耳を劈くのは、 「助けてあげようか」 凛とした声が、する。鈴が鳴ったみたいに私は反射的に振り返っていた。今更床の冷たさを感じる。私はこの広い教室でたくさんある椅子に座らず、ただ地面にぺたりと座っていた。抱きかかえていたジャージが赤司くんに視線を移した隙に膝からずるずると流れて行って、地面に落ちた。そこには案の定赤司くんがいて、私は彼を凝視しながらやっぱりなと思っていた。赤司くんがははっきり言って意地が悪い。意地が悪いというよりは性格が悪い。そして性格が悪いというよりは性質が悪い。彼は、悪質だ。つかつかと音も立てずに歩いてきて、私の膝元から地面に落ちたジャージを手に取った。ちょうどお腹の部分がぱっくりと切られた、私のジャージを。至極つまらなそうにそれを見つめている。 「大方女子のひがみってところか、くだらないね」 「…一応赤司くんのこと好きな人なんだからそんなこと言わないほうがいいと思うな」 「おや?この期に及んでまだ善人面?呑気なことだ」 「ありがとう」 「褒めてないけど」 「分かってるわよ、嫌味に決まってるでしょ」 ジャージをくるくると手元で弄ぶ。器用なことだ。にやにやと胸がむかつくするような笑みが私を捕えて離さない。そもそもこんなことになってしまったのもこの男のせいだというのに、どうしてこんなに平然と言ってのけることができるのか。答えは簡単。それは彼が悪質だからだ。最初こそ私も憤ってみたものの、こう何度も構われて彼の本質が分かってしまった今ではもはや逆に尊敬の念すら浮かんでしまう。助ける気なんか、最初から少しもないくせに。そのことを、私はもう知ってしまっていた。 「僕が助けてあげれば、ぜったい、だいじょうぶだよ。どうする?」 「いらない。ほしくない」 「どうして。君も苦しいのは嫌だろう?」 「私は、」 「なんだい、言い訳でもするつもりかい?自分を自分で励ますの?美しいね、映画化希望だ」 「…救いなんて、求めていなかったよ。最初から」 それはどこかで、仕方ないと思っている自分がいるからだ。これは自分への罰だから、この罰の分だけこの先幸せが待っているのだと、どこかで安堵している自分がいる。この痛みに耐えれば、この辱めに耐えれば、今よりもっと幸せになれるに決まってる。そう思えばあの子たちのしていることなんて正直屁でもない。逆に可哀想でもあるのだから。そうだ、私だって彼女たちと同じなのだ。利用している。自分が幸せになるために相手を踏み台にしようとしている点においては、むしろ私の方が性質が悪いのかもしれない。だって私の方がずっと、ズルい。分かってて全てを容認してるのだから。 「馬鹿な女だ」 「赤司くんには関係ないでしょう」 「確かに関係ないね、うん、無関係が僕らの間をつなぐ関係だ」 「…意味、わかんないよ、私もう帰る」 「そんなに不幸になりたいか」 それには応えず立ち上がって、赤司くんの手からジャージを強引に奪う。そのまま教室から出ようとドアの方へ向かって歩き出すと後ろからブレザーの首元を掴まれる。ブレザーの中の、ネクタイを掴まれているのが分かった。首根っこが締まって口からため息ともつかない悲鳴があがる。ジャージが、もう一度私の手から滑り落ちていく。何をしているんだこいつは。突然のことに頭が回らない。ただ廊下の窓から見える景色がやけに赤いなあと、こんなときなのにぼんやりと思った。そうまるで、赤司くんの髪の色みたいに。そのまますぽんと、よろけるように踵から彼の懐に倒れこむ。すぐさまクルリと回転させられて赤司くんのネクタイとご対面。する間もなくぎゅっと鼻先をネクタイに押し付けられる形になった。つまり、そう、なんていうか、抱きしめられてる?抱きすくめられているといったほうが正しいのかもしれない。痛いよ。ぎりぎりと回された腕が締め付けられる。ああ、ほんとに今抱き『締め』られているのだなと思った。「君の気持ちはよくわかった、だから」 キセージジツ、つくってやるよ そう言って赤司くんは私を抱き締める腕を緩めたかと思うと間髪入れずに屈んできた。顔が近くなってあっという間にゼロ距離になる。目を閉じる暇すらなかった。赤司くんの真っ赤な髪が視界を覆う。離せ、離せ。もがくけれど全く動けない。赤司くんは唇をしばらく貪ったかと思うと、まるで紙ナプキンで口元を拭くように私の唇をぺろりと舐めた。視界を覆う赤。にやにやと歪む口元。満足げに細められた瞳、その、奥の光。香水の匂いなんかじゃない、赤司くんからふんわりと香る香り。全部甘ったるくて吐き気がする。 瓦礫が落ちる音 twitterお題「ぜったい、だいじょうぶだよ」「救いなんて、求めていなかったよ」を使って。 (120627) |