今日は週に一度の特売日、大漁である。一人暮らしだし、それほどまで消費が激しいわけではないけれど、頻繁に買い出しに行くのが面倒なので、最近ではこうして買いだめすることが多くなった。決してズボラではない。一人暮らしの知恵と呼んでもらいたい。ほら、凉野さんだって買いだめしてたし。アイスとカップ麺オンリーだったけど。そもそも、あの人を一人暮らしの参考にしてはいけない気がする。どちらかというと、将来あまりなりたくない大人像だ。20代後半(予想)にして配偶者も子供もなし。一日の大半を家で過ごし、主食はカップ麺とアイス。そこまで考えて妙に悲しくなってきたので、マンションへ向かう足を早めた。別に凉野さんのことが嫌いというわけではないのだ。最近ではむしろ好意的というか同情的というか。初対面よりはずっと話しかけやすくなったし、凉野さんの態度自体もなんだかやわらかくなった気がする。実は人見知りだったりするのかもしれない。…あの気難しさ満天にしか見えない凉野さんが人見知りだと?そう考えると変にかわいらしく思えてくるから不思議である。
 エントランスに入ると、壁際にある郵便箱が目に入った。いつもは何も入っていないわたしの郵便箱が、今日は中身がはみ出るほどパンパンだ。そういえば、この間ネットで注文したCDが発送済みになっていたっけ。このまま突っ込みぱなしにしていたらまわりの人(の郵便箱)に迷惑だし、盗まれる可能性だってなくはない。両手がスーパー袋で塞がっているこの状況で、さらに郵便物も持って上がるのはちょっと厳しいけれど、もう一度降りてくるのもまた面倒だ。わたしは塞がっている両手でなんとか郵便箱を開け、中身を一通り取り出した。郵便物を脇に挟む。実際にやったことのある人はわかると思うけれど、この持ち方は結構辛い。しかし、部屋までの辛抱だ。そう自分を励まし、エレベーターまで向かおうと歩き出した、そのとき。最近すっかり聞き慣れた眠そうな声が、後ろから聞こえてきたのである。

「苗字さん、落としたよ」

 そう言った凉野さんは、絵ハガキを手に持っていた。郵便箱から取り出すときに落としたものだろう。何気に初めて呼ばれた苗字に少し感動しながらお礼を言う。この人、わたしの苗字ちゃんと知ってたんだ。それにしても、いつのまに後ろまで来ていたんだろう。郵便物をどう抱えるか真剣に考えていたせいで、エントランスの扉が開いたことにも気づかなかった。

「あ、ありがとうございます」

 とは言ったものの、もう空いている手はない。他の郵便物といっしょに脇に挟むのがベストだけど、果たして凉野さんとうまく意思疎通ができるかどうか。そして、わざわざ「ここに挟んでもらえませんか?」と言って脇を指し示すことができるかどうか。前者は物理的な問題で、後者は精神的な問題だ。さらに、この二つをクリアしたとしても凉野さんが素直にこの絵ハガキを脇に挟んでくれるとは思えない。なぜそんなことをしなければならないんだって顔しそう。

「きみのご両親は海外にいるのかい?」
「え?あ、はい」

 「少し宛名が目に入っただけだ。ハガキの内容までは読んでいない」そう断りながら、凉野さんは尋ねた。絵ハガキを見れば、送り先はコトアールで、送り主はお母さんだった。内容は見えないけれど、きっと、ちゃんと自炊をしているかとか、勉強をしているかとか、そういったことがつらつらと書かれているんだろう。たまに電話をしているんだから、ハガキなんて今更いらないのに。

「父が転勤になったので母がそれについていったんです」
「だからきみは一人暮らしを始めた、と」
「まあ、そういうことです」

 そして、まるで生活感のない奇妙な隣人と出会い、中途半端にご近所付き合いをしています。とまでは、さすがに言わないでおいた。凉野さんが少なからずわたしのことに興味を示しているという事実をなんだか面映く感じながら、絵ハガキを持つ指先を眺める。しかし、いい加減手が袋の重みで痛くなってきた。早く部屋に帰りたい。そんなわたしの心境を感じ取ったのか、凉野さんは相変わらず何を考えているのかわからない無愛想な顔のまま、口を開いた。

「その袋、ひとつ持とうか」
「…へっ?」
「重いだろう。さっき苦戦していたようだったし」
「え、あ、じゃあ、お願いしま、す?」

 突如投げかけられた言葉をうまく理解できず、曖昧に返事をすると、凉野さんは空いている方の手をこちらに差し出した。そしてそのまま、わたしの両手にぶら下がっている袋をひとつ受け取ると、すたすたとエレベーターへ向かって歩き出す。どういう風の吹き回しかわからないが、どうやら凉野さんはわたしの荷物を持って行ってくれるらしい。明日はサッカーボールが降るかもしれない。なんて、失礼なことを考えている場合じゃなかった。エレベーターのボタンを押す凉野さんの隣へ足を並べる。

「あの、ありがとうございます」
「…別に」

 相変わらず素っ気ない。これがこの人の持ち味といえばそれまでだけど、ようやく少し近づけた気がしたのだ、もっと違う反応も見てみたい。そこでふと、この間みたチューリップ頭の人の言葉を思い出した。

「そんな言い方しなくてもいいじゃないですかあ、凉野せーんせ」

 我ながら、腹が立つ話し方だと思った。案の定、凉野さんもそう思ったようで、怪訝そうな顔でこちらを一瞥してから「君の先生になった覚えはない」と眉根を寄せる。やっぱり、つまらない反応だ。この人にユーモアを求めること自体、間違っているのかもしれない。

「小説家なんですか?」
「そうだけど」

 エレベーターが降りてきて、チンという軽い音と共に扉が開く。のんびりと凉野さんの後に続きながら、小説家なんて偏屈そうな職業、この人にぴったりだなと心の底で思った。普段本をろくに読まず、小説家にはどんな人が多いのか全く知らないわたしには、そんな偏見に満ち溢れた感想しか抱けない。けれどそんな感想と同時に、まるで空気を読まない、人の心の機微にも鈍そうな凉野さんが、まともな文章を書けるのだろうかという疑問も抱いた。

「ペンネームは?」
「凉野風介」

 本名かよ。やっぱり聞いたことがない。あまり有名ではないのだろうか。どれくらい人気ですか?なんて、さすがにそこまで失礼なことは聞けなかった。帰ったらさっそくネットで調べてみようと思う。

「小説家なんて、なんだかすごいですね」
「そんなことはない。どんなものでもいいから一冊分の文字を綴ることができれば、それでもう小説家だ」

 いくら本を読まないわたしでも、そんな簡単な話ではないことくらいわかっている。謙遜しているのかとも思ったけれど、凉野さんにそんな様子はなく、本当に心からそう考えているようだった。目的地に到着したエレベーターが、再び軽やかなベルを鳴らし、扉を開く。

「なんとなく書いた物がたまたま世間の需要に合っていたから出版された。何度かそれを繰り返すうちに、気付けば物を書くことが仕事になっていた。他にできることもないからこの仕事を続けている。ただ、それだけだよ」

 部屋までの道を歩きながら、凉野さんは淡々とそう口にした。自分のしていることに特に意義も誇りも持っていない、そんな喋り方だった。そんな人が書いた本とは、一体どんなものだろう。前を歩く涼野さんの寝癖のような後頭部をみつめながら、わたしはただそれだけが気になっていた。

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