アルフライラ


Side黒



「風呂はどうだった?」
「……暖かかった。」
「それは何よりだ。お前の部屋も用意したからな。案内をしてやる。」

シャマイムはノワールに導かれるがまま、宮殿内を歩く。
目の前を歩くノワールと、彼が抱く人形以外に出会ったのは、大きな杖を持った白髪の少年ぐらいであった。
宮殿と呼ぶにふさわしい広さを持つ場所なのに、そこは、規模の割に暮らしている人間があまりにも少ない。

「この宮殿は私とルミエールと、先程お前が出会ったテフィラしかいないよ。」

ノワールがそう告げると、シャマイムは、ノワールの予想通り、目を見開いて驚きの表情を見せた。
予想通りなのが少し面白くて、くすくすと喉を鳴らしながら笑ったノワールは、自室の隣にある空き部屋の前に立つ。

「此処がお前の部屋だ。あまり掃除が行き届いていなくてな。少し散らかっているかもしれんが……まあ埃は片付けたから、ゆっくり休んでくれ。」

さて。
そろそろ次の仕事に向かおうと、ノワールがシャマイムに背を向けた時。

「待ってくれ。」

シャマイムの、ノワールを呼び止める声が聞こえた。

「……少し、話をしないか。」

その問いかけに、ノワールは口元を緩めて、こう答えた。

「構わないよ。」


Part13 経歴不明の男:シャマイム=テヴァU


「珈琲は飲めるか?」
「嗚呼、ありがとう。」

ノワールは珈琲を淹れてからシャマイムの部屋へと戻って来た。
温かいマグカップを手渡すと、シャマイムはそれを受け取り、一口飲む。砂糖もミルクもまだ入れていなかったが、彼はブラックもいける口らしい。
ノワールもまた、黒々とした液体を口に運ぶ。
舌がぴりぴりと痺れるようなこの苦味は、目を覚ますのに丁度良いのだ。

「話とは、何だ?」
「大したことじゃない。……お前が何も聞いて来ないから、俺が話せる範囲のことをお前に語りたいと思ったまでだよ。」
「別に、無理をして話す必要はないぞ?」
「そうじゃない。……お前は、身元もよくわからない俺を、国民だからという理由だけで全面的に信頼した。信頼してくれた。だから、その信頼に、俺も答えたいだけだ。」

律儀な男だ、と、皮肉ではなく、素直にそう思った。
ノワールはアルフライラの統括者だ。シャマイムがこの国で暮らす国民である。それだけでノワールには十分、信頼するに足るものがあった。
けれどシャマイムにとっては違う。
自分を信じる義務も義理も何もない。けれど、ノワールが信じてくれた。それだけの理由で、彼は、こちらを信頼しようと、歩み寄ってくれた。
それが素直に嬉しくて。でも、それを表情に出すのはくすぐったくて。
そうか、とだけ呟いて、ノワールは、珈琲を口に運び、その酸味で舌を刺激した。

「お前と会った時……墓の前にいただろう。」

確かにシャマイムは、ノワールと出会った時、墓地にいた。
疫病で倒れ、亡くなった女の墓の前に、彼は静かに立っていたのだ。
シャマイムとその女では、外見の年齢は随分と離れている。親子かとも思ったが、親子であれば、シャマイムが出自不明というのはあり得ないことであった。
ノワールの疑問をシャマイムも悟ったのだろう。華奢な両手で持っていたマグカップをテーブルに起き、改めて、ノワールに向き直ったシャマイムは、語った。

「彼女は、俺の妻だった。」
「…………え……」

思わず、驚嘆の言葉が唇から漏れる。
失礼であったと唇を噤んだが、シャマイムは、当然の反応だよ、と言って笑ってくれた。

「俺と彼女が出会った時、彼女はまだ十代だった。家族を亡くし、友を亡くし、救いを求めてこの国に集ったんだ。今から、もう三十数年も前のことかな。」

シャマイムは目を細めて、懐かしそうに語る。
彼の外見は未成年の若者だ。三十数年も前であれば、本来、彼はまだこの世に生まれていない。
けれど、昔を噛みしめるように、慈しむように語るシャマイムの言葉に、嘘偽りは感じることが出来なかった。
ノワールはそのまま、彼の言葉に、耳を傾ける。

「美しい女だった。不思議な髪を持つ女でな。爽やかな、雲一つない青空の下にいると、その髪も空と同じ、青色に染まった。燃えるような夕焼け空の下ならば、彼女の髪も、燃える紅色に。静まり返った夜空の下ならば、彼女の髪も、黒く塗りつぶされた。満天の星空が、彼女の髪にも投影されて、きらきらと、彼女が身体を跳ねれば、白い星々が弾けて光った。美しい髪を持ち、自然を慈しみ、人を愛す、心も美しい女であった。」

その女に、まさか、そのような特殊な体質があるとは思わなかった。
しかし、彼の話を聞いていると、その美しい髪、是非、生きている時に拝見したかったと改めて思う。
よくよく思い返せば、ノワールは日中にアルフライラの外を歩くことが多かったので、いつも、空色に映える彼女の髪ばかりを見ていた。
夕焼けの下に佇む燃えるような赤も、夜闇に溶け込む黒も、どの髪もきっと、美しかっただろう。
夜明け前の紫色の空など、さぞ、美しかったのではないだろうか。

