幸せになろうじゃないか


久々に任務で怪我をしてしまった。
幼い子供に向かっていく呪霊を見て思わず身体が動いた。
呪霊を使うだとか低級だったからその場で取り込むだとか、色々助け方はあったのに、猿のために傷を負うなんて馬鹿だよ。
原因は分かりきっている。

名前との結婚を意識しまくっているから。

もし子供が出来て、その子が術式も呪力もなく呪霊も見えなかったら?つまり、猿だったら?と考えてしまう。
勿論それでも名前との子だ。愛おしいに決まっているんだけど、名前はどう思うのだろうか。
非術師だった事で自分を責めるのだろうか。
そんな事を考えていると死にそうな猿の為に飛び出してしまっていた。
もし、アレが自分の子供だったらなんて馬鹿馬鹿しい事をとっさに思った。

「傷は残ってないけど出血が酷い。明日まで安静にしとけ」
「…今日夕方から名前と家具を選びに、」
「安静」

じとりと睨まれて口をつぐんだ。
まぁ、私が悪いのだからとメッセージを打ち込んだ。
送信を押す前に少し悩んで文章を打ち直した。

"任務が長引いて遅くなりそう。家具は次の休みに選びに行こう。ごめんね"

名前の事だ。怪我をしたと知れば無理をして駆け付けるだろう。
ぽたぽたと落ちる点滴を見ていると眠気が襲う。血が足りてないのは本当らしいなぁと思いながら瞼を下ろした。


「ーーだったの?」
「大したーーー出血がーー」

心地良い声を耳が拾って脳がだんだんと覚醒していく。
あぁ、名前。来てくれたんだね。優しいんだから……?

「っ、………名前…」

一瞬だけ無表情で私を見た後笑った。

「良かった。大した事なくて。まだ眠ってれば?」
「え…あ、うん」
「あ、そうだ。私暫く出張だから。なら硝子よろしく!」

にこやかに手を振って消えた。
さっきの無表情は見間違いじゃないよね?
あんな顔見た事ない。
慌ててメッセージアプリを開くと既読だけが付けられていた。
嘘を吐いていたのに何も言わなかった?

「…嘘吐かれたって言ってたけど?」
「……任務が押すって言ったんだ」
「うわぁ、それ最低だな。名前そういうの嫌いそう」

あぁ、ホント最低だよ。
そんな嘘、すぐにバレるって今考えたら分かるのに頭が働いてなかったんだろう。
いや、嘘を吐く選択をしたのがそもそも間違いだった。
なんで嘘を?と私を問い詰めなかった。
名前は私と話す事を諦めたんだ。

「なんで医務室に?」
「腕の経過を見せに偶に来てもらってんの」

そうだった。硝子に何かお礼しなきゃって言っていたね。
ふぅと息を吐いて通話履歴の一番上を押した。


名前から折り返しがあったのは三回目の電話から二時間ほど経った後だった。

『もしもし』
「名前っ、本当にごめん」
『謝る必要ある?怪我、痕も残ってないんだから良かったじゃん』
「違う!嘘を吐いたのを謝りたい」
『いや、それは良いよ。私の為だろうし』

全然良くないって声でなんでそんな事を言うの。私が悪いのは分かっているけど、なんで気持ちを教えてくれないの。

『私さ…努力しても手が届かないものは嫌いなんだよね』
「え?」
『まぁ、いいや。帰ってから話そう』

プツリと切られた通話にスマホを耳に当てたまま暫く動けなかった。

手が届かないもの。
…私の気持ちって事?
これからも同じ嘘を吐くだろうって私と話しても意味ないって思ったって事?
私が名前の信頼を裏切ったクセに名前が簡単に私を諦めた事が悲しくて苦しくて胸が痛かった。



「傑ただいま」

ガチャリと玄関から解錠の音が聞こえて駆け寄った。
あれから三日、名前が帰ってくるまでソワソワとして落ち着かなかった。

「おかえり。疲れてる?」
「いや、大丈夫。…少し飲みながら話す?」

受け取った紙袋にはワインが入っていた。
飲まなきゃ話し辛いのだろうな。
グラス出すからシャワー浴びて来たら?と提案すると柔らかく微笑んだ名前に少しだけホッと胸を撫で下ろしてリビングに戻った。

名前の香りがする。
一人でいるには広すぎる部屋は居心地が悪かった。静かで、少しずつ名前の香りも薄くなっていく様で…名前が消える準備をしている様で中々眠れなかったんだ。

「髪乾かそうか?」
「んー後でいいや。傑話したくって仕方ないって顔してるよ」
「…ごめん」
「ふふ、謝る必要ないって」

コルク抜いといてくれたんだ、ありがと。と慣れた手つきで注がれるワインを眺めていた。
私フラれないよね?
何としてもそれだけは避けたいと味のしない赤を口に含んだ。

「あー…染み渡るぅ。これ好きなんだ」
「そうなんだ。覚えておくね」
「…うん」

その間が怖い。先の約束なんて意味ないなんて言われている様で震えそうになる指でグッとグラスを掴んだ。

「……私の持論の話しなんだけど…初めて努力したのは親の愛情だった。…手に入らなかったんだよね。まぁ、死んでんだから当たり前なんだけど。その時小学生ながらに悟ったんだ。報われない努力の方が圧倒的に多い世の中なんだって」

