067

ーへぇ、うめぇじゃねえか。ー

目を細めて私の釣竿の先を見る彼に得意げに「好きなんですよ、釣り」と胸を張った。雪城さんは「随分渋いご趣味じゃねえか」と豪快に笑ってぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれた。大きくてゴツゴツとしたその手は少し歪で、彼の今までの戦いを物語っている。私に父親はいない、でもいたらきっとこんな感じだったのだろうか。そんなこと想像しては恥ずかしくなって顔が見れなくなる。
風の国に着くまでに寄った様々な街で、私たちは当然のように親子だと言われた。そっくりだねとも言われた。なんだかそれが嬉しくて、自然と距離が縮まった。
雪城さんは母の同級生でもあるらしく、宿では私の知らない彼女の話を聞かせてくれたりもした。

昔からプライドが高くて高飛車で冷静で、でも真面目で…むしろ生真面目すぎて遊びがない奴だったな。星屑家の跡取り娘というプレッシャーに立ち向かう確固たる強さを持っててよ、要領もいいし木ノ葉の上層部ともうまく立ち回るしなやかさもあったんだあいつは。木ノ葉を批判的に見てる周囲の考えに惑わされず、ひたすらに木ノ葉のために生きていた女っつー印象だな。

雪城さんの口から語られる母の話に私は真剣に耳を傾けた。知らない彼女のことを知るのはなんだか自分の愚かさを突きつけられるような感覚もあるが、それ以上に母を身近に感じることができるのがたまらなく嬉しい。聞けば聞くほど誇り高いその生き様に、抱いた感情は尊敬と憧れ。そんな私に気付いたのか、雪城さんはにっと口角を上げて「それから大層別嬪だったなあ」としみじみ呟くからつい笑ってしまう。色素が薄く線の細い美女だと私も思う。少し近寄りがたい雰囲気も、そんな外見から来ている部分もあるだろう。

ーもちろんお前も可愛いけどなあー

ニヤニヤ顔のまま言われても信憑性に欠ける。はいはい、と嗜めるようにため息をつくと「冗談じゃねえよ!?」と不満気に唇を尖らせた。大の大人が何をしてるんだと、今度は笑みが漏れる。どちらからともなく笑い出したあの時が何よりも楽しかった。

なのに…。


「はぁ…はぁ…っ」


いつの間にか降り出した雨に体力が奪われる。もう走っているのか転んでるのかもわからない。気づけば砂漠は終わり、深い森の中を方向もわからずに走っていた。何度も脳内をかすめる彼の笑顔が今は憎くて仕方なかった。

何で今隣に雪城さんがいないのだろう。行きはあんなに楽しかったじゃないか。釣りをして野宿をして、途中の町の宿で手料理を作ったりもした。美味しいって笑ってくれた。あいつとは大違いだなって、母の面影を私に見せてくれたのに。なんで、今私はこんなにぼろぼろになりながら一人で走ってるの?

「雪、しろさっ…」

泣いて呼んでも返事はないのだ。わかっているのにどうしても彼の姿を探してしまう。今私はどこを走っていますか?私、経験がないからわからないんです。思った通りに進めていますか?来た道を探す余裕なんてないからひたすらに来た方向に戻ってるだけなんです。私一人じゃこれが限界なんです。だから。

あなたがいないと私は何もできやしないのに。

「きゃっ!!」

地面から隆起した木の根っこに足を引っ掛けて盛大に転ぶ。泥まみれになった膝からは血が溢れていた。足首は大丈夫だ、まだ走れる。
本能的に溢れそうになる涙を拭って立ち上がろうとしたその瞬間、目の前に手のひらが差し出された。

「え…?」

それは真っ白で細い、愛を知らない手だ。

そっと見上げるそこにいるのは、不思議な目を瞬かせる君だ。

なんでもないように心配そうに眉根を寄せて、当たり前のように手を差し出している。ああもうこんなの夢だ。夢だ夢だ夢だ。こんな現実、だってありえないだろう。

「なん、で…っ」

彼がここにいると言うことは…そう言うことだろう。そんなのわかってる。私だってバカじゃない。“それ”を知らぬほど子供でもない。

雪城コハク。
私は彼にもらってばかりで何一人返せていない。なのにどうして。

「私…ひとりじゃ…っ」



私一人じゃ、何もできないんですよ。
……“お父さん”。


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