古びた金貨を一枚手にしながら、ブーツのかかとを鳴らす。ぴん、と指で弾けばすこしだけ跳ねたあとまた戻ってきた。ポケットのなかにあるおなじそれをじゃらじゃらと揺らして、土煙に包まれる砂漠を延々と歩きつづける。砂ぼこりで髪の毛はぼさぼさだ。今じゃ歩き疲れた足も慣れてしまって、ただレインベースへの道を進むだけ。着かなくてはご飯にもありつけないし、空腹のままここまで歩いてきた自分自身にも嫌気がさしていた。それでも今は一分一秒も惜しいために忙しなく歩みを進める。
――はたしてどこまで歩いただろうか。それすらも分からないまま、前へ前へと体を動かす。いくら砂に足を取られたかなんて分かりもしないし、とっくに四肢は限界のようだった。くらり、とめまいがする。ブーツを履いた足がもつれる。あのはるか向こうにあった、故郷のナノハナが懐かしい。しかし、あの男に会うまでは死ぬこともできないと目を見開いて、砂の地面に手をついて再度立ちあがった。どくり、どくりと心臓が鳴る。苦しさで息がつまった。
いつのまにかレインベースの、おまけにレインディナーズの近くまで来ていたようで、立派な黄金の鰐を模したカジノが遠目に見えた。だんだんと砂煙が収まっていって、ゆっくりと目を閉じる。瞬間すこしだけぶわりと風が吹いて荒ぶったあと、とたんに静かになっていった。まるで歓迎されているかのようで、こんな湯だるような暑さにも関わらずざわりざわりと鳥肌がたった。
近くの宿に一晩だけ泊まって、体調を万全にするべく整える。チェックインしたときの名前は偽名。チップなんてものは払わない。最低限の金で宿賃を払い終わったあと、ナイフと大量の金貨だけを持って宿を出た。今や反乱騒動であたりは揺れているというのに、ずいぶんとこの場所は平和そうだ。レインベースの裕福そうな道を歩いていき、旅行客を呼び止める人たちの間を縫ってするりと門のまえに立つ。
レインディナーズ。このレインベース最大のカジノ。ずっと前から思いを馳せていたところだ。ようやくたどり着けたことに安堵して、同時に気を引き締める。むりやり作った凛とした顔にまわりにいた人がちらちらとこっちを見たが、無視してなかに入っていった。
ずかずかと進んでいって、受けつけに金貨をばらまくと「これ、すべてチップに変えてください」と言いはる。足音は分厚い絨毯のなかへと吸いこまれていく。勢いよく言い放った私ではあったが、係の人はすこしも動じずに承知しましたとだけ言ってうしろへと引っこんでいった。金貨の量は何枚だったか。そう考える間もなく、大量のチップと共ににこやかな笑みを渡されて、「お待たせしました」とだけ言われた。その声に幾分か現実に引きもどされたような気がした。

「あ、ありがとうございます」
「楽しんでくださいませ」
「………はい」

見たこともないような額のチップをゆっくりと手に抱えてから、あたりを見渡した。まわりには笑顔を浮かべる楽しそうな人、人、人。負けて落胆の色を見せる者もいるが、ここは金もちだけが集う娯楽のカジノ。たとえ負けたとしても、人生の終わりには到底繋がらないような奴らばかりだった。私が今持っているこのチップだって、彼らからしたらほんのささいな量にちがいない。
うしろでなにか電話をしながら連絡を入れる係員を横目に、悠々と歩いていって賭けられそうなところを探した。ルーレット、ビリヤード、ポーカー。……ポーカーならと、カードのルールを頭のなかで思いだしながらそちらに足を向ける。とたんにまわりが騒がしくなっていたようで、驚きながらも喧騒に目を向けた。
騒ぎたてるまわりの人々。女の人がうっとりとした顔で喧騒の中心を見ている。「クロコダイル様!」と聞こえたその声に、目を見開いた。

