別に誰かと付き合うという行為が初めてなわけではない。高校の頃に一回、そして大学時代にも一度だけ経験している。どちらも、最初は友達として接していたのにいつの間にかそういう仲にまで発展した、という感じだった。
好き、という感情はそれなりに抱いていたと思う。しかしそれ以上の関係にまで進みたいと思ったことは、実を言うと一度もなかったのだ、わたしは。そう考えてみると、わたしは今まで、本気で誰かを好きになったことがなかったのでは、と思えてくる。まあ、これはあくまで過去の話であって、現在は当てはまらないのだが。


「あれ?サイタマ、どっか行くの?」
「あー、ちょっと。怪人倒しに、な」

サイタマ家でシャワーを借りてあがると、先ほどまでおかしなTシャツを着ていたはずの彼が戦闘用のスーツ(笑)に身を包んでいた。隣では弟子のジェノスくんが「先生、急ぎましょう」と言って彼を急かしている。「分かってるって」手袋をぎゅっ、とはめたサイタマは、ぼんやりとその様子を眺めているわたしに「戸締まり、忘れんなよ」と、それだけを告げて日の沈みかけている外に飛び出していった。

「またか」

一人取り残された彼の部屋で小さく溜め息を吐く。
サイタマはヒーローだ。一応プロでもある。怪人が現れれば損得考えずにその場に向かって怪人を倒す。何時であろうと、何処であろうと。そう、彼女であるわたしが家に遊びに来ていたとしても、だ。
仕方がないことだと思う。これが彼の仕事であるから。「仕事とわたし、どっちが大事なの!?」などという心底鬱陶しい問いかけはしない。だってなんだかんだでわたしも彼より仕事を優先している節がある。今日はたまたま早く終わったから、久しぶりに訪ねてきただけだし。
それにしても、このままでいいのか、とも思う。何がって、つまり、男女の仲が、だ。
わたしとサイタマは付き合ってからだいたい1年くらい経っている(だいたいというのは、どちらも付き合い始めた正式な日時を覚えていないからだ)。大雑把で細かいことは気にしないところや、ぐちぐち言わないようなところなど、わたしたちは妙に性格の相性が良かった。勢いで付き合ったような感じもあるが、それはそれで結果オーライというやつである。何故なら今のわたしはサイタマのことをとても愛しているからだ。
こんな感情を抱いたのは初めてだ。言ってて気持ち悪いが、サイタマのことを思うと胸が苦しい。爆笑されるため死んでも口にはしないが。だから、わたしはカップルならば当然行うであろうその行為を、生まれて初めて「経験したい」、と思うようになっていた。というか、付き合って1年も経てば普通は自然とそういうことを行うものなのではないか?
彼は、サイタマはこの1年、指一本としてわたしに触れてこようとはしなかった。軽いボディタッチならあるけれど、そういう、少し大人な雰囲気になったことがないのだ。もしかしてわたしに女としての魅力がないなのでは!?と真剣に悩んでもいる。
つまり、あまりにも何もないプラトニックな関係に、少し退屈になってしまった、というわけだ。

(本当は、わたしのことなんて好きじゃない、とか……?)

あり得なくもないからおそろしい。好きじゃないなら家にあげんな!とも思う。けれど誕生日には真っ赤になって照れながらもプレゼントをくれたし、ホワイトデーにもやはり照れながらきちんと返してくれたし。ああっ、分からない。サイタマという人間が。

(ていうかこんなことばっか考えてるわたしって……ただの欲求不満の変態か)

