ヘッドホンから流れてくる音楽は僕にしか聞こえない。教室や廊下から聞こえてくる喧騒なんて遮断して、自分だけの世界を游ぐこの瞬間が好きだ。のんびりと雑誌を読みながら、それともぼんやり窓の外を眺めたりして、無心のようで、思考回路でさえも僕の中にある。
誰の声も聞こえない。けれど遠くから響くチャイムにはしっかり反応して、ヘッドホンを丁寧に鞄にしまった。そうして誰かと交わる世界へ戻る。高校に入学してからというもの、とりわけ意識したことはないけれど、いつしかそれが僕の日常になっていた。


好きな音楽は?と聞かれると正直返答に困る。ロックも好きだし、バラードも好きだし。流行りの歌も聞けば洋楽だって聞く。今はちょうど僕らの親世代に流行ったバラード調の洋楽が流れている。僕と同じ年で好んでこの曲を聞くのはきっと、珍しいと言われる方が多いだろう。
シャンプーの香りがふと鼻腔を掠めた。ふわり風が流れるように昔懐かしいメロディに乗って、聞こえるはずのない外の世界から彼女の音を拾った。

「蛍くん。蛍くーん?」

引き寄せられるように声のする方へと首を動かす。やっと気づいた。彼女はそう言ってくすくす笑った。明るくて特徴のあるおっとりした調子の声はヘッドホンの音楽をただのBGMに変えてしまうから不思議だ。
彼女は空いていた前の席に横向きに座ると、白い手を伸ばして僕の耳に張り付いていたヘッドホンを奪う。それを自分の耳に当てると、はっと目を輝かせた。

「この曲知ってる!」
「君がこういうの聞くとか意外だネ」
「お父さんが好きなの。車に乗るとときどき聞くよ」
「へぇ、」
「蛍くんとウチのお父さん、音楽の趣味合いそうだね」

机の上に置いていたiPodを勝手にいじりながら、曲を変えては知ってるとか知らないとか。ときどき外国人アーティストの読み方をたずねたりと楽しそうにしていた。ささいな事でさえ彼女との時間が心地いいと感じてしまうから、ホント、敵わない。
僕の日常に飛び込んできた彼女は高校で出会ったから決して付き合いが長いとはいえないけれど、なぜだか不思議と波長が合うようだった。誰とでも仲良くできるような、素直で裏表のない、まるで僕とは正反対のタイプなのに、数ヶ月前に出会ったとは思えないくらいに彼女の前では安心感を覚える。探していたパズルのピースがはまったような、そんな感覚。これが恋愛感情だと気づくことはきっと自然な流れだったように思う。

「蛍くんの曲のチョイス、すきだなぁ」

余韻が残る甘い声に体温が上がるのを感じた。それは彼女も同じだったようで、「好き」という言葉を発した自分に対して慌てふためく。
もう勘違いじゃないと確信を持てるくらいには、僕も彼女の気持ちに気づいている。もしかしたら彼女も僕が好きなんじゃないか、って。

「そういう君は普段どんなヤツ聞いてるの?」

彼女の反応にニヤリ口元が緩むことはあえて隠さずに、頬杖をついてみせた。恥ずかしそうに視線を泳がせながら、唇をぼそぼそ動かしては「あのね」とか「えっと」を繰り返す。意地悪だとは思いつつも、彼女の表情は見ていて飽きないから、ついからかってしまいたくなる。
彼女はブレザーのポケットから自分のiPodを取り出すと、丁寧にイヤホンのコードを伸ばしていく。片方を左耳に入れて、もう片方を僕の右耳にはめた。柔らか手のひらが頬に触れる。次にどきりとさせられるのは僕の番だった。

「今ね、インディーズのバンドにはまってて、そのファーストシングルがすごくいいの」

何度かボタンを操作した後に流れてきたのはべたべたに甘いメロディだった。あまり僕が聞かないジャンルのそれは、歌詞までもとびきり甘い。まるで告白の言葉をそのまま歌詞にしたようにどこまでもまっすぐだ。

「ね、すごくいいでしょ?」

身長差のせいか自然と上目遣いに僕を見上げる彼女はうっとりと曲に浸かっている。いつもはあどけなく笑う彼女がときどき見せる、大人びた表情。無意識に伸びた手は長い髪を優しく撫でていた。

愛してる。ありきたりなフレーズでも届くのだろうか?ひねくれた考えのせいで告白の言葉なんか口にできなくて、頬を赤く染めた彼女と見つめ合うことしかできない。歌詞の一つひとつがまるで僕たちをそのまま描いたみたいだった。繋がれたコードから流れる曲を聞いている彼女も、同じことを考えているのかもしれないと思うと、気持ちだけは誰の手にも届かないところへ舞い上がっていく。ひとつの音楽からうまれたのは、僕と彼女の、ふたりきりの世界。

ちょうど最後のイントロが流れ終わったところでチャイムが鳴った。机の上のヘッドホンもiPodも全て片付けて、2人の耳からイヤホンが離れていく。少しだけいつもと違う声色でそう呟いた彼女は、軽く手を振って自分の席へ戻っていった。

「蛍くん、この曲ずっと忘れないでね」

これが彼女との最後の思い出になるとは、想像することもできないまま。

***


部活終わりに薄暗い道を歩く。耳に被せているのはいつも愛用しているヘッドホンで、彼女と聞いたあの曲が流れていた。好きな人の好きな音楽をわざわざ何件も店を巡って探すなんて、自分で思うよりずっと僕は単純なのかもしれない。知名度の低いバンドだけに、CDを手に入れるのはなかなか大変だった。

彼女は遠くの県外へ転校してしまった。僕と音楽の趣味の合う父親の仕事の都合らしい。別れが寂しいからと言って友達には誰にも知らせずに、週が明けるとあっけなくいなくなった。転校を告げられたのは今日の朝、担任からホームルームでのことだった。
せめて僕にはひと言くらい言ってくれてもよかったのに。それとも僕がもっと早くに気持ちを伝えていればよかったのかもしれない。未来は目の前のほんの些細な行動一つで大きく変わってしまうのだから。そんな”もしも”のパラレルワールドを想像してみても目の前の景色は変わったりしなかった。


シロップまみれにしたくらい、甘くてベタなラブソング。彼女と聞いたあの瞬間は綺麗な曲に聞こえたのに、今はただの皮肉でしかない。
歌詞の物語はふたりの出会いに始まり別れで終わる。そんなとところまで僕たちにぴったりだった。

何度もはずそうとしたヘッドホンはまだ耳にぴったりと張り付いたままだ。「蛍くん、この曲忘れないでね」止めようとするたびに彼女の声が蘇る。もしかしたらこのときにはもう、彼女は転校のことを考えていたのかもしれないと思うと、何もかもがからっぽになったように思えた。
リピートボタンを押し続けたせいで、何度目かの出会いと別れを繰り返したこの曲はまた出会いへと戻っていく。せめてこの曲を聞いている間は僕と彼女の世界があり続ければいいのに。そう願わずにはいられなくて、ボリュームを少し上げた。ゆるり流れる曲調に合わせて、自然と歩調も緩やかになった。

「愛してる」僕が彼女に伝えられなかった言葉の代わりに、ささくれラヴソングが愚痴ってる。

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