「…………!!」

悠々と歩いている、あいつは、紛れもなく。あわててその人混みの近くに近寄ってみて、軽うく手をあげながら笑う"ヤツ"を見た。うさんくさい笑みを浮かべて、笑うヤツ。
奇妙なことに、ようやっと追い求めてきた奴に出会えて、今目のまえにいるというのに、彼との間に隔てたようなうすい壁を感じた。周りのはやしたてる声も遠い。あれが人の人生を踏みにじって、自分だけ裕福に生きるやつのオーラというものだろうか。そう考えれば、自然と睨みあげて唇を噛んでいた。……やつは、悪だ。
そのままゆっくりと後を離れてポーカーに勤しもうと思っていたのに、すべての元凶であるそいつに声をあげられたことによって自身の足はぴたりと止まる。すっと腹の底が冷えるような感覚がした。

「ああ、あなたに用があるんですよ、お嬢さん」
「…………!」

びくり、と震える肩。お前敬語なんて使うような性格だったか、とまず驚きで足を止めて、次いで合点がいったようにうしろを振り向く。恐怖からかいざ対面したことへの緊張からか、チップを抱える手は幾分か震えていた。きっとどちらもだろう。それくらい、彼は取り巻きを前にして偽物の笑みを張りつけていたのだ。


レインベース最大のカジノのさらに奥、しょせんBIPルームと呼ばれる場所で、私は縮こまりながらもソファに座らされていた。先ほど受けつけでチップを渡してくれたはずの係員が飲みものを出してくれる。さっき電話していたのはボスに報告するためだったのか、と気づいて、ぎろりと睨みつけてしまった。おおよそ身なりもちゃんとしていない娘を警戒したのだろう。だが係員が引っこんだと同時に重厚そうな扉が開いて、クロコダイルが入ってきたためにそれもやめた。クロコダイル、と地を這うような声音で呟けば、彼は心底愉快そうに喉を鳴らす。

「こんなところまで来やがって、復讐か?クハハ…」
「……知ってるなら、聞かないでくださいよ」
「なんだ、当たってたか。カマかけたつもりだったが」

嘘つけ。そう吐き捨ててやりたくなったが、ぐっと我慢して飲みこんだ。本当は知っているくせに、わざわざ煽るようにせせら笑いながら言ってくるのだ。それのなんともムカつくこと。
―――やつが七武海の一人で、この国を乗っとろうと計画していることなんて知っている。確証なんてものはなかったが、こいつがこの国にいる時点で分かりきったことだった。海軍に入ったときは話すことも会うことも敵わなかった。だから抜けて、わざわざこいつを追ってまでアラバスタにもどってきたのだ。すべては、私のすべてを奪っていったこいつのために。海賊だった両親を奪っていったこいつのためにだ!
怒りにはらわたが煮えくりかえりそうだったが、それは拳をぎゅうぎゅうに握りしめるだけにとどめておいた。これではやつの思うつぼだ、と深呼吸をしてから、まっすぐにクロコダイルを見つめる。

「私は、あなたと賭けをしにきました」
「ほォ。賭け、ねェ」
「本当はポーカーでイカサマでもしたあとに来ようかと思ってましたが」
「おいおい、仮にもオーナーが目のまえにいるってのにその言いぐさはねェだろう」
「ハッ、どうだか」

お互いに笑いあいながら(ただし、私のほうは憎々しげに歪んだ笑みである)、ぴりぴりとした空気のなか相手を観察する。すぐにでも殺されてしまいそうな威圧感に目を細めながら、口を開いた。

「私はこれだけ出します。なので、私とゲームで賭けてください」
「なるほど。俺が勝ったら?」
「ふん、勝ってみせますよ。私が勝ったら、死んでください。クロコダイル」

そう言ってやれば、彼はすこしだけ眉をひそめたあと、楽しくてしかたがないと言わんばかりに口角をあげて、ちいさく指を鳴らす。「なら」と係員を呼んだかと思えば、アタッシュケースを持ってこさせた。

「俺はこれだけ出そう」
「…………!!」
「さぁ、どうする?差額はなにを出すんだろうな」

くつくつと葉巻を揺らしながら挑発的に笑う彼を見やって、しばし躊躇したあとぎりりと歯を食いしばった。目の前には自身のそれよりも大きな金の山。三倍、いや四倍はあるだろうか。それを見てひるんだが、ここまできて仇の男を逃すわけにはいかなかった。

「私の、命を。私の忠誠心をあなたにあげます」
「…!クハハ、これは面白ェ!お前のその顔がどれだけ歪むか、見ものだな」
「そっくりそのまま返します。私はあなたを殺すために、ここまで生きてきたんですから!」

そう言いあって、どちらともなく笑いあった。


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