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「傑ー?会議始まるよ?」
「あぁ、今行くよ」

今日も今日とて特に内容もない腐った老害どもの話を適当に資料を見ながら聞き流す。
広い会議室に特級術師を二人も呼んで無駄遣いにも甚だしい。
まぁ此方の話を聞けるくらいには成長しているのだからこの腐敗した世界も少しはマシになっているんだろうと思いたい。

「ーー夏油特級術師はどう思うかね?」
「…は?」

急に話を振られて思わず悟を見ると彼も私と同じだったのか目を見開いて驚いている様だった。まぁ包帯で瞳は見えないのだが。

「苗字特級術師の帰国についてどう思うか聞いているのだが?」

ブワッと身体から呪力が溢れて、騒ついた会議室がピンと張り詰めたものに変わる。
帰国だと?お前らが勝手に彼女を陥れておいてよくそんな言葉が選べるな?

「傑。落ち着いて」
「……何故今更?」
「深刻な人手不足だ。それにあの小娘も充分反省した頃だろう?曲がりなりにも特級術師なのだから世界の役に立って貰わんとな」

震える手を握り締めて机に叩きつけた。
ドンッと鈍い音が響いて飛び散る木片に悲鳴が上がる。

「発言には気をつけろ。殺されたいのか?」
「傑。」
「……チッ。帰国には賛成する」

次は無いと鋭い視線を送った後、部屋を出た。
クソ!!!何が役に立つだ!!
あまりの怒りに身体の震えが止まらない。

「傑!!待って!」
「……すまない」
「腐った蜜柑共は僕が黙らせといたから大丈夫だよ。それより名前が帰ってくる事、素直に喜びなよ」
「名前は…それを望むと思うかい?」
「どうせアイツの事だから傑に会いたくて仕方ないんじゃないの?」
「…そうだといいんだけどね」

あれから一度も連絡すらくれない彼女がそう思ってくれる可能性なんて無いのに、そうであって欲しいとあの日から変わる事のない感情が彼女を求めている。


愛とは何て無力なのだろう。
愛を知って失った。
高専ニ年生のあの茹だるくらい暑い夏の事だった。


「すーぐーるっ!今日も頑張ったねぇ?可愛い、かっこいい、愛してる!!」
「はぁ。言葉の価値が下がる。そんなに軽々しく言うのもじゃないよ」
「んー今日も素敵な正論ありがと!でも私の愛は口に出す度にどんっどん重くなってるから安心していいよー」

苗字名前は私たちのひとつ歳上でその時既に特級術師をやっているぶっ飛んだ先輩だった。
初対面で私を見た瞬間に結婚してくださいと叫ぶようなイカれた女。
私に対して息を吐くように好きだの愛しているだの浴びせてくるのは最早高専名物とも言える程、日常の光景になっていた。


「名前もういいだろ?傑より俺のがイケメンじゃん。俺にしとけよ」
「悟は器用だから私は必要ないでしょ?」
「はあ?」
「傑はね、正義のヒーローだからいつかきっと世界が嫌いになる。その時支えるのはヒロインって決まってるんだなぁ。それに、そもそも悟はタイプじゃない」
「おい、サラッとディスんな!てか結局何が言いてぇの?」
「悟は馬鹿だなぁ。傑は真っ直ぐで綺麗って事だよ!!」
「ああ?絶対今のは俺の悪口だろ!」

自販機前で二人の会話を聞いてしまった時に私は名前を軽薄な先輩と見ていた事を恥じた。
誰よりも私の事を理解してくれていたのだ。
世界が嫌いになるなんてそんな可愛い言葉では収まらない思考を持っている事を分かった上で私を愛してると言ったんだ。
綺麗だとは思わないが譲れない、私はこうでありたいと、こうあるべきだと理想があるのも事実だ。
思い返せば私が苦しいときにいつだって隣にいて笑ってくれていたのは名前だった。



「苗字…非術師より補助監督を優先したらしいな。これで何回目だ?ただでさえお前は上に良く思われていないんだぞ」
「もー先生、五月蝿いよ。てか非術師より補助監督助けた方が利になるでしょ」
「そういう問題じゃない!お前は早死にしたいのかって言ってるんだ!」
「私は命に優先順位付けまくってんの。先生は親と非術師ならどっち助ける?ねぇ?決まってるよね?ま、呪霊はきっちり祓ってるんだからいいじゃん」
「…お前を心配して、」
「五月蝿い。あんま綺麗事ばっか言ってると殺すよ?」

名前は良くも悪くも自分の芯を太く真っ直ぐ持っている人だった。
上層部に嫌われている名前が特級になれたのは勿論その実力もあるけれど、それよりも殉職を望まれているからだ。
知れば知るほど名前の事が気になって仕方なかった。
何故私を守ろうとしてくれているのかと彼女に聞いてみた事がある。
『傑は馬鹿だなぁ、いつか分かるよ』と言って今まで見てきたどんな物より綺麗で無垢な笑顔を私に向けた。


「傑ー?緊張してんの?かわいいね」
「してない。」
「大丈夫!私が祓うから傑は非術師の保護だけお願いね」
「…私はただの見学だって知っているかな?」
「えーいいじゃん。デートだよ、デート!」

名前の任務に何故か見学で着いて行く事になった。特級に一級が着いて行くなんて今考えれば有り得ない事だと猿でも分かるのに、この時の私は名前の術式を初めて見れるかもとただ浮かれていただけだった。


「名前っ!!」
「…は?」

難なく呪力で呪霊を捻り潰した名前に苦笑いを浮かべていた時だった。
彼女に向けて放たれた悍ましい呪力に身体が勝手に動いて気付けば腹から下、足が無くなっていた。
ドサッと地面に上体が落ちる。
雲ひとつないカンカン照りの空にさっきまで暑さで汗が止まらなかった身体が急激に冷えて行く。酷く不快だった五月蝿い蝉の声もぴたりと止んだ。

あぁ、私は死ぬのか。

「名前?…怪我、ない?」
「す、ぐる!…良く聞いて!私の術式は構築だ。ーーでも何でも構築…ーその中でも禁忌がある」

なに?術式の開示?あぁ、でも何て言っているかよく聞こえないよ。禁忌ってなに?
狭くなる視界でぼろぼろと涙を溢す名前が見えた。顔に降り注ぐ雫が暖かいのかすら分からない程に感覚がどんどん遠くなる中で気付いた。
今更でごめん。やっと分かったよ。
理由なんて単純だったんだ。
これが愛か。
私は愛しているから守りたかった。名前も