだ手はそのままだ。温い温度は二人だけのもの。みーんみんみん、みーんみんみん。思い出したように、蝉の声が聞こえた。夏だ。たまには散歩もいいじゃない、暑い暑いって、そういいながら手を繋ぐのも、案外悪くない。よね?ってそういう思いを込めて大輝の手をぎゅうと、控えめに握る。そうしたらそれ以上の力で大輝が握り返してきて、そんなことに涙が出そうになった。気付かないままもう少し、どうか、もう少しだけ。





夕蝉




苦汁さん リクエスト ありがとうございました!
『花束』 Song by back number
(120722)