恥ずかしくてサイタマにも聞けないし、ジェノスなんて論外だし、一体わたしはどうすればいいのか。
一人頭を抱えていた、そのとき。

「ただいまー」

わたしがリビングで悶々としている間にサイタマが帰宅してしまった。突然のことで驚きのあまり「うひゃああい!」という変な声をあげてしまった。

「……どうした?」
「……いや、何でもねえですすんません」

恥ずかしさのあまり思い切り顔をそらして目を合わせないでおかえりと言う。彼はわたしの様子に不審がりながらも気にせず綺麗なままのスーツを脱ぎ始めた。

「あれ、ジェノスくんは?」
「あー、あいつなら、クセーノ博士んとこ。またぶっ壊れたから」

出かけるまで着ていたおかしなTシャツを再び身につけるサイタマ。なるほど、じゃあ今夜はわたしとサイタマの二人きりというわけか。
どきどきと心臓が無駄に高鳴る。やはり意識せずにはいられない。どうしよう、心の準備が……!!
などと一人で勝手に妄想していると、サイタマは冷蔵庫からビールを2本取り出して「飲もうぜ」と言ってわたしに1本を投げ渡した。

「……」

いや、うん、分かってはいたけど。はは、馬鹿かわたしは。
悲しいような、ほっとしたような、なんとも複雑な感情を抱きながらわたしは冷えた缶ビールを喉に流した。





「でさ、俺は手貸すって言ってるのに、あいつ、自分で倒すってきかなくて」
「あはは。ジェノスくん、まだ若いからねえ。早く自分も強くなりたいんだよ」
「それは、まあ、分かるんだけどださぁ。俺だってさっさと倒して家に帰りたいのであって」

何本目か分からないビールを片手に、わたしたちは会話に花を咲かせていた。久しぶりに二人きりになれたというのもあるだろう。時間も忘れて、わたしたちは楽しい時間を過ごしていた。

「ふあー、…ねむ」

大きな欠伸をしてテレビに視線をやったサイタマ。そのとき、ふと見つめた彼の後ろ姿に、わたしの視線は釘付けになってしまった。

(サイタマのうなじ、綺麗だな)

酒のせいか、それとも欲求不満のせいか。とにかく今のわたしにはそれがとても魅力的に見えて、触れたくてたまらない衝動にかられた。
ゆっくり、ゆっくり、彼の背後に近づいてその美しいうなじに触れる。

「? どしたの?」

思わぬ場所の感触にサイタマが少しだけ振り向きながら尋ねてくる。わたしはそれに無視をして、彼の身体に自分の身体を密着させ、背中に抱きつくようにしながらサイタマのうなじにそっと唇を寄せた。

「…っ!」

途端、びくりと身体を震わせたサイタマ。それを見た瞬間、わたしの中でふつふつと興奮や欲望が疼き始めた。
今度はほんの少し舌を出して、その肌をつつ、となぞる。なぞったあとに唇を押しつければ彼が吐息を吐き出す音が聞こえた。

「……なぁ、お前、酔ってんの?」

呆れたような、諦めたような。どちらにしろ今の彼の声はわたしを煽る材料以外の何物でもなかった。

「そうかも」

サイタマの身体に腕をまわし、さらに身体を密着させる。サイタマの匂いが鼻に届いて、どうしようもなく胸が高鳴った。
ここまま押し倒してやろうか、なんて物騒なことを考え始めたそのとき、くるりとわたしの視界が反転した。見上げる先には、天井と少し困ったような表情をしながらも、頬を赤くさせたサイタマがいた。

「ったく、人がせっかく我慢してたってのに。いいんだな?お前。俺に、何をされてもいいんですね?」

照れ隠しからか、やけに饒舌なサイタマに面食らう。と同時に、彼の言葉に耳を疑った。

「…え、我慢?サイタマ、我慢してたの?」
「してたよ!当たり前だろ!」
「おお、びびった。……えっと、何で?」

頭にクエスチョンマークを浮かべながら尋ねると、サイタマは心底残念なものを見るような顔でわたしに盛大な溜め息を吐いた。

「……言っとくけど、俺。一回じゃ満足しねーから」

むすっ、としながらも頬を赤くさせてとんでもないことを言ってのけたサイタマ。しかし今のわたしにとってそんなことは些細な問題でしかない。

「それでもお前、いーの?」
「いーよ」

いいよ、そんなの。だって、ずっとサイタマに触れてほしかったから。
そう告げれば、サイタマは耳まで真っ赤にさせて、「ごめん、ちょっと、加減できないかも」と言いながら、わたしの首筋に噛みついた。

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