天地万海


本編



ゆっくりと、瞳を開く。
視界に広がったのは黒くてゴツゴツとしていて重々しい岩壁。
どこかに水源があるのだろう。岩肌に伝った水滴が、ぽつんぽつんと滴っていく。
此処は何処だろう。
ひんやりとした岩肌は少し気持ちよくて、もう少しこうしていたいな、と名残惜しい気持ちを覚えつつ、少女は身体を持ち上げた。

「嗚呼、ようやく起きたのだな。」

目の前にいたのは、一人の少年。
否、少年と呼ぶには、彼はあまりにも中性的であった。ぱっちりとした大きな瞳と長いまつ毛。薄桃色のふっくらとした唇と、その顔に添えられた一つ一つのパーツはあまりにも女性的なのだ。
声だって、声変わり前の少年のようにも、少し力の強い女性のようにも聞こえる。少なくとも、雄々しい男のそれではない。
彼が男なのだと、そう、視界で捕らえることが出来るのは、長い袖からちらりと覗く、ゴツゴツとした手のひらぐらいだろうか。
よく見たら肩幅もそれなりにあるように見えるけれど、身体のシルエットを隠すようなその服から、体系を計り知るのは難しそうだ。
それにしても。と、少女は思う。
その少年の持つ、青い瞳と肩まで伸びた青い髪。
それは、自分がいつも見つめる青空のそれにとても近くて。

(まるで、空のような人。)

もしかしたら、空そのものなのかもしれない。
そう、錯覚してしまうぐらい、青々とした少年だった。


第二話 出会い、洞窟にて。


息を飲んで、少年をじっと見つめていると、嗚呼、と彼は一人呟いた。

「自己紹介がまだであったな。俺の名は烏(カラス)。何、取って食いやしない。お前を拾った奴は今食糧を回収しに行っていてな。直に戻る。」

そうして浮かべる笑みは、少年と少女が入り混じる、無垢な宝石のようなものだった。
声で、笑顔で、そして、両手を広げて語るその仕草で、本当に全身を使って“敵意はない”と、伝えてくれているように見える。
見知らぬ場所で。見知らぬ人と共にいる。
そのはずなのに、その笑顔は、確かに安心できるもので、少女は無意識に込めていた力をすっと緩めて、烏と名乗った少年に対し、頭を下げた。

「あの、助けでいただいて……ありがとう、ございます。」
「礼は戻って来たら奴にしてやってくれ。普段は冷めた男で、人助けをするなんて意外だったのだがなあ。ま、空から落ちて来た人間ともなれば、助けなければ即死故、助けぬ選択肢はなかったのだろうが。」

「空、から……」

空から、落ちて来た。
そう言われて、そういえば自分はどうやって此処に来たのだろう。と、思い返す。
意識を失う、その直前。
確かに感じていた浮遊感。視界一杯に広がった、青。重力に従うように身体はぐん、と下に引っ張られていって。
あれを、落ちたというのだろう。

「おお、集嶺(タカネ)。戻ったか。」
「烏。その人は俺の客人だ。無暗に絡むな。」

烏と、もう一人。声変わりが終わり切っていない、少年の声が頭上から降り注いでくる。
声が降り注がれた方角に顔をあげると、そこには、少女と同じぐらいの年頃と思われる少年が立っていた。
鎖骨まで伸びた、豊穣の土を連想させる茶髪と、満月のような金色の瞳。
長方形状の袖丈を持つ黒い服を着た少年は、右手に肉の塊を抱え、左手に白い角を抱えていた。
ぱちりと、満月の瞳と目が合う。
少女を視界に収めた、集嶺と呼ばれた少年は、ほっとしたように息を吐いて、穏やかな顔で少女に微笑んだ。
その微笑み方は、少女の傍らに座っている烏とよく似ている。
顔が似ているという訳ではない。ただ、柔らかさというのだろうか。温かさというのだろうか。そう、雰囲気。そのような雰囲気が、どことなく、似ていた。

「目を覚ましたか。えっと……」
「碧羽(アオバ)。碧羽といいます。烏さんから聞きました。助けてくださった、と……ありがとうございます。」
「礼はいらないよ。人間として必要最低限の礼儀を果たしたに過ぎない。と、言いたいところだけど、感謝されるのは素直に嬉しいからね。その気持ちは、有難く受け取るよ。改めて、俺の名前は集嶺。この洞窟で、そこの偏屈爺と一緒に暮らしている。」
「偏屈とはなんだ集嶺。俺はまだピチピチだぞ。」
「外見だけはな。十年以上容姿変わってねえ男がどの口で言う。」

唇を尖らせて抗議する烏を、集嶺は軽くあしらう。
十年以上容姿が変わらないと言っているということは、少なくとも集嶺と烏は十年以上、共に暮らしているということなのだろう。
集嶺と烏の笑顔が何故似ているのか、なんとなくわかった。
長年共に暮らしていると、仕草や雰囲気というものは、血が繋がっていなくとも似るものなのだから。

