日々の縢からのちょっかいにとうとう耐えきれられなくなった名前は仕返しに彼の書類を取ったのだが、それほど効果はなく、逆にドタバタ騒いでいるところを一系の皆に見られてしまい、しかも、宜野座からは叱責をくらってしまった。お陰で今は残業中である。
「まさか残業になろうとは…。」
トホホと肩を落とす名前。帰って見たいドラマがあるわけではないが、残業相手が縢だというのが気にくわない。
静まり返った部屋に彼女の溜め息が普段より大きく聞こえたような気がする。
しかし彼女と裏腹に、隣に座る縢は楽観的に物事を捉えていた。
「いいじゃん。俺ら二人きりなんだからさ。」
まるで、真夜中の学校ってワクワクするよね!みたいなニュアンスに名前はキッと縢を睨みつけた。
「良くありません!大体縢さんは何やってるんですか!」
「んー?ゲームだけど?」
「書類書いて下さい!そもそもこれは縢さんの仕事なんですよ!?」
名前がそう怒鳴ると漸く縢の手が止まった。彼はゲーム画面からチラリと彼女に視線を向けると、首を傾げた。
「じゃあ、何で名前ちゃんは手伝ってくれてるわけ?」
まぁ、確かに、あのいざこざは縢のせいだから名前は帰っても問題ない。本当なら残業しなくても良かったのだが…。
とにかく質問する仕草が普段と違って可愛く見えることにおどおどしながら彼女はなんとか言葉を探す。
「それは…、まぁ、罪悪感というか…。」
「ふーん。」
縢はそう言って納得したように振る舞うが、彼の瞳は彼女の全身を舐め回すように見つめている。その視線に気づいた名前が冷や汗を流した。
「な、何ですか、その目…。」
「べーつにー?ただ、名前ちゃんなら、自業自得です!とか言って帰ると思ったからさ。もしかして俺の為に残ってくれたのかなー?と思って。」
「は!?…そ、そんなわけないじゃないですか!」
縢の言葉に慌てて言い返してみれば彼は暫く黙っていたが、その視線は相変わらず彼女を見つめている。やはり、何か言いたいことでもあるのだろうか?気になった名前が口を開きかけた時、彼は突然身を乗り出した。その動作が今までされてきたキスだとすぐに気づいた彼女は彼の唇が触れる前になんとか体を反らす。
「っ!何するんですか!」
顔を真っ赤にしながら、彼の行動の意図が掴めなくてあたふたする名前は縢と距離を取る。その体勢からして警戒されているのは明らかだったが、彼はそんなことなど気にせずニッコリ微笑む。
「名前ちゃん、俺のこと好きでしょ?」
唐突に縢が訳の分からないことを言い出した。当然彼女は慌てふためくわけで。
「は!?急に何言い出すんですか!」
「だって、今すげー照れてるし。」
「そ、それは、縢さんがキスしようとしたから…!」
「いや、それは完全に誘ってるよねー。」
「そ、そんなつもりは…!」
彼が言葉を返してくる度に名前の頬が赤くなる。男慣れしていないせいなのか、無性にドキドキする。そうなる自分に、どうせああいうチャラチャラは皆同じことを言うに決まってる!と必死に言い聞かせるのだが…。
「俺のこと、好きって認めちゃえばいいのに。」
椅子に乗りながらくるくる回る縢の言葉に名前の頭がぐるぐると混乱していくようだ。
好き、なんだろうか…!?いや、それはない!というか、ないと信じたい!
「自意識過剰もほどほどに、」
「じゃあ試してみる?」
名前の言葉を遮ると同時に縢の回っていた椅子が止まる。彼は彼女に顔を急接近させている。
しかし意味が理解できない彼女は冷や汗を流しながら「はい?」と首を傾げた。そんな彼女に縢は分かりやすく伝えることに。
「今から俺の言うこと聞いたら、俺のことが嫌いって信じてやるよ。」
おぉ!!それはナイスアイディア!!目を輝かせた彼女は勿論承知した。
「わ、分かりました!」
これで彼のことを嫌いだと証明できる。その喜びに後先考えず飛びついてしまったが大丈夫だろうか?無理難題とか押しつけないだろうか?まぁ、宜野座さんを眼鏡と呼ぶくらいなら頑張ろう!そんなことを覚悟しながら縢の言葉を待つ彼女に、彼はニコニコしながら口を開いた。
「じゃあキスして?」
「え!?」
それはなんだか違う気がしないか!?彼の発言に困惑する名前だったが、縢は容赦なく口先で事を進める。
「あ、キスしないってことは俺のこと好きなんだー。」
え!?何故そうなる!?いやいやいや、キスっていうのは好きだからするもので、嫌いならしないんですよ!?でも縢さんルールならキスしないと好きってことになってしまうからキスしないといけないんだけど、でもそれって結局は好きだからキスするの!?いやいや、キスは嫌いだからする…ってアレ?キスが嫌い?嫌いがキス?あー、もー、ワケわからん!
頭が混乱して真っ白になった彼女は、ままよ!という感じで、
「縢さんなんか大嫌いです!」
と、彼にキスをした。勿論すぐに離したが。名前は、これで嫌いだと証明できた!と言わんばかりの表情を浮かべたが、縢はそれよりも満足そうな眼差しを彼女に向けた。
「ごちそうさま。」
舌でペロリと唇を舐めとる仕草で漸く彼女は我に返った。つまり、縢に騙されたと気づいたのだ。
してやられた!ショックを受ける名前は顔を赤くしてキッと彼を睨みつける。
「もう!あとは自分でして下さい!」
縢さんのためじゃない!あれはただ身の潔白を証明しただけだ!この書類だって縢さんのためにしたんじゃない!縢さんが好きだから一緒に残業したいと思ったわけじゃない!
そう自分に言い聞かせながら早足で部屋を出ていく名前。そんな彼女を面白そうに眺める縢には何となく彼女の気持ちが理解できていた。
「もうちょい素直でも良いのになぁ。」
彼はそう言って、これからのことを想像する。これからも毎日は楽しくて飽きないことだろう。また一緒に残業したいな、なんて思いながら結局彼が残りの書類を片付けることはなかった。