空高編


第3章 神子と双子と襲撃



それは偶然。本当に偶然のことだった。
その日がどうも寝苦しくて、夜中にふと目覚めてしまった。自分はどちらかといえば冬が苦手で、夏の寝苦しさが苦手な青烏は、らしくもなくぐっすりと眠っていた。
規則正しい寝息を立てて眠る彼の頭を優しく撫でると、小さく声を漏らして寝返りを打つ。
いつまで見ていても飽きないが、その日翼は、何を思ったか、立ち上がって部屋を出た。
少し夜風を浴びたい気分だったのだ。
ゆっくり部屋を歩いていると、襖の間から、ひそひそと話し合う声が聞こえて来る。

「空高青烏を、このまま生かしておくのは危険じゃないだろうか。」

そんな声がして、翼は思わず足を止めた。
一体なんだと、翼はその声に耳を傾ける。ひそひそと小声で話す大人たちの声を、なんとか聞き取ることが出来た。

「空高青烏は我々にとって脅威だ。非常に扱いにくいし、傀儡役の神子としてはあまりに不相応だ。奴を閉じ込め存在を隠蔽し、傀儡役に相応しい空高翼を神子に祀り上げるべきだ。」
「羽切様のご息女である烏羽様と婚約させて、契りを交わさせてはどうでしょう?そうすれば羽切様の直系の子が、次の神の子です。」
「空高青烏はそれまで生かしておく必要はあるだろうが、記憶を奪って閉じ込めておけばいい…用が済んだら殺すだけだ。」
「しかし、翼は…」
「翼の方は所詮傀儡向きな自己主張も出来ない愚か者だ。念には念をで記憶は奪っておいた方がいいが…」

幼い翼には、彼等が何を言っているのか、理解することが出来なかった。
それでも一つだけ理解していることがあった。

「結構は明後日だ。明日中に儀式の準備をしておけ。」

明後日…つまり、夜が明ければ、その翌日。最愛の片割れ、空高青烏を喪ってしまうということだった。


第51晶 翼と青烏 其ノ肆


翼はその後、直ぐに部屋の布団へと戻ったが、眠ることは出来なかった。
どうやって青烏を助けようか。
そう思っているうちに、気付けば朝になっていた。
隣ですやすやと眠っていた青烏は、朝を迎えるその時まで穏やかな寝顔を見せてくれていたのだ。
その寝顔を眺める度に、翼は胸を痛めていた。
まだまだ身も心も幼い翼は、彼を助ける術を持たない。
彼を救おうと思うには、翼の世界は、あまりにも狭すぎたのだ。
まず、外に出よう。と考えた。しかし、翼が知っている外は、青烏が教えてくれたあの秘密の場所だけ。青烏もきっと、あまり外を知らないだろう。二人が必死に外へ逃げたとしても、地の利は大人たちの方がずっとあるだろうし、すぐに追いつかれて捕まってしまう。
次に、助けを求めよう。と考えた。だが、無差別に大人に助けを求めたところで、誰が敵で誰が味方かわからないのだ。下手をすれば儀式を早められてしまう恐れがある。猶予が、消される。
では、どうすればいいか。
もう一度頭を巡らせる。
しかし、何も浮かばない。
どうすれば青烏を助けられるのか。一緒に逃げられるのか。

(一緒、に…?)

そしてそこで、翼は気付いた。
一緒に逃げようと思うから、駄目なのだと。
青烏を助けたいのであれば。青烏を逃がしたいのであれば。簡単な結論は目の前に転がっていた。
自分が青烏になればいい。
自分が青烏として消されれば、翼となった青烏は助かる。

(きっと青烏は、それを許さないのだけれど。)

そう思うと、胸が痛い。
青烏はきっと、自分がいなくなると理解をすれば怒るだろう。嘆くだろう。悲しむだろう。
これは自惚れではなく、確信であった。
何故なら、自分がきっと青烏の立場であれば、涙を流して怒り、嘆き、己の無力さを恨むからだ。
双子だからといえば都合の良い理由かもしれないけれども、それでも翼は、青烏もきっと同じことを思うのだろうと、そう確信していた。
だからこそ胸が痛んだ。
彼が悲しむとわかっていて、彼が苦しむとわかっていて、彼を騙して、彼を救うのだから。

「ねぇ、青烏。…今日、僕が青烏をやりたいな。」

翌日、朝。
翼は青烏にそう投げかけた。
それは酷く珍しいことだった。
何故なら、いつも交換を提案するのは青烏からだったからだ。
滅多に自己主張をしない翼が、自分がやりたいと言い出すのはとても珍しいことで、普通であれば疑ったりするのだが、青烏はようやく翼が自己主張したのだと喜んだ。

