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ちりんちりんと喫茶店の玄関が開く音がして、私は無意識のうちにそちらに意識を移していた。もちろん全く知らない他人が客として店内へ入ってくる。「こら、人の話聞きなさいよ」とリコが呆れたような声を出したのですぐに意識を元に戻す。案の定目の前の彼女はためいきをつきながら私を見ていた。店内は冷房が効いていてやや肌寒かった。カーデガンを鞄から取り出して、肩から羽織るだけにする。お待たせしました、と言って店員さんが注文したドリンクを運んでくる。

「ちゃんと腕、通しなさいよ。みっともないわねー」
「袖から指ちょっと出すだけのリコもおんなじくらいみっともないと思うんだけどな」
「揚げ足とんなっつーの」
「えへへ」

アイスコーヒーになります、と言われるとすぐにリコが凛とした声で私です、と主張する。残ったキャラメルラテは私の目の前に置かれた。私はというとその間、ガムシロとミルクが入っている器が可愛くって、そればかりに目を奪われていた。

「あのさ、店員さんとかってさ、まるまるになりますって言って料理運んできたりするじゃん、あれ、間違ってるらしいよ」
「へえ、そうなの。知らなかった」
「うん、正解はね、まるまるでございますって言うんだって」
「なまえって変なところ物知りよね」
「この前バイト先でね、習ったんだー」
「ふーん」
「リコはあれだもんね、カントクだし、忙しいもんねー」
「べっつに、…好きだからやってるだけよ」
「私さあ、リコのそういうとこすごいと思うなあ」
「あー、私の話はいいんだって!もう!」

調子狂うなあと言いながら、ストローの袋を破いて取り出す。そのままアイスコーヒーの入ったグラスの中に突き刺した。からん、と氷にあたって水面を滑る音がした。それは刻一刻と、個体から液体へと変化していく。袖から少しだけ出したリコの指先は、とても綺麗でつい見惚れてしまう。まあ、と私は自分で自分に誤魔化すように声をあげた。両肘を机について、顔を手のひらで挟む。リコも同様に肘をついていたが、耳のあたりに置かれている手のひらで顔を支えていた。

「やっぱ信じるべきは友達だね」
「だから言ったでしょ、ばーか」
「馬鹿じゃないし」
「悪い男に引っかかるような女を馬鹿っていうのよ」
「はいはい、私が悪かったわよう」
「分かればよろしい」

本当はねえ、リコ。私、いまあんまり悲しくないの。そりゃ、あいつに嫌いって言われたことは悲しいんだけどね、ああそれから、騙されてたのも少しだけ。ずるいかなあ。でも、嬉しいって感情のほうがずっとずっと大きく私の胸の中を占めてる。悪態をつきながらなんと言って励まそうかって考えていること、わざわざあなたが私のために時間を割いてくれたこと、私本当はこっそり知ってるんだよ。ほとぼりが冷めたら改めてありがとうって言うつもりだから、いまはひみつよ、ひみつ。

「すきよリコ、だあいすき」
「何言ってんのなまえ…当たり前じゃない。好きじゃないとわざわざ部活まで休んでこんなところ来ないっつーの」

私はこの言葉をもらえる。私は彼女に抱きしめてももらえる。手も握ってもらえるし頭も撫でてもらえる。そう、本当にいとも簡単に、ためらいもなく。少しでもいいからためらってほしいとか考えちゃうのは、少し贅沢な我儘なのかなあ。そう思って、でも思っていることは言わないで誤魔化すつもりでニコニコと笑う。そんな私をリコは呆れるように笑いながら、見ている。
カランと、リコのアイスコーヒーの氷が溶ける音がした。なのにこの想いは、私の中でちっとも上手に溶けてくれない。

リコがストローでぐるぐるとかき回した水面を、私はただ黙って見つめていた。その中で一緒にたゆたっていたいなんて、これはずっとひみつひみつの、おはなし。


波間にて、


もうちょっとこのままでいたいの
(120704)