特別連合協会秘院編


第1章 慾意 瑠淫



完璧とは、何だろうか。
人が人である限り、人としてあろうとする限り、必ず、欠点というものは存在する。
或いは生まれつきのもの。或いは育ってきた環境故に生み出されたもの。
人は何かしら、欠けているものが存在するのだ。
そして、何かが欠けている、そんな人々が集っているのが、この特別連合協会秘院だった。


〜穹〜特別連合協会秘院編
第一室 慾意瑠淫


慾意瑠淫は、全てにおいて完璧と言われる少年だった。
生まれつき勉学が得意だった故、親にとっては自慢で誇れる息子と部類されるもので、親が褒めてくれるから、優しくしてくれるから、誇らしいから、そんなひたむきな想いで、瑠淫は勉学を熱心に取り組んだ。
生まれつき身体は強くなかったが、そんな欠点を補える位に、否、欠点なんて物ともしない程には、彼は勉強が出来た。
故に、彼に対しコンプレックスを抱く者が居た。
それが、彼の弟にあたる慾意羅繻。
羅繻は、兄の瑠淫とは正反対に、勉学は不得意で俗にいう落ちこぼれという少年だった。
そんな羅繻は身体が丈夫で、元気で活発な少年。瑠淫とは、長所と短所が入れ替わったような、対になるような存在。
しかし、慾意一族という小さな組織を携える両親にとって、重要なのは勉強が出来る優秀な瑠淫であって、羅繻は、両親にとっては必要ない存在だった。

「何で貴方はこんな事も出来ないのっ!!瑠淫は出来るのにっ!!瑠淫に出来て、なんで貴方には出来ないのっ!!!」
「ごめんなさ、ご、めんなさ…」

夜遅くまで起きて勉強をしていると、聞きたくないものを聞いてしまう。
母の罵倒。弟の悲鳴。
母は、兄である瑠淫と羅繻を比べ、とにかくその違いを見つけ出し、罵っていた。
そもそも羅繻と瑠淫には五歳の年齢差があり、五年という歳月、経験の差がある瑠淫と同等、もしくはそれ以上になれというのは無理な話なのだ。
どんなに罵ってもそれは寧ろ悪影響となるだけで、成長に結びつくことはない。

(…うるさい……)

弟の泣き叫ぶ悲鳴が、厭という程、耳につく。
手に握っていたペンを放り投げて、両手で耳を覆って、少しでも悲鳴が遠ざかるように身体を丸めて全てから逃げる。
ぎゅっと固く目を閉じて、何も考えたくない、何も考えるな、何も聞こえない、何も聞くな、そう、心の中で自分に対して訴えかける。
そうすると、先程まで響いていた悲鳴が、叫び声が、少しずつ遠ざかって行って、ほっとしたように瑠淫は溜息を漏らした。
羅繻がどんなに、母に殴られていようとも、罵られていようとも、まだ子供である自分にはどうしようも出来ないし何もしてあげられない。
寧ろ自分が歯向かったら、自分と共に返り討ちにあってしまうのが落ちだ。
怒らせてはいけない。
怒らせないように機嫌を伺って、望むように、両親の希望を叶えていれば、それだけで生きていけるのに。

(どうしてあの子は、あんなにも要領が悪いんだろう。)

きっと、要領の問題ではない。
それはわかっている。わかっているのだが、どうしてもそう思わずにはいられなかった。
不機嫌な両親の機嫌を良くするのはとても大変で、荒れた母と嘆く弟の仲裁も、最初こそは努力していたが、あまりにも数を繰り返しているのを見続けることで、もう疲れてしまったのだ。
小さな嗚咽が、指の隙間から入って来る。
羅繻の鳴き声。
大事な弟が、まだ幼い小さな弟が泣いているのに、守らなければいけないのに、それが煩わしくてたまらない。

(僕には、関係、ない。)

固く目を閉じても、布団で身体を覆ってみても、その鳴き声は、お前のせいだと訴えるように耳を貫いて消えてくれない。

(関係、ないんだ。)

関係がない訳がないのに、全てを羅繻のせいにして、逃避する。
慾意瑠淫の欠落点。
きっと、瑠淫を知る者は皆、身体が丈夫ではないから、それ故に、彼は欠けているのだと、「健康」が欠けているのだと、そう言うだろう。
けれど、瑠淫の欠落点はそこではない。
もっと内面的な、そして、彼と深く関わらなければ気付かない事。

(関係ない。だって、羅繻は、羅繻が不出来だから、母様に怒られてるんだ。僕は、ちゃんと勉強してるし、言いつけ守るし、母様に好かれてる。羅繻が母様に怒られるのと、僕とは、何も、関係、ないんだ。)

慾意瑠淫には、強い逃避癖があった。
勉強が出来る故だろうか。要領が良い故だろうか。彼は挫折というものを、失敗というものをよく知らない。
優秀故に両親に愛された彼は、愛されない者の苦しみや、嘆きや、悲しみや、絶望が、理解出来ない。
理解出来ないものや、わからないもの。
そういったものを彼は酷く嫌悪して、そして、そういったものには決まって見ないフリを決め込んだ。
それが彼の欠落点。
それが彼の始まりの罪。
彼は決して、羅繻を蔑ろにすることはなかった。
時にはおやつを分け与えたり、時には優しく接したり、表面上は、理想の兄として、弟に接していた。
しかし彼は、羅繻が本当に助けて欲しい時。本当に苦しんでいる時。本当に絶望している時。手を差し出している、そんな時。
そういう時こそ彼は、羅繻の声に背を向けて、逃げ出してしまったのだ。

「ねぇ、おにいちゃん……なんで……なんで、たすけて、くれないの…」

そんな羅繻の悲鳴も、瑠淫は聞かないフリをして、聞こえないフリをして、背を向けた。
そして、もうすぐ、弟が10歳の誕生日を迎える頃。
羅繻は、姿を消した。
もう、彼には会うことが出来ないのだろうと、直感的に、瑠淫は理解していた。
彼の15歳の誕生日は、自分と、父と母と、三人で穏やかに迎えられた。
穏やかに笑う両親。悲鳴の聞こえない家。安心して勉強に励むことが出来る夜。
それは瑠淫にとって、酷く居心地が良くて、そして、気付けば羅繻のことを考えることは、なくなっていた。
もう悩むことはない。理解できないものが目の前に現れ、混乱させられることはない。
そう思って、ほっとした。
ほっとして、しまった。

(………待てよ……)

そして、瑠淫は気付いた。気付いてしまった。

(……僕はなんで、弟の失踪に、ほっとしているんだよ……)

通常であれば、抱いてはいけない感情に。

(兄なら、心配するのが、普通だろ。何で、何で…)

自身の罪を自覚した時、誰もいない、真っ暗な個室で、瑠淫は静かに涙を流した。
そして自覚した。
己の逃避癖に。
己の欠落に。

『瑠淫は完璧ね。何でも出来て、お母さんもお父さんも、貴方が誇らしいわ。』

自分を完璧だと称賛した両親の顔が、脳裏に浮かぶ。

(違う。)

けれど瑠淫は、そんな両親の言葉を、脳内で静かに否定する。

(完璧な人なんて、この世に、一人もいない…)

己の無力さと。己の愚かさと。己の浅はかさと。
様々な罪悪に囚われた彼は、かつて弟の悲鳴から逃げ出したあの日と同じように、身体を丸めて、目を閉じたのだった。
慾意瑠淫。
彼が、15歳になった、夏の熱い夜のことだった。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -