Pray-祈り-


二人ぼっちの留守番



「どうした、エイブラム。」

今日は休日。学校は休みだ。
本来であれば休みなのだが、単位がぎりぎりであったり、試験の成績が悪かった生徒については、補修が必要となるため通学を余儀なくされる。
アベルはその、通学を余儀なくされた者の一人であり、休日は特に予定もないエイブラムは、ふらりと教会に立ち寄った。
いつものように教会へ入れば、そこには、聖書を開き、祭壇で祈る仕草をしていたアルバが一人、立っている。
肩まで伸びた、白みがかった薄緑色の髪を揺らし、金と青、左右異なる瞳を細めて笑った彼は、静かに、手に持っていた聖書を閉じた。

「今日は、特に用事がないから、何かあればと思って。」
「そう毎日毎日、未成年を駆り出す程、我々とて人材に困ってはいないさ。……と、言いたいところだが、つい先程、大半が出払ったばかりでね。後少し早く来ていれば仕事もあっただろうが、生憎今日はもう何もないぞ。」

そう言って、アルバは小さく笑う。
後少し早ければよかったのか、惜しいことをしたと思いつつ、これからどうしようかと思い、首を傾げる。
今日はアベルもいないし、家にいても、特にこれといってやることもない。何もないからさあお帰りくださいと言われて、ほいほい帰るのも、なんとなく気が引ける。
簡単に言ってしまえば、手ぶらで帰るのはなんとなく癪なのだ。
勝手に来て、仕事がないから勝手に不貞腐れるというのも人としてどうなのだろうと我ながら思うけれど、そういう心境の時が誰だってあるだろうと思いたい。
アルバもこちらの心境を少し察したのか、口元に手を当てて、少し、考える仕草をする。
その仕草を少しした後、何か思いついたかのように、にやりと口元に不敵な笑みを浮かべた。

「おい、エイブラム。お前、甘いものは好きか?」
「はあ、まあ、適度に食べられるが。」
「そうかそうか。実はだな、今日は皆出払っていて、この教会は今、私以外人がいない。つまり、私は今日は留守番なんだ。」
「はあ……」
「私との留守番に付き合え、エイブラム。丁度やりたいことがあったんだ。」


=二人ぼっちの留守番=


テーブルに置かれたのは、数多くの菓子が並べられていた。
生クリームがたっぷりと塗られ、苺やキウイ、みかん、バナナ等、様々な果実がその中に宝石のように散りばめられているケーキ。桃色や黄色、黄緑色等、多くの色を基調としたマカロン。口に入れれば、その中で溶けて、全身をも溶かしてしまいそうなチョコレート。その他にも様々だ。
とてもではないが、一人で食べきれる量ではない。
そんなお菓子の山を呆然と眺めていると、向かいに座っているアルバは、エイブラムの顔をみて、にやにやとした笑みを浮かべていた。

「食べきれるとは思っていないさ。まあ、余ったらイノセントの奴にでも食わせればいい。」

気軽に食え。そう言って、笑っている。
お言葉に甘えて、まずは赤色マカロンを指でつまんで、口に運ぶ。サクリと軽やかな音を立ててかみ砕けば、口の中にさっぱりとした甘さが広がっていく。
少し酸味が広がるこの味は、恐らく、ラズベリー等のベリー系を材料に使っているのだろう。
美味しい。素直にその感想を伝えると、目の前にいるアルバは、満足げに笑った。

「アルバって……お菓子作るんだな。」
「まあな。正直、趣味だ。」
「趣味というか、職人の域にたどり着いている気がしなくもないが。」

日頃から積極的にお菓子を食べている訳ではないが、ケーキなんて、スポンジのふわふわといた触感や綺麗にケーキを包み込んでいる生クリーム等、よく店で売っているそれに近い仕上がりだ。
素人が手作りで作ったなんて思えない。
それに、ちらりとテーブルをもう一度見れば、飴細工で作ったのであろう、工作のような仕上がりのお菓子まで存在している。
少なくとも、これは見た目が綺麗過ぎて、手を伸ばす気になれない。
協会全員でなんとか食べきれるであろう量を、アルバ一人で作ってしまうのだから、これは驚き以外の何物でもない。

「……これ、神器で作ったとかではないだろうな?」
「何言ってんだ。お前、私の神器の能力は知っているだろう?」

そう言って、アルバはくすくすと笑う。
確かに、アルバの神器は植物を操る力であって、プロ顔負けのお菓子を作る能力ではない。
頭ではわかっているのだけれど、それ程に、アルバとお菓子作りは結びつかなかったし、彼の作るお菓子は、プロのパティシエ並みだったのだ。
チョコレートを一口食べながら、何か、勿体ないな、と思わず呟く。

「アルバなら、パティシエとか、カフェ開いたりとか、簡単に出来そうなのに。」

そう呟くと、アルバは、勘弁してくれよ、と笑う。

「私はただ作るのが好きなだけだ。誰にでも何でも作る訳ではない。作りたい奴等にしか振る舞わないし、誰か見知らぬ者に勝手に手掴みで意地汚く貪られていると思うと鳥肌立つ。それに、私は接客が嫌いだし、誰かの下で猫被ってへりくだるのも無理だ。イノセントだから、まあ奴の下ならいいかな別にアイツ上司って感じじゃねぇしって思って付き合っているが、他の奴だったら御免被る。」

アルバは椅子に身体を預けて、足を組む仕草をする。
その仕草はとてもじゃないが、今着ている衣服と結びつくような態度ではない。神父というよりもどこかのヤンキーのようだ。
今彼に最も似合うアイテムは、ロザリオや聖書ではなく、煙草やナイフだろう。
それ程までに、今の彼は神父らしからぬ仕草と態度であるということだ。
アルバ自身もそれを自覚しているらしく、わかるだろう?と、不敵な笑みを浮かべて見せる。

「な?」

そう言って、笑うのだ。
アルバは、その外見こそ、全体的に色素が薄く、細身の身体故に繊細で清らかな神父の印象を周囲に与える。
だが、初めて出会った時もそうだが、彼は何かと、口よりも先に手が出る性質なのだ。
遠目から見ていれば美しい百合の花のような男だが、うっかり手を伸ばそうものなら、ハエ取り草かのように噛み付いて来るのだから末恐ろしい。
彼の性格をよく理解してしまうと、その両耳で光るピアスが、ただのおしゃれから、別の意味のものへ見方も変わって来る。
ただし、身内には寛大であるというのも事実で、親しい者相手であれば、手間も時間もかけて、これほどの菓子を振る舞うことができるというのは、中々出来ることではない。
アルバが白い手を伸ばして、チョコレートを一つ食べる。その出来は満足いったものであったらしく、口の中でチョコレートを転がしながら、満足そうな笑みを浮かべていた。

「私は、今の状況に満足しているよ。店を開きたいとかこれで食っていきたいとか、そんなことは思っていないさ。お前はまだ若いからな、将来何がしたいとか、そういうのは考えておいた方がいいぞ。」
「アルバは……将来何がしたいとか、ないのか?」
「ないなあ。もうこの年だ。特別何をしたいというものもない。」
「じゃあ、幼いころ、何をしたかったとか。」
「……それも、ないなあ。」

そう言って、アルバは、少し困ったように、笑う。
この時のアルバの笑みを、エイブラムは、今後ずっと、脳裏に焼き付けることになる。
あの時、こうして笑っていたのは、もしかしたら、と。ただし、そう思い馳せるようになるのは、もう少し、先の事なのだけれど。
私のことはいいんだよ、と、アルバは口にする。

「お前だお前。ま、お前はどうせ、大学行って普通に会社員して普通に結婚して普通に子どもが出来て普通に孫に囲まれていそうだけどな。」
「お前はどれだけ、俺のことを凡人視しているんだ。」
「いいんだよ、それで。凡人でいんだ。いいか、エイブラム。普通に生きるということは、案外難しいんだ。そもそも普通とはなんだ?普通の定義とは?世間一般で言う普通というのは、決して普通ではない。普通に大学にいって、普通に会社に行ってと皆は言うがな、その言葉の中には、普通に“良い”大学にいって、普通に“良い”会社に入るという、“良い”という言葉が隠されている。つまり、世間が思っている普通というのは、難しいんだよ。大学に入る為には、そもそも学費が十分に支払うことのできる恵まれた家庭が地盤になければならないし、良い大学に入る為には、それ相応の学力を身に付けているという才能が地盤になければならない。その二つの地盤を併せて良い大学に入ることで、良い会社に入社するための可能性を持つことができる。お前には、その二つの地盤がきちんとあるのだから、誇っていいと言っているんだ。」

まあこれは私の持論だがな、と、アルバは最後に言葉を付け加える。
褒め荒れて喜べばいいのか、遠回しに皮肉を言われているのかわからず首を傾げていると、褒めているんだよ、と、また笑った。

「結婚だって、難しいものさ。子どもだって出来にくい人間もいる。更に自分の子どもが無事育って、結婚して、孫を残してくれることだって、簡単なようで案外難しい。けれど、普通の人間が抱く、少し良い人生をお前は送ることがちゃんと出来そうだと言いたいのさ。」
「……それでも、褒められている気はしないのだが。」
「お前が羨ましいからさ。嫉妬故の皮肉というものだ。甘んじて受け取ってくれ。」

アルバはマカロンを一口食べながら、笑う。
本当に妬ましいと思っているのかよくわからないが、半分冗談、半分本気と受け取っても良いのだろう。
けれど、こうして神器回収の任務に巻き込まれているのだから、自分の人生は、果たして普通のものになっていくのか、怪しい。

「安心しろ。お前たちの人生は極力保障してやる。お前たちの人生を曲げてまでの協力は求めていないし、そうならないよう、私たちは動いているのだから。」

彼の言葉と同時に、教会の扉が開く音が聞こえた。
ばたばたばたという慌ただしい足音の後、疲れた、とか、お腹空いた、とか、そんな声をあげるフェレトやアレスの声が響く。
ふと顔をあげて時計を眺めると、もう、それなりの時刻になっていた。
帰って来たな、と、アルバが笑う。

「丁度腹を空かせているみたいだし、奴等に残りを食ってもらうか。エイブラム。紅茶のおかわり、いるか?」
「ああ、お願いするよ。」

頷くと、アルバは嬉しそうに、満足そうに、笑みを浮かべた。
その笑顔は本当に幸せそうなもので。

この時の時間が、彼にとって。アルバにとって、間違いなく至福なものであったと、そう、願ってやまない。


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