「そうか!わかった、じゃあ今日はお前が青烏だな!」
「う、うん。いい、かな?」
「いいさ!そうと決めれば早速服を変えないとだな!」

青烏はにこやかに頷くと、すぐに服を交換した。
その後の一日は、いつもと変わらない。翼は質素な食事を与えられ、青烏は豪華な食事を与えられる。
そんな食事を口にして、青烏は優秀な家庭教師から学問を学び、翼はその部屋の外である廊下で、正座をしてそれが終わるのを待っていた。
違ったのは、夜になってから。

「翼、青烏。少し来なさい。」

羽切が二人を呼び出したのだ。
一体何のことかわからず首を傾げている、翼。否、正確には、翼に入れ替わった青烏。
青烏は何もわからない。
青烏は何も知らない。
だからこそ、翼の心臓はどくんと跳ねた。
これから何が起こるのかはわからない。それでも、ついにこの時が来たのだと、そう思った。

「つ…、…青烏…」

普段と違う何かを感じたのだろう。青烏は、不安そうに青烏の姿をした翼を見つめる。これではまるで真逆だ。
でも、それが自分の望んだことでもあるので、こんな青烏を見れるのは、少し、嬉しい。
彼の手を握って、翼は優しく笑って見せた。

「大丈夫だって。ほら、行こう。羽切様がお呼びなんだから。」

そう言って、青烏の細い手を引いて、屋敷を歩く。
ひたひたと静かに歩いていると、羽切は屋敷の奥にある壁に、そっと手を添える。此処は行き止まりだというのに何をしているのだろうと思えば、重々しい音と共に壁が扉のようにぐるりと動いた。
僅かな隙間から、風が通っているのがわかる。
先は暗くてよく見えないが、階段のようなものがあった。

「降りなさい。」

羽切に促され、翼と青烏は階段を下りていく。
下に行くにしたがって、辺りの温度はどんどん冷えて行った。それほど地下に続いているのだろう。
ようやく地下に辿り着くと、そこには既に白装束の恰好をした男たちが並んで立っていた。頭から白い布を被っていて、顔は見えない。
明かりは壁に灯されたわずかな蝋燭。
ちろりちろりと静かに揺れる蝋燭の灯を眺めてから、部屋全体を見渡す。暗く静かな空間、その床には何か文字のようなものが刻まれていた。
青烏の姿をした翼は、文字の刻まれている中心へと立たされる。そして、その周囲を白装束の男達が囲った。

「…な、にを…するん、ですか…」

乾いた声で、震える声で、翼の姿をした青烏は問う。

「明日から、お前が神子だ。翼。」

そしてその言葉が何を意味するのか、青烏は理解をした。理解をして、しまった。

「待って…待ってください!何故!何故彼がっ…!!違うっ!彼は違うんです!羽切様!!」

青烏は大声をあげて、翼の元へと向かおうとする。
しかし青烏は大人たちに身体を拘束され、身動きがとれなくなった。
翼を囲う白装束は、静かに何か、呪文のようなものを呟いている。それと同時に、地面に刻まれた文字が赤く光り輝き始めた。
翼はじっと、青烏を見る。
青烏は自分を助けようと、大人に腕や足を強引に握られもみくちゃにされているというのに、必死の瞳でこちらを見ていた。
目に涙を溜めて、これでもかという程、腕を伸ばす。
それでも腕は届かない。
やはり、彼を悲しませてしまった。そんな自責の念を抱えながら、翼は微笑む。

「違うんだ!ぼくが!僕が空高青烏だ!彼は翼だ!ぼくが青烏なんだ!だから!だから彼じゃなくてぼくを!何故だ何故だ何故だ!何故なんだ!嫌だ、翼っ…翼っ…!」

青烏の叫びは届かない。
大人たちは、青烏を思うが故の翼の演技としか思わないだろう。
大人たちは気付かない。
だって翼と青烏は、二人を見分けるための記号でしかないから。だから気付かない。
服さえ変えてしまえば。話し方さえ変えてしまえば。彼等は気付くことはないのだ。

「ごめんね、翼。」

そう言って、翼は青烏に微笑んだ。
床が光り、辺り一面が白で包まれる。
そして、『空高青烏』は名を消された。
空高翼が空高青烏になったまま。
空高青烏が空高翼になったまま。
そして青烏は記憶を喪い、空高翼として、その後の十年余りを生きたのだ。

 


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