※いつも以上にありがちなネタ。 いた。今日も、いつもの車両に、あの人が。満員同然の車両で、奥の方に小さくあの人を見つける。あの人はいつも駆け込み乗車してくるから、入口の方にいる。私はきちんとホームに並んで待っているので、奥の方にいる。だからあの人はきっと私のことなんか知らないと思う。だけどいいんだ。毎朝見れるだけで幸せなんだもん。ストーカー一歩手前みたいな気がするけど、予備軍でいたいものだ。 降りる駅と、乗ってくる駅。それだけは分かる。きっと私と同じ駅で降りるのだから、制服との組み合わせで高校も多分予想できている。いつも耳にイヤホンをつっこみ、ニヤニヤしながら立っている。なんでニヤニヤしてるんだろうと思う。けれどいつからか、その笑顔とも言えないような顔に私は人と人の隙間から目を奪われていた。 ××× 「大丈夫っスか」 「…」 「ちょっと、大丈夫っスか」 「…え?」 「顔、辛そうっスよ。…もしかして、貧血とか?」 それは、珍しく私が寝坊をしてしまい発車ぎりぎりの電車に駆け込んだ時だ。朝ごはんを食べる暇もなく、加えて朝の満員電車で、私は軽くというか、結構酔っていた。気持ち悪さに俯いていると、上の方から声が聞こえた。まさか自分に言われたとは思わず、黙っていると、もう一度同じことを言われた。顔を上げるとそこにはあの人がいた。心配そうな顔で私を見ている。幸いにも次の駅が降車駅だったので、私は半ば彼に支えられるようにして電車を降りた。 「大丈夫でした?」 「た、助かりました…ありがとうございます」 「そっかそっか。無事でよかったっス!てか降りる駅一緒ってことは、高校近いっスよね?何年生?」 「一年生だよ」 「タメじゃん!まあ、そうだろうとは思ったけど!」 「…あなたも、一年生?」 「そうそう、秀徳高校。てことは結構同じ車両乗ってたりする?」 「え、うん…多分」 「だよな!うわ、すげえ!なんか、運命だな!」 運命、という言葉がざわりとした感触を持って私の耳から脳味噌へ浸透する。そんな彼の言葉で、私の世界はいとも簡単に色めきだす。そして彼が高尾くんと名前だということを、この日私は初めて知ることになる。それから、私は意図して、駆け込み乗車ギリギリで電車に乗ることにしている。高尾くんはいつも笑っておはようと言ってくれる。 ときどき帰りが一緒の電車になることも、あった。ときどきと言っても一、二回だけど。なんでも彼は部活をしているので、帰りは結構遅いし時間もまちまちらしい。 ××× 夕方のホームは、斜めの夕日が差し込んでいてひたすらにオレンジだった。 「やっほー、みょうじさん」 「あ、高尾くん…と、あれ、…もしかして」 「そ、こいつオレの彼女」 「はじめましてー。みょうじちゃんだよね?言ってた通り可愛い―!」 「初めまして、…みょうじなまえです」 「お前みたいにガサツじゃないからなー」 「ちょっと失礼でしょ和成!でもなまえちゃん、可愛い顔してなかなか言うらしいじゃない?」 「ちょっと高尾くん、どういう話してたの?そんなことないですよ」 「敬語じゃなくていいよお!タメじゃん?まあこれからも仲良くしてやってね。こいつ友達いないから」 「お前の方が失礼じゃねーかアホ」 「…仲、いいんだねえ」 「そんなことないよー」 「腐れ縁なだけだって」 「はいはい、…バ和成くん、そろそろ行きましょうか」 「バ和成っていうの止めろって!あ、これからアイス食いに行くんだけど、みょうじさんも行かね?」 「あ、そうじゃん!なまえちゃんも行こーよ!」 「ううん、今日、お母さんに夕飯の買い物頼まれてるから。誘ってくれてありがとう」 「そうなのー?そうかあ、残念だわ」 「じゃあまた、行こうね!」 電車が来たことを知らせる音が鳴る。すぐに電車が来て、扉が開いた。ばいばーい!と彼女の方が元気よく手を振って、二人はいつもと反対側に行くそれに乗り込んでいった。きゅるると変な風に喉が鳴った。握った手のひらがじんわりと汗ばんでいることに気付く。高尾くん、かずなりっていう名前なんだね。その台詞は、紡げないでいた。かずなり、カズナリ。舌の上で何度かその言葉を転がす。…知らない。私、こんな高尾くん知らない。高尾くんのこと、私本当は何一つ知らないんだ。血液型も、誕生日も、好きなアイスも、下の名前も、どういう漢字なのかすらも。キラキラと光る、マニキュアで綺麗にコーティングされた彼女の爪を思い出す。その指は当たり前みたいに高尾くんの学ランの裾を掴んでいた。ゆるゆると、私の髪が風にたゆたう。私は俯いて自分の指を、見つめた。彼女とは違う、まっさらな指。私は彼女じゃないし、彼女にはなれない。全部違う。違うんだ。 サジタリウスは 海の底 (120701) |