「報われない努力…」

「あー…努力が嫌いって訳じゃないよ。高専時代も死ぬ気で頑張ったし。結果的に手に届かないものは諦める事にしてんの」

努力の結果。
確かに全ての願いが叶う事はない。
努力なんて報われないのが殆どだ。私だって猿が好きになれるなら努力している。でも出来ないものは出来ない、無理なものは無理なんだ。だからどこに落とし込むかだ。
頑張った過程を誇れるならそもそも結果なんてどうでもいい。私と名前はそのタイプではない、それ故に生き辛い。

「傑が嘘ついたのはさ、色々理由があると思うんだけど、そこは別にどうでもいいんだよ。たったそれだけで傑を諦めようとした自分が少し嫌になった、だけ」

「名前は何も悪くない。信用を裏切った私が悪い……でも話して欲しかった。もう二度と嘘は吐かないって誓うし、これからも嫌な事があったらお互いに納得するまで話し合いたいし、直せるところは変えたいんだ」

やっぱり別れるつもりだったんだろうか。
名前はそうやって諦めて手放していくから儚くて消えてしまいそうだと感じるんだね。

「傑を諦めるって考えたらこれからひとりで生きるのが怖くなった。…程々にするって決めたのに」
「私は名前を諦めない。もう名前がいない世界は考えられない。だからお願いだ。私を諦めないでくれ」
「…どうしたらいい?傷付きたくないのに諦められない。絶望はもう二度と味わいたくない」

名前が絶望を知ったのはいつなんだろう。

私達は弱いからそうやって自分を守ってきたのは理解出来るけど、こればっかりは頷いてあげれない。
ぽろぽろと次から次にダイニングテーブルに落ちる雫は何を言葉にすれば止まってくれるのか。

「私の所為にしていいよ」
「え…?」
「名前が諦められないのは私が諦めないからだよ。絶望なんてさせない。嫌な事はこうやって何度だって話し合おう。私は名前と幸せになりたいんだ、名前じゃないと駄目だから私は諦めない」


「…だから、私と結婚しよう」


顔を上げた名前の涙は止まっていた。

「少しずつ諦めて私と気持ちがすれ違って失って傷付いて絶望するのが怖い?…それは私も同じ気持ちだよ。名前が帰って来るまで生きた心地がしなかったんだ」
「…ごめん。」
「ちょっと、やめてくれよ。今謝られるとプロポーズ失敗した男になるじゃないか」
「……ふ、ふふ」
「…笑うのも違うと思うんだけど」
「……うん。決めた。傑だけには程々にするの辞める。諦めない。」

漸く口に残った赤の味がした。
少しだけ甘くて残る後味は重くて苦い。
それでもまた次が欲しくなる。癖になりそうな名前らしくない赤だった。

「傑の無理し過ぎるところが嫌い。私の心配ばっかするくせに自分の事は大切にしない、いつでも完璧に笑って取り繕ってるところも嫌い」
「えーっと…名前?」
「私に弱いところを見せてくれないのは私が弱いからだって…いや、それ程私の事が好きじゃないって言われてるみたいで嫌」

「でも私を見つけて柔らかく笑う顔は好き。見上げると照れて少しだけ耳を赤くしちゃうところも可愛いくて好き。私が消えないように縋る瞳も好き」

ぱちぱちと目を瞬くとそのきょとんとした顔も好きだと笑われた。
うん。そっか。
名前は気持ちを言葉にする事で諦めない覚悟を教えてくれているんだ。
私が嫌いだと思うところも君と同じだよと告げれば、ならそこを直さないと結婚はお預けだね。と優しく微笑んだ。

「私が名前の好きなところも聞きたい?」
「それも私と同じでしょ」
「そうだけど、もっと沢山あるよ。何時間あっても足りないから一生かけて教えてあげる」
「あはは、今日はこのワインがなくなるまで聞きたいな」
「その後はベッドの上で聞いてくれるかい?」

艶っぽく頷いた名前のグラスにワインを注ぐ。
改めてグラスを合わせると薄いガラスから綺麗な高い音が鳴った。
私達の本当のスタートの合図だね。
名前が悩みながらも同じ気持ちでいてくれた事が嬉しい。
私が居ないと生きるのが怖いと言ってくれた愛おしい名前を私が離す訳ないだろう?それ程好きじゃない、なんて二度と言えないように私の愛を教えてあげる。

「ねぇ、何で怪我したの?要救助者って非術師でしょ?」
「あぁ、名前との子供が非術師だったらって考えてしまってね」
「……傑って子供欲しいの?」
「あ、すぐにじゃなくていいけど、そのうち、欲しい、かな。名前との子なら愛おしいだろうなって思ったんだ」
「…私が親?……ごめん、想像出来ない」
「まぁ、結婚してからゆっくり考えればいいさ」
「…私が欲しくなるみたいに言うじゃん」

口を尖らせる名前にキスをした。
親の愛が欲しくて努力した君はきっと優しい母になれると私は確信しているよ。
欲しくないなら諦めるけど、想像出来ないだけだろう?それなら私は諦めないから。
こうやって擦り合わせて二人で幸せになろう。まぁ、今でも充分に幸せなんだけど、私は欲張る事を親友に教えてもらったんだ。
もっと、もっと、二人で貪欲に幸せになろうじゃないか。





「あー…好きな人と好きなワインを家で飲むなんて幸せ」
「ふふ、次は私が買ってくるね」
「特別な時だけにしてね」
「…値段聞くのはやめておこうかな」
「んーそこまでは高くない」

金銭感覚の擦り合わせもしておこうか。


  
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