天地万海


本編



「彼女が、空の民。」

空の民。聞き慣れない言葉を、集嶺は、オウム返しのように呟く。

「成程。空の民であったなら、納得がいくな。その蒼銀の髪も、瞳も、少なくとも地上では見れぬ色だからなあ。」

呆然としている集嶺とは対照的に、烏は一人でうんうん、と、何度も頷いていた。
烏は一人で納得をしてしまっているし、当事者でもある碧羽は、烏の言葉に静かに耳を傾けている。
これでは完全に、集嶺だけが置いてけぼりだ。
ただ傍観しているだけでもそれはそれで構わないのだけれど、やはり、仲間外れは面白くない。
待ってくれ、と、集嶺はせめてもの抵抗の如く、言葉を漏らす。

「待て。待ってくれ。俺を置いて行かないでくれ。」

そして思わず、本音も出る。

「烏。空の民って……。」
「集嶺。お前は俺の昔話よりも、鹿を追いかける方が楽しかったから、タチキリの歴史を覚えていないだろう。」
「な、なんだよ。タチキリの歴史って。」
「やはり。な。」

烏は青い髪を揺らし、少し寂し気に瞳を潤ませる。
ただしそれがわざとらしいものであることを集嶺はよく知っていたので、おい、と、不満げに声を漏らした。
まるでこちらが悪人のようではないか。
否、話を聞いていなかったという点においては、確かに悪人なのかもしれないけれど。
少しバツが悪そうにしている集嶺の顔を見た烏は、それで満足したのだろう。先程まで瞳を潤ませていたというのに、もう口の両端を持ち上げて、にまにまという擬音がピッタリな笑みを浮かべている。

「仕方ないなあ。狩りしか能のないお前に、俺が改めてタチキリの歴史を教えてやろう。碧羽とやら。少し、付き合ってくれてもいいかな?」
「は、はい。」
「……食事しながらの講義でも構わないか?」

パチパチパチと。
碧羽が焚いてくれた炎によって、いい具合に焼け始めた鹿肉を、腰に下げたナイフで食べやすいサイズに切りながら集嶺が尋ねる。
鼻で大きく息を吸い、肉の香ばしい匂いをその鼻腔に、そして口の中いっぱいに堪能しながら、烏は勿論だと頷いた。


第三話 タチキリの歴史


烏曰く。
世界はかつて、一つであった。と。
その世界が分かたれたのは、昔も昔の大昔。そんな歴史が本当に実在したのだろうかと、疑いたくなるぐらいには昔のことだ。
集嶺たち人間の他にも、その世界には多くの生き物が暮らしていたという。
頭から鋭利な角や牙を生やした鬼も。言葉を喋る動物の姿をした精霊も。見るに堪えない憎悪を撒き散らす妖も。
そして、世界を見守る神すらも。
多くの種族の生物が、各々の思うがまま、各々の好む土地で暮らしていたという。
中には鬼と人が交わって産まれた子どもがいたりとか。精霊と契約を交わし、その恩恵を受けていたりとか。
そんな不思議な世界だからか、先程の碧羽のように、人為らざる不思議な力を使う人間も多くいたのだという。

「では、ツノの生えた人間が歩いていたり、動物が喋っていたり、ということが……割と日常的であったということか?」
「日常的かは、わからないです。文献ではそれぞれの種族は、互いに極力干渉しないようにしていたみたいですから。」
「それは、何故だ。」
「じゃあ、例えば集嶺さん。私と初めて会った時……どう思いましたか?」

碧羽の問いかけに、彼女を助けた時のことを思い出す。
見覚えのない蒼銀の髪。正直、美しい少女だと思った。けれど、碧羽が言いたいのはそういう意味ではないだろう。
自分と同じ人間としての姿をしていて。でも、自分とは決して同じではない色を持つ異質さ。空から降って来るという、人としてはあり得ない境遇。
未知と言えば、未知だ。
だから、碧羽が求めている答えは。