「腹、減ってない?」

集嶺は碧羽に声をかけながら、右手に抱えていた肉塊を降ろす。
どさり、と重量感のある音を立てて落したそれを碧羽はおずおずと覗き込んだ。引き締まった赤い肉。生では腹を壊すだろうが、焼けば美味しいに違いない。
肉が焼けた時の香ばしい匂い。ぽたぽたと滴り落ちる油。歯を立てて、噛み千切った時に溢れる肉汁。
それらを想像して、碧羽は思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
はしたない行動を自覚して、はっと思わず集嶺を見るが、そんな彼女を見つめ続けていた集嶺の顔は、呆れる所か笑顔であった。

「どうやら、減ってるみたいだな。今日は大物だったんだ。売り物にする分を差し引いても申し分ない。一緒に食べよう。」
「え、で、でも。助けていただいただけじゃなくて、食事まで。」
「構わないさ。」

外から拾って来たのだろうか。集嶺は足元に木の枝や枯葉を集めて、黒い火打ち石をカンカンと甲高い音を立てて鳴らす。
カン。カン。カン。
石と石をぶつけていると、赤い、小さな火花が散る。けれど、そう簡単につくものではないということは、碧羽でも知っていた。
そこで。

「あの、集嶺、さん。ちょっといいですか?」

そう言って、碧羽は集嶺を呼び止めた。
火を起こそうとしていた集嶺は、その手を止めて、碧羽を見る。

「お手伝い、させてください。これがお礼になるなんて思えませんが……でも、ちょっとした、お礼です。」

白い袖から、その衣と同じぐらい白い肌が伸ばされる。
傷一つない綺麗な両の手が土の混じる枝葉に触れると、碧羽はゆっくり目を閉じた。
手に、意識を集中させる。
温かな、全てを包む紅色を思い浮かべて。

「……これは……」

感嘆の声を漏らしたのは、集嶺であった。
集嶺にとって、目の前に広がる光景は信じがたいものであっただろう。
碧羽が枝葉に触れて目を閉じたと同時に、パチ。パチ。パチと、火花が散る音がしたと思えば、みるみるそれらが淡い光を放ちながら燃え始めたのだ。
火打ち石や、その他の道具も使わずに、ただ手を添えただけで炎が上がる。
まるで御伽噺で見るような、神の御業や魔法の類だ。

「神の業。神業(ミワザ)と呼ばれるものです。人によっては、魔術とか、魔法とか呼ぶ人もいるそうです。集嶺さんたちのような、地上の民でこれらを操ることができる人は極少数と聞きましたから、集嶺さんも、見るのは初めてですか?」

開いた口が塞がらない。とは、この時の為にある言葉なのだろうか。
ぽかんと、我ながら呆けた顔で碧羽を見つめる自分の口はだらしなく開いているに違いないと集嶺は心の中でどこか他人事のように考える。
初めて会った時から、不思議な少女だとは思っていた。
この辺りでは見たことのない青とも銀とも呼べる不思議な色の髪。先程は固く閉じられていたから見ることができなかったが、今なら彼女の瞳もよく見える。
青みのある銀色の瞳。それが、彼女の瞳の色だった。
しかし、ここ数年、そんな色の瞳を持つ人間はこの周辺に現れたことはない。
少なくとも集嶺は、この地上で、そんな瞳の人間を見たことはない。

「碧羽……えっと、君は……」
「成程なあ。」

戸惑いを隠せない集嶺をよそに、烏は一人呟いている。
どうやら彼は、彼だけは、この状況を納得しているようであった。

「その髪。その瞳。その異能。集嶺が空から降って来たというからまさかと思うたが……碧羽。お前は、“空の民”だな?」

烏の疑問に、碧羽は頷く。

「その通りです。私は、空の民。確かに私は空から落ちてきました。文字通り、空の上からやって来たのです。」

集嶺はまだ、この状況について行けない。ついて行ける訳がない。
ついて行ける者がいるならば代わりに話を聞いておいてくれ。その間、自分は頭を使わず鹿を狩って来るからと。そう叫びたい思いに駆られてしまう。
しかしその衝動をぐっと堪えて、真剣に烏と集嶺を見つめる碧羽の瞳を見た。

「空と地上の均衡を保つため。そして。」

パチパチパチと、火花が散って、炎が大きく膨らんだ。
大きく膨らんだ炎が彼女の銀色の瞳に映り込む。銀色に映り込む朱は、いつも見つめる炎よりも一層美しく見えて。
後にも先にも、こんなにも綺麗な炎を見る日は、きっと、ない。

「兄を、探すために。」

そして、火花の音と共に、洞窟内で、少女の小さな決意がこだました。

 


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