「日直、なのだよ」 「…は?」 「だから高尾、今日はお前が日直なのだよ」 「…はあ!?なんでもっと早く言ってくんねーの真ちゃん!もう夕方なんですけど!」 「知るか。お前に非があるのだよ、わかったらとっとと仕事をしてしまえ。オレは先に部活に行く」 「ちょ、待てよー!ってかもう一人の当番誰だって!オレ、それすら知んねえし」 「今日は確か…みょうじだ。早く謝りにいってやった方がいいんじゃないのか?」 「やっべー、まじかよー」 「じゃあな、高尾。オレは行くのだよ。…15分だな。それ以上遅れたらきっとペナルティが下るのだよ」 「分かってますって!じゃあ、また後でな真ちゃん!」 緑間が教室から出ていくのを確認しないうちに、オレはみょうじさんを探した。教室はいつの間にか随分人もまばらになっていたけれど、いかんせんオレはみょうじさんの顔と名前が一致してない。視野が広いのがオレの特徴とか特技とか言われるけどそれは認知しているという前提があってのことだ。知らないことは、いくら見えたところでわからない。みょうじさんって…どんな子だったっけ、やっべえ、本当にわかんねえかも。 「おっ、なあ、みょうじさんってどの子だっけ?」 「はー、高尾、クラスメイトの名前も覚えてないの?ほら、あそこに座ってる子よ。一番後ろ」 「サンキュ!わりーな!」 たまたまオレの横を通り過ぎて教室を出ていこうとしたクラスメイトに声をかけると、呆れたような顔をしながらそう教えてくれた。いや、事実呆れられているのだろう。彼女がいったほうに顔を向けなおすと、なるほど机に向って何かを書いている。きっと学級日誌だろう。耳にはイヤホンをはめて、時折一定のテンポで頭が揺れている。音楽に夢中なんかな。なんだか話しかけるのも申し訳ないよーな気もするし、先にとっとと黒板を消してしまおう。 黒板を消して、黒板消しをクリーナーにかけたりして目につく限り全ての仕事を終わらせると、クラスにはとっくに人がいなくなっていた。みょうじさんを横目で見ると、まだ日誌を書いてる。イヤホンは未だつけられたままで、こちらには視線もくれない。もう少し近づいてみる。あれ、もしかしてオレ…気付かれてない? 「あの、みょうじさん」 「…」 「もしもーし、みょうじさーん!」 びくりと肩が揺れて、日誌を書いていた手が止まる。恐る恐るといったように顔を上げるのをオレは見ていた。その瞳がオレを見上げる。そして彼女は、そのまま、首を傾けて再び顔を日誌に戻した。…おいおいおいおい、なにこの子!「ちょっ、みょうじさん!」もう一度呼ぶと少し困ったような顔をして、やっと片耳だけイヤホンを外してくれた。 「…高尾くん?どうしたの、何か用?」 「あ、えっと…いっやー、オレ!今日日直だったのすっかり忘れててさー!ワリー!さっき気づいたから、黒板だけ消しといた!」 「…ふうん、そうなの。ありがとー」 「まっじでごめんね!」 「いいよー。もう日誌も終わるし。ていうか、もう一人の日直、高尾くんだったんだねー」 「…え、なに、みょうじさんも、知らなかったん?」 「うん、でも今日欠席の人何人かいたし、その中のだれかかと思ってた」 「マジかよー。なんだ、オレ、怒ってるのかと思ってちょー焦っちゃったじゃん」 「怒んないよー。ま、いいや。あと日直の感想書くだけだから、どうせだし高尾くん書いてってよ」 「書きます書きます」 ガラガラと椅子を引いて後ろ向きに座る。シャーペンを差し出してくれたのでそれを使って所感の欄に目を移す。すでにみょうじさんは書いてしまったようだ。感想の末尾にかっこしてみょうじと署名されている。あんまり女の子らしくない、カクカクした字だ。みょうじさんの感想を参考にさせてもらおうと文章を目で追う。 「ぶっは!ナニコレ!…ちょーウケんだけど!」 「えー?なんで?」 こらえきれずに吹き出してしまった。みょうじさんの所感がなんというか、とても的外れだったからだ。『イヤホンをしたまま飲み物を飲むと(ちなみに今日の私はマッチを飲んでいます。炭酸はあんまり得意じゃないけどマッチは唯一好きな炭酸です。おいしい)、飲み込んだとき喉が鳴るのがすごく分かります。なんだか、生きてるみたい。大発見です。』そこにはそう書かれていた。…いやそれ、感想じゃねえし。ていうか、そもそもクラスの日誌に書くことじゃねえし。日誌の感想というのはクラスで気付いたことを書くものじゃなかったっけ?しかもご丁寧に、文の最後にドヤ顔の顔文字が書かれている。そこだけやけに丸文字だ。なんでだ。 「だってこれ、感想じゃなくね?」 「でも、大発見じゃない?高尾くん知ってた?」 「考えたこともねーよこんなん」 「えー、ほんとだよ!高尾くんもやってみなよ!イヤホン、貸したげる!」 机の上に置いてあったマッチからは周りに付着した水滴がたらりと垂れている。中身はまだ半分くらい残っていて、それを飲めということだろうか、みょうじさんが満面の笑みで差し出してくる。もう片方の手ではイヤホンを差し出してきた。…ナニコレ。ちょーシュールなんですけど、ナニコレナニコレ。なんでみょうじさんこんなに大真面目?断るような雰囲気でもないので、ありがたく受け取ってキャップを捻じってふたを開ける。ちゃぷんと中の液体が跳ねる音がした。あー、いや、いいんだけどさ、こう、その、間接キスとか、考えねーのこの人?いやいやいやオレだってもう高校生だ、別に気にしたりしねーけどさあ。少し逡巡してから、控えめに煽る。少しだけ温くなったそれで口内を潤す。差し出されたイヤホンを耳に当てる。あ、このバンド、知ってる。意外だ、結構邦ロックとか聞くんだ。 「飲み込んで」 そう思ったのも束の間、みょうじさんの声がイヤホンとは反対側の耳から聞こえて、それにしたがってゴクリと飲み込む。ゆっくりと、喉を液体が流れていく。 「どう?どう?分かる?すごくない?」 「…てかこれ、両耳塞がないと意味なくねえ?」 「…あ」 まさに今気づいたというような表情でみょうじさんがぽかんと口を開けた。その表情にまた笑いがこみあげてくる。ウケる…!何この人、新人類!真ちゃんと同じくらい新人類!真ちゃん…ってああ!部活、やべえ!怒られる! 「みょうじさんわりぃ、オレ部活いかねーと!」 「ああ、そうだね、高尾くん部活あるんだね」 「おー、すぐ感想書いちゃうからちょっと待って」 「いいよー。私、職員室持ってってあげる」 「まじで?」 「まじまじー」 「助かる!よっし終わった!んじゃオレ、部活行くわ!今日ほんとゴメンな!今度、そーだな、マッチ、奢るわ」 「え?本当?やったあ、ありがとー」 「じゃーまたな!」 「うん、バイバイ、がんばれー」 エナメル鞄を持ち上げて、首から斜めにかける。みょうじさんの気の抜けた声がした。教室を出る間際、みょうじさんの席を振り向く。筆箱を鞄にしまっているところだった。 「みょうじさん、今度さっきのやつ、もう一回試させてよ!」 階段を二段飛ばしで駆け降りる。面白い、子を見つけてしまった。走りながら背中を垂れる汗と、いまだ顔から消えない笑みを抱えながら、オレは体育館に走る。 |