「自分とは違うものが突然現れて……驚いた。」

集嶺の言葉に、うんうんと碧羽は頷く。
少し満足そうな笑顔は、やはり、可愛いと。思う。否、そう思っている場合ではないということは、百も承知なのだけれど。

「そうなんです。だから、互いに干渉しなかった。でも、どうしても近所に住んでいれば、出会ってしまうこともあるでしょう?」

碧羽のその言葉には、集嶺も心当たりがあった。
洞窟のある集嶺の住処周辺は、山岳地帯だ。相棒の獣、ベルクに跨って少し駆ければ森があるけれど、それでも人が多く住んでいるかといえばそうでもないし、いたとしても昔から山岳地帯を縄張りとしている見知った顔が殆どだ。
しかし、狩りで取り過ぎた鹿肉や、角を加工した道具や武器を売りに山を下りれば、確かに色々な人がいる。普段出会わないような人とも、出会う。
集嶺のように山岳地帯を縄張りにしている者は、茶髪の者が殆どだ。
けれど山を下りた先には、森に住まう、緑髪の者や湖周辺に住まう水色がかった翠色の髪をしている者など、少なくとも、自分とは異なる出身の者とすれ違う。
ひっそり暮らしていたとしても、市場に出る時や、出ざるを得ない時というのは、存在するということなのだろう。

「そして、互いが異なるが故に、衝突したり、争ったり、することがどんどん増えて行ったんです。それを嘆いた神様が、種族ごとに住む場所を決めて、世界を分けた。それが、タチキリの歴史なのです。」
「じゃあ……碧羽の子孫は……」
「はい。私たち、空の民はタチキリを行った際に分かたれた、精霊や神、もしくはその力を色濃く継いだ人々の末裔と言われています。だから、先程のように手をかざすだけで火を起こしたりするのは、割と日常的ですよ。」

強力な力を持つ人は、少しだけなら雨を降らしたり、天候も変えられるのだと碧羽は笑った。
もし、本当に天候を変える力があるのであれば、日照りに困ったり洪水に困ることもないだろう。
そう考えると、彼女たちの力は少し羨ましいかもしれない。
作物を育てることを生業としていないから、少し他人事だけれど。

「そうか。逆にこちらは、そういうものには疎いのだろうな。火を起こすにしても、水を汲むにしても、全てが全て、道具に頼って生きている。特異な力がないからこそ、道具や知識で文明を築いて行っている……のが、もう少し下。平原の方の話だ。俺は地の民の中でも山岳民族だから、火を起こすのにもこんな石一つで苦労しているが、平原の方ではもっと文明が発達しているらしい。」

逆に碧羽は、集嶺の言葉にどことなく瞳をキラキラと輝かせながら耳を傾けていた。
道具が発達した、自分の知る土地とは異なる世界に、興味があるのかもしれない。
ところで、と、集嶺は碧羽に問いかける。
焼けたばかりの肉を小さな口で一口かじりながら、碧羽は首を傾げた。

「タチキリの歴史は、少しわかった。正直現実にあったことなのか、どこまでが作り話でどこまで本当なのか、まだ疑わしいところもあるけれど、碧羽の不思議な力を見れば、全てが作り話というのも考え難い。とは、思う。」
「百パーセント信じて欲しいとは言いません。でも、少しでも理解してくれたら、嬉しいです。」
「嗚呼。で、タチキリの歴史を理解して、碧羽が空の民という、此処とは少し違う世界から来たということも、少し、わかった。」

