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波の間を泳ぐ魚になりたい。誰もいない夜のプールは思ったよりも怖くはなかった。プールサイドを歩きプールに近づく。水の中に手を突っ込んでそのまま掻き混ぜる。6月の気温に水温はまだ少し冷たいけれど、気にする必要もないだろう。入ってしまえば直に慣れてしまうはずだ。寄せては返す小さな波紋はゆらゆら揺れる、蜃気楼のようだと思った。静かにそおっと、水の中に入る。犬かきのような真似事をしながら、プールの中央まで泳いだ。私は泳ぐのが得意ではない。ちゃぷん、ちゃぷん、ちゃぷん。

「何してンだよ」
「…びっくりした、阿部か」

突然の声に振り返ると、阿部がプールサイドに立っていた。ハーフパンツにフードの付いたパーカーを来ている。手にはコンビニの袋を持っていた。夜食を買いに家を出たのだろうか。

「警備員さんかと、思ったよ」
「さすがにこの時間にはいないんじゃねーの?」
「そうか…もうそんな時間なんだね」
「…みょうじっていつもこんなことしてんの?」
「気が向いたら、まあ大抵は」
「…ふうん」
「さすがにまだこの時期は寒いけどね」
「じゃあ上がればいいのに」
「いいのー」
「あっそ」

水の中では浮力が働くからいいなあ。別に私がいつもみたいに頑張らなくても、この足に力を入れて踏んばらなくても、上手に立っていられる。生きることにはいつだってパワーが必要で、だけど私にはそのパワーが足りないんだろうなあと思う。誰かの真似をして、例えば目の前の阿部の真似をして生きることができたらもっと人生は容易いのだろうか。浮力に助けてもらうくらいが丁度いい私がもしこの中で生きることができるのならきっと、泳ぐことも跳ねることも飛ぶことだって容易いのだろう。

「たまに、世界が全て水の底に沈めばいいのにって思うときがある」
「何言ってんだ?それじゃ息できないだろ」
「できなくていいよ、もともと息なんてしてないし」
「…ふうん」
「ねえ阿部、わたし、息が苦しいの。息ができないの、どうしてか知ってる?」
「…シラネ―」
「阿部、…わかんないの」
「何言ってんだ」

阿部はざぶんとプールに飛び込み、水をかき分けてこちらに近づいてくる。阿部が動くたびにちゃぷんちゃぷんと音がして、波紋が私のところまで広がった。「服、濡れちゃうよ」「もう濡れてる」阿部が水をかき分けて、私は咄嗟に浮力を借りてその場から動く。すぐにがしっと手首を掴まれる。大きく水が揺れる。ちゃぷん、ちゃぷん、ちゃぷん。


「お前は、お前だろ」


阿部がそうやって私を抱きしめるからだ。阿部がいつもと違うような優しい声を出すからだ。阿部の手が、腕が、肩が、小刻みにふるふる震えているからだ。どうやら私はようやく息を吹き返すらしい。



蘇る

(120617)