悠久休暇


白い監獄



「死なせてください。」

悠久休暇は、三百六十五日、年中無休。
そんな店に本日訪れた客人は、店主である小鳥遊浮が手伝ってやらずとも、すぐに死んでしまいそうな、やせ細った女であった。
骨と皮だけに等しいその二本の脚で、よくぞここまでやって来たな、と、半ば関心してしまう。
どうやって来たんだい。
客人にそう尋ねたところ、客人は、死にたいと思いながら、とある場所を彷徨っていたら、偶然見つけたのだという。
確かに、この悠久休暇という店は、自殺志願者の前に現れる。それは、場所を選ばない。
けれど、大半の人間は僕の店は路地裏に在った。という。それは、客人たちが、こんな怪しい店があるとすれば、それは路地裏だ。という先入観があるからだ。
客人たちがそういった先入観を抱きながら店を探していたのだとすれば、路地裏に出現することが多いのも無理はない。だって、悠久休暇を求めて、あてもなく路地裏を彷徨っているのだから。
けれど。
今目の前にいるこの女のように、どんな場所でもいいから場所を選ばないというのであれば、場所を選ばず、現れるだろう。

「私。もう、永くないんです。」

それが例え、病院という、命を救うべき場所であろうとも。


番外編 白い監獄


不治の病を患い、余命幾ばくもないのだと、彼女は言った。
最初こそ、信じられなかったそうだ。だって身体は元気で、何の問題もなくて。たまたま健康診断で引っかかって、病院で再検査をしたら見つかって。
これは夢だと。何かのドッキリではないかと。本気でそう思ったのだという。
けれど、己が不治の病に侵されていると自覚した直後。地獄はすぐにやって来た。
全身を何かで叩かれたような痛み。内側から焼かれるような熱。常に首を絞めつけられているかのような息苦しさ。
痛い。熱い。苦しい。助けて。手を伸ばして、なんとかナースコールを押せば、束の間の安らぎという名の、痛み止めを与えられる。
しかし、痛め止めも長続きしない。もっと。もっと欲しいと。水に飢え、砂漠で彷徨う放浪者のように手を伸ばしても、看護師たちは首を横に振るのだ。これ以上は死んでしまうから、と。
それならいっそ殺してほしい。
死んで楽になりたい。このまま苦しみ続けながら、無理矢理生かされるよりも、安らかに死んでいった方がずっといい。
死にたい。
死にたい。
死にたい。
死んで、楽になりたい。

「けれど、この国で安楽死は認められていないから。人を生かすことが全てだと。生きることこそが幸せだと。そう思われているのがこの世の常だから。何も知らないのに。毎日身体を襲うこの痛みも。熱も。息が出来なくなった時の恐怖も。何も知らないくせに。頑張って、って言うのよ。」

私はこんなにも頑張っているのに。
女は絞り出すように呟いて、その瞳から、ぽつりぽつりと、大粒の涙をこぼした。
やせ細ったその身体はか細く震えていて、今もその身体を襲う痛みに。熱に。耐えているのだろうということが、嫌でも想像することができる。
だからといって、その痛みを理解することは、小鳥遊には一切、できないのだけれど。

「助けてください。私にはもう、貴方しかいない。怖いんです。いつ死ぬかわからない恐怖を抱きながら生き続けるのが。辛いんです。痛みに耐えながら生き続けるのが。どうせ死ぬというのなら、自分の意志で、自分の望むように死にたい。だって、これは私の人生だもの。」

そう。
彼女の人生は彼女だけのものだ。
生まれる自由はなくとも、死ぬ自由ぐらい、許されてもいいはずだ。
死ぬことがどれだけ辛いとしても。残酷だとしても。そして、生がいかに尊いかを語られたとしても。
生きたくても生きられない人がいるとしても。
けれど、それは、その言葉は、五体満足で何不自由なく生きている、健康体の人間が放ったエゴだ。
だって、生きていることそのものが地獄だと、そう嘆く人たちだって、この世にはいくらでもいるのだから。

「僕には、貴女の痛みは理解できない。熱も理解できない。苦しみも、恐怖も、理解できない。けれど、それは、理解できなくて当然だと思う。だから僕は、あえて、理解しようとは思わない。君に対して、僕が気持ちとして分かち合うことが出来るのは、死への渇望。ただ、それだけだ。」

そう言って小鳥遊は、目の前に客人として座る女に対し、淹れたての、温かなミルクティーを差し出す。
琥珀色のそれをじっと見つめる女は漂う甘い香りに、その瞳を潤ませる。
この様子から、もう、幾分も、味のあるものというものを、口にした記憶はないのだろう。
もしかしたら、随分、点滴まみれの生活が長いのかもしれない。
女は顔を手で覆い、さめざめと、嗚咽を漏らしながら静かに泣き出した。

「それを飲めば、楽になる。もう痛みに嘆くことも、熱に悶え苦しむこともない。五体満足な人間を恨んだり、偽善ばかりの医師たちを恨んだり。この世の中、全てが全てを、恨まずに済む。」
「本当?本当に?もう私は、苦しまなくていいの?嘆かなくていいの?苦しみ故に、私だけを不幸のようにさえ思わせる、この世界そのものを、恨まなくて、いいの?」
「嗚呼。もう、恨まなくていい。憎む必要はない。もう、楽になっても、いいんだよ。」

女の表情は、穏やかな笑顔へと変わっていく。
死への恐怖とは。苦しみとは。とても残酷なものだ。
何故自分だけ、と。世を恨むこともあるだろう。頑張れと、病気に打ち勝とうと、慰めて来る医師を、何も知らないくせにと罵りたくなるだろう。病を患う身体に産んだ両親を恨むかもしれない。見舞いに来てくれる、五体満足の友人すら、恨みたくなるかもしれない。そして、自分より不幸な誰かがいたならば、自分はまだマシなのだと、安堵して、しまうかもしれない。
最終的には、そんな、浅ましくて、醜くて、おぞましい、自分自身を恨み、嫌悪してしまうのかもしれない。
けれど。
それは、間違いではない。
だって、人間というのは、そういうものなのだから。
女は両手でミルクティーが満たされたティーカップを持つと、乾ききった唇をカップの縁へと添えて、琥珀色の液体を飲み干していく。
固形物をまともに取り込んでいないであろう身体。
何度も咳き込みながら、少しずつ、そのカップの中身を飲み干していく。
カップが空になったと同時。女は、温かい、と、小さく呟いた。

「とても温かくて、身体の芯まで、届くよう。病気で熱い熱いと苦しんでいた、あの時の熱とはまた違う……穏やかな、熱。」
「穏やかな熱というものも、悪くないだろう。」
「ええ。ええ。悪くない。悪くないわ。だって、とても、素晴らしい。……眠れない時、母に、こうしてホットミルクを作ってもらった。蜂蜜入りの。あれに、とても、よく似ている。」
「……そう。」
「また、飲みたかった。なあ。」

そう言って、やせ細った女の瞼は、ゆっくりと、静かに、閉じられた。
女の遺体が病室で見つかったのは、その翌日のことだった。女の死に顔はひどく穏やかで、安らかで。
彼女の枕元に添えられた直筆の手紙には、こう記述がされていたという。

私は、私自身の手で、私の人生の終わりを決めます。と。


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