はい、と、碧羽は頷く。
肉を齧り、飲み込んで、集嶺は次の言葉を吐き出した。

「それが、碧羽の語る世界の均衡と、兄探しにどう繋がるんだ?」
「そうでした。そこも説明が必要でしたね。……では、これを見てください。」

碧羽はそう言って、自身の袖の中に手を入れて、ごそごそと何かを探る。
そして袖から出て来たのは、小さな、天秤のような置物だ。
両端には球体があり、その片方、左側は淡い金色の砂が詰まっている。そしてもう片方、右側には、重々しい黒色の砂が詰まっている。
左右の球体に詰まっているその砂は、それぞれ、顕著に異なっている。右側の黒い砂の方が圧倒的に両は多いのだ。
それに従って、天秤は右側に傾いている。
ぱちぱちと、何度か瞬きをしてその天秤を眺めていた集嶺は、顔をあげる。顔をあげたその先には烏がいて、天秤を見つめる烏の瞳は、どこか、険しかった。
烏は、何か、知っているのだろうか。

「これは、我が家に代々伝わる道具です。左右に詰まっているこの砂が同じ量。天秤の傾きも同じ位置。それが、世界の均衡が保たれている望ましい形だと両親から教わりました。」

集嶺は再び、声を発した碧羽に視線を戻す。
そして、碧羽に戻した視線を、またゆっくりと天秤に向けた。
天秤の傾きが同じであれば、世界の均衡は保たれる。しかし。

「傾いている。な。」
「そうです。」

目を伏せた碧羽は、何処か悲しそうだ。
それはそうだろう。
均衡が保たれていないと、こう目に見えてわかってしまえば、落ち込むなというのも無理な話だ。

「違和感は、前々からありました。けれど、此処まで明確に傾き始めたのは、つい最近のことです。」
「世界で何かが起きている。否、起きようとしている。それを天秤で察したお前は、居ても立ってもいられず、地上に降りて来たということか。」
「はい。」

烏の問いに碧羽は頷く。

「私の家系は、代々、タチキリの歴史と、その歴史の元となった神を祀っています。兄は、巫女だった。だから、兄の力を借りたくて、私が勝手に探しに来たんです。」
「巫女?」

そうです。と、碧羽は集嶺の言葉にまた、頷いた。

「神様の力を借りて、神様の声を聞いて、世界を正す存在のことですよ。兄は、優秀でした。……私と違って。」
「碧羽も、巫女なのか?」
「私は半人前も半人前。兄が十年近く前に行方不明になってから、兄の代わりに巫女として修業を積んでいたけれど……全然駄目。兄にはかなわない。」
「だから、兄を探しに?」
「そうです。我ながらずるいし、卑怯だとは思います。力が及ばないからと、成長する努力をせずに兄に頼るなんて。でも、それを抜きにしても、やっぱり十年以上離ればなれだったから、兄を探したいと思っていたのも、事実です。それに。」
「それに?」
「知りたかったんですよ。外の世界のこと。地上のこと。地の民のこと。……洞窟って、初めてです。暗くて、湿気が多いから結構しっとりしていて、でも、涼しげで。ただただ暗いだけだけだと思っていました。でも、いいですね。なんと言葉にすればいいかわからないですが。でも、素敵です。」

そう言って、碧羽は、笑った。
パチパチと、淡い炎が揺れて、その炎の光が照らした彼女の頬は、ほのかに桃色に染まっていた。
穏やかで、美しい、横顔だ。

「助けていただいて、美味しいお食事までいただいて。ありがとうございます。もうすぐ、夜です。重ね重ね申し訳ありませんが……明け方まで、置いていただいてもいいでしょうか。」
「それは構わない。が、夜が明けたら……行くのか?」
「はい。兄を探しに。そして、巫女として、何故天秤が傾いたのか、原因を究明したいとも思っています。」

見知らぬ土地で。
少女が一人。
生易しい旅ではない。彼女が住む世界の広さはわからないが、少なくともこの世界はとても広い。
十年近く前に行方不明になった兄を。
たった一人で。
そんなの、無茶にも程がある。
けれど集嶺は知らない。そんな時、その少女にどのような言葉をかけるのが正解なのか。

「なあ、集嶺。」

そいて、そんな集嶺に対し、烏はあることを口にした。

「お前もついていったらどうだ。」

と。

 


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