「嗚呼、美しかった。美しかったとも。淡く白んだ、薄紫色の夜明け前の彼女の髪のなんとも繊細で美しいことか。お前にも見せてやりたかった。否、私だけが見ることが出来る、特権のようなものであったから、やはりそれは譲れんな。」

そう言って、くく、と、シャマイムは笑う。

「彼女も、お前と同じで物好きな女だった。この国が出来る前から彷徨っていた俺を家に招き入れ、居場所がないならば共に住もうと言い出し、寝食を共にした。籍は入れていないが、それでも俺は彼女を妻として扱い、彼女も俺を夫として扱ってくれた。気付いたらずっと此処にいる、年も取らぬ奇妙な魔術師を、彼女は愛してくれたのだ。……幸せだった。老いていく彼女を見るのは辛かったが、瞬きのようなこの瞬間は、それでも、俺にとって、掛け替えのない、大切な時間だった。」
「……愛して、いたんだな。」
「愛していた。否、今でも愛しているという方が正しいか。彼女は物言わぬ骨となった。土の中で眠っている。けれど、それでも、今もなお、彼女を愛おしいと思うのだから。」

この、シャマイム=テヴァという男が、どれだけの時を生きているかはわからない。
しかし、この話しぶりからするに、きっと、このアルフライラという国が建国される、それよりも前から、彼という男は存在し続けていたのだろう。
そんな彼にとっては、今は墓で眠る女と過ごした時間は、ささやかな、泡沫の夢のようなものであったかもしれない。けれど、それでも、彼にとって、永遠に噛みしめていたい、優しい時間でもあったのだろう。
少しでも長く、永く、彼らが共に在ることが出来なかった。その事実を、悔やむばかりである。

「彼女は言っていた。いつかこの国が、誰も死ぬことのない、病に苦しむことも、飢餓に苦しむこともない、誰もが平等に穏やかな時間を刻み続けることのできる、天国のような、理想郷のような国になればいいのに、と。夢物語だと俺は笑ったが、彼女は本気で、そんな理想郷を、夢見ていた。今となっては、そんな話をしていたことも、懐かしいよ。」

嗚呼、本当に、彼女が既に亡き人であるということが、悔やまれてならない。
もし彼女がまだ生きていたならば。
きっと、ノワールの考える理想郷を、一番に理解してくれる国民になってくれただろうに。

「……なあ、シャマイム。もし、そんな夢物語を語る者が、彼女以外にいると言えば、お前は笑うか?」
「なんだ。まさかお前も、誰も病や飢餓に怯えない、理想郷のような国を創りたいと言い出すのか?」
「嗚呼、そのまさかさ。それだけじゃない。後数年で、それを実現させようとしている。」

ノワールがそう語った瞬間、シャマイムの瞳は大きく見開かれた。
驚愕の色で染まった彼の手が伸び、ノワールのマントを掴む。どういうことだ、と、小さな声で呟いた。
今言った通りだと返しても良いけれど、そう言ってしまう程、ノワールも口の足りない人間ではない。
ノワールは、自身の計画を、彼に告げた。

「この国全体に、不老不死の魔術結界を施す。そうすることでこの国全体の時は止まる。そうすればこの国は、誰も老いることのない、病にかかることのない、飢餓に苦しむことのない、理想郷のような国になる。そうすれば、私の父や、お前の妻のように、疫病に倒れ、亡くなる者もいなくなる。誰も、誰も死なない。誰も、犠牲にならない。」
「そんなこと、本当に……」
「出来る。やる。やるんだ。勿論下準備は要る。故に、すぐではない。数年後になると思う。それまでは、テフィラと共に考案した薬で疫病の予防をするしかない。だが、悠長なことも言っていられない。けれど、叶えば、今生きている国民はまだ、護ることが出来る。」

既に亡くなった人々を、救うことはできない。
故に、シャマイムが愛した老婆も、ノワールが敬愛した父も、生きて蘇ることはない。
けれど。それでも。今生きている人々は、救うことができる。
救えなかった人たちが、夢見た世界を創り出すことは、できる。
シャマイムの瞳が、輝く。まるで目の前に、神が舞い降りたと錯覚しているかのように、彼は大きな瞳をきらきらと輝かせて、ノワールの手を、包み込むように握り締めた。
興奮しているのだろうか。その手は、熱を帯びていた。

「シャマイム。俺に、その理想郷を創る手伝いをさせてくれ。否、させて欲しい。彼女が、……シャロが願った世界。誰も苦しむことのない、夢のような世界。彼女の願いを叶えることが、亡き彼女への、一番の手向けとなるに違いない。彼女のためにも、私のためにも、そして、今生きる国民のためにも、どうか、どうか、手伝わせてくれ。お前の元で、仕えさせてくれ。」
「そう言ってくれると、心強い。けれど、仕えるなんて……私には不釣り合いだ。だから、そう、そうだな。どうせなら、友として。友として、私の傍にいてくれないか?友として私に力を貸し、私のことを支えてくれ。私には姉も兄もいるが、友というものはまだいなくてな。恥ずかしい話だが、……友達が、欲しいんだ。」
「嗚呼、もちろん。もちろんだ。ノワール。俺の……否、私の、最初の友。私が愛した女が愛した国を。そして、我が妻の理想を。我が友の理想を叶えるために、この力を貸そうじゃないか。」

この日。
初めて出会った二人は、互いに、初めての友となった。
アルフライラという国が、不老不死の国家になる。その、少し前の、出来事である。

 


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