DAY by DAY | ナノ



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「本当に大丈夫か…観音?」

私を心配そうに見つめる綱姫様に大きく頷いてみせる。

「大丈夫です。これは、千手のため、木ノ葉のためですから」

綱姫様は何か言いたそうに口を開くが、すぐに閉じてそうかと微笑んでくださった。

千手の娘として生まれたのに、私には忍術の才はなく、なにもできずにただのうのうと甘やかされて生きて来た。そんな私にもできることがあるのならば、私はそれを全うしたい。

私は今日、結婚する。

それも、大祖父様の代から因縁のあるうちはのものとだ。
私はうちはがどのような一族かをよくは知らないのだが、きっと我が一族と反発し合うのだから恐ろしいところに決まっている。それでも、私はやらねばならない。じゃなければ、私が千手として生まれた意味がない。

私はうちはまでついて来ようとしていた側用人を実家に止まるように伝え、一人で里を歩く。嫁に行くのだ、側用人なぞ連れて行けるか。このご時世、妻は夫の側用人のようなものだ、今からそうなる私にそれがついていては千手に顔向けができない。

しかしこうして里を歩くのは初めてだ。今まで忍術が使えない私は危険だからと軟禁状態といっても過言ではなかったから、触れる空気も人々の声も新鮮だ。…美味しそうな香りもする。
その香りに惹かれ、そちらに目をやると「ラーメン一楽」という暖簾。

「………」

いや、ダメだ。今から私は嫁に行くの。目的を見失ってはダメ。
だが、こんないい香りのするラーメンというものを一度食べてみたい…。

「少しだけ…」

私は周囲を気にしながらその暖簾をくぐる。そこはカウンターと厨房が融合した不思議な空間だった。

「いらっしゃい!!」
「ひっ」

どうすればいいのだろうと見回していると、厨房に立つ男性に声をかけられる。初めて知らない男性に声をかけられた。

「ん?見ない顔だな?はじめてか?」
「え、あ、その」
「どうした?」

ダメだ。
今から知らない人の嫁になるというのに、こんな会話もままならないなんて。側用人や身内以外の男性とまともに喋ったことがないのが祟ったか。
なにもできず、ひたすらに手をバタバタさせていると、目の前の赤い椅子を誰かがトントンと叩いた。

「隣、どうぞ」

それは黒い長髪を一つ結びにした男性で、落ち着いた声音に、けたたましく鳴っていた心音が急激に落ち着くのを感じる。彼は優しく微笑むと厨房の男性に「彼女に俺と同じラーメンを」と言った。
私は大人しく彼の隣に座る。年の功は私より少し上だろうか。不思議な色をした黒い瞳をしている。いや、赤黒いと言ったほうが正しいだろうか。鼻筋の通った、綺麗な顔だ。

「お待ち!」

厨房の男はそう言って、私と彼の前に器を置く。これがラーメンというものかとまじまじ見つめていると、右隣から「あ」と声が上がった。

「すまない…。俺と同じものと注文したからキャベツが大量に入っているが、嫌いではないか?」
「キャベツ…これが普通じゃないのですか?」
「ああ、普通のものはこんなに乗っていない。俺はキャベツが好きだから増量しているんだ」
「そう、なんですね。いいえ、大丈夫です。キャベツ、好きですよ」
「それは良かった」

彼は笑みを一つこぼし、箸を手に取ると手を合わせて「いただきます」と呟く。私も真似して手を合わせた。

私は常に彼を盗み見ながら蓮華を手に取る。まずはスープかららしい。キャベツの山をなんとかかき分け、スープを一口ぶんすくい、口に含む。

「!!」
「美味しいか?」

彼の問いに激しく頷くと、厨房の男性が楽しそうに笑ってくださった。
それからは無我夢中でその麺を食べ、スープを飲み、キャベツの食感に胸躍らせる。こんな美味しいもの初めて食べたかもしれない。箸が止まらないなんて感覚知らなかった。

「んっ、んくっ、っく、…はぁ…。ごちそうさまでした…」

器に残るスープ一滴まで飲み干して、私は手を合わせる。私より先に食べ終わっていた彼が「いい食べっぷりだったな」などと笑うので恥ずかしくなる。少し下品だったかもしれない。

「会計は一緒で」
「え!?」

さて、早く会計を済ませてうちはを目指さなければと手持ちの鞄から財布を取り出そうとしていると、そんな声が隣から聞こえてくる。

「ま、待ってください!そのようなこと…」
「いや、隣に誘ったのもラーメンを頼んだのも俺だ。払うのも俺だろう?」
「いえ、食べたのは私です!むしろお礼として…!」
「いや、あの食べっぷりを見たら俺まで幸せになった。お礼というならそれで十分だ」

私がお金を差し出すより早く男性は会計を済ませて暖簾をくぐって出ていってしまう。私は厨房の男性に「ありがとうございました!」とだけ告げ、慌てて追いかける。

「待ってください!」
「悪いが、用事があるからな」
「そ、そんな…」

といっても、私にも用事があることを思い出す。そうだ、結婚…。うちはに行かなければならないんだ…。

「そうですか…。ならばお名前だけ」
「気にするな…といっても君は気にするんだろうな」

彼は長い髪をたなびかせて、こちらを振り向いた。

「うちは イタチだ」

それはまるで時が止まったような、そんな気分。

「今から先方の女性と会う約束がある。…これからはきっとこうやって昼食も取れなくなるだろうから…最後にと一楽にいったのだが…」
「まって……待って、ください」

私は痛む頭を抑える。
あんなに嫌煙していたうちはの…?
まさか、そんなまさか彼が。

「そういえば、君の名前は?」
「…………」

優しげな笑顔に、そうであれと願う
彼であればきっと私は。


「千手、観音……。今から、うちはに嫁入りします」

目を見開いた彼に、私の願いは確信へと変わった。

そして数秒の間。
静寂を打ち破ったのは彼の方だった。


「不束者だが、よろしく頼む」


それはこちらのセリフだと、気づけるほど脳内の整理は間に合っておらず。私は咄嗟に「幸せにします」と答えていた。


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