「座敷わらしです」と。
人に誰だと尋ねてそんな答えをもらうような体験は一生に一度くらいだと思っていたが、そうでもないらしい。

昔、夏の間に祖父母の家へ里帰りすると、決まって奇妙な少女を見かけた。
見かけたというより、嫌でも目に入るのだった。
はじめて見たとき、少女は空のような色のワンピースを着て、古い映画雑誌を読みながら、家で一番大きな箪笥の上で寝転がる、ということをしていた。
不思議だったのはそいつを形作るすべてが、自分の生まれるより前の時代のものにしか思えなかったことだった。
幼く迂闊だった自分は一度だけ、少女を指差し大人にその存在を尋ねてしまった。
祖父母の家は町の中でも大きく、交友の幅も広かった。
だから里帰りの間も家は騒がしく、名も知らない大人や子供が常に数人入り浸っていた。
箪笥と天井の間、という位置の違和感さえ取り除けば、少女はそれらの客と変わりがなかった。
しかし、自分の質問は一笑に付され、取り合われることはなかった。


「誰もいないじゃないか」


その一言に自分は悟った。
現にそうして笑いあう大人たちの隣、いつの間に下りてきたのか、少女は映画雑誌に目を落としながら微笑んでいた。
それはそれは楽しそうに。
それなのに自分以外に誰も少女を気にかけない、話しかけない、見えてすらいない。
それきり自分は「周りに誰もいない」のを深く気にしながら、少女へ話しかけた。
そして、最初の一言はこうだった。
お前は誰だ、と。
仰向けに寝転がっていたそいつは起き上がり、箪笥の縁に腰掛けた。
その余裕があるくらい箪笥は巨大で、天井は高かった。
年は自分と同じか少し上くらいの、幼い少女に見えた。
足を揺らすから、ワンピースの裾がひらひら波打った。
その水色の中の模様の、青々とした水草が揺らぎ、赤い金魚が泳ぎ回るのを、不思議な思いで見ていた。


それから二十年も経っていないが、自分を取り囲む環境にはなかなかの変化があった。
中学生くらいには里帰りが疎ましくなり、祖父母宅には寄りつかなくなった。
季節に満ちた匂いも、風が知らせる時刻も、遠いものになった。
あの少女のことも記憶から消えていた。
都会で生きていれば、そういう風にもなる。
その方が自分には心地良かったし、逆に今から思い返してみれば、少女はそのような田舎にしか姿を見せないと思っていた。
けれど、自宅兼仕事場に現れた。
手にしていた書類が不自然に飛んだかと思えば、それを弄ぶ彼女の姿が昔と変わらずあった。
硬質な住宅の中に、花のような存在感を持ちながら、朴訥でもある姿はどこか場違いだった。


「誰?」

「座敷わらしです」

「ああ、そう」

「昔はもっと驚いてくれたのに」


お化け屋敷のお化け役が「思ったより客が驚いてくれなかった」と嘆くような感じで、少女は残念がった。
とりあえず歩み寄って書類を奪い取る。
よくよく見ると、ずいぶん小さくて細い姿だった。
幼い頃は自分も子供だったから気付かなかったけれど。
ぶつ切りにされた記憶と現在とに生まれた印象の食い違いは、彼女を見つめることによって少しずつ埋められていく。
相変わらず、彼女の持つ映画雑誌には知らない映画しか載っていない。


「良くない大人になりましたね」

「余計なお世話だよ」


足りない身長からぴんと伸ばした腕で、彼女は俺の額辺りに手のひらをかざそうとした。
その行為の意味合いすら考えるのを拒否して、振り切るようにデスクに戻った。
彼女は別に透けていないし、温度がない訳でもなく、質量すらあった。
だから、子供の時分は彼女の座敷わらしという自己紹介が嘘にしか思えなかった。
それでも博物館に並べられていそうな映画雑誌は新品のごとく、少女は歳を取らない。
時間の流れから取り残された姿は孤独だ。
人でないものには、慣れている。慣れてしまった。
だから新鮮味も感じない。


「君さ、頭と胴体が離れたり影を操れたりはしないの?」

「おかしなことを訊く人ですね。あなたの座敷わらしのイメージを知りたいものです」


なんとなく分かっていたことだが、同じ異形でも性質はデュラハンとずいぶん違うらしい。
どこから取り出したのか、ついついとあやとりをしながら、少女は答えた。
おはじきやベーゴマすら出しかねないのではなかろうか。
俺はひっそりとため息を吐いた。


「言語は現代のものを多少知っています。娯楽のような習慣はさすがに、変わりません」


何も言わずとも、少女は答える。
今あやとりで作ったそれは確か箒という名だった気がする。


「座敷わらしって都会にも出るの?」

「僅かですが。私の場合はやむを得ずです」

「なんで?」

「あの家が取り壊されてしまうので」


そこで彼女は糸を操る手つきを少しだけ止めた。
それから、大きな橋を糸で作った。
その編み目の隙間から丸い瞳が覗く。
祖父母に関することは両親がすべて管理しているはずだ。
自分が知らないうちに、そういう話になっていたのだろう。


「ここは緊急避難所じゃないけど」

「どうせなら見える人の所が楽しいかと思って」

「君、何ができるの?」

「その目の前の機械で調べてください」


彼女はパソコンのことを言いたかったらしい。
簡単に検索した項目をなぞってみたが、抽象的な特徴しか拾えない。
家人にいたずらをする、富をもたらす、幸運が訪れる、エトセトラ。
大した内容ではない。
いたずらも富も幸運も間に合っている。


「別に損はないでしょう、あなたに」

「それは俺が決めることだよ」

「今も昔も妙に達観していてひねくれていて、全部知った気になっていて、本当に可愛くない子」


ぽつりと彼女が微笑んで呟いた。
年齢という概念があるかすら定かではない。
しかし、水のように静かな瞳だけが遥か年老いた人間みたく落ち着いて見えた。
見た目だけなら、まだあどけない女の子。


「変わらないんですね、人って。ずっと見てきたって、奥の奥の本質は変わらなかった」


誰のことを言っているのか、ワンピースの中の水面がゆらゆら揺れるせいで彼女は悲しそうに見えた。
ただ、それは俺の気のせいだったのかもしれない。
顔を上げた彼女は晴れやかに笑っていた。


「私だっておなじですよ」

「君は人じゃなくて幽霊みたいなものだろ」

「みたいなものでも、一応元は人間ですから。どんなに世界が変貌を遂げても、楽しいものは楽しいし、好きなものは好きです」


ポケットから取り出したビー玉を飴のようにかざして、彼女はそれを俺に手渡した。
ひやりと冷たい感覚は手のひらの上でいつまでも冴えていて、何かを訴えかけるようだった。
なんとなく、目の前の彼女は明日にはいなくなってしまうような気がした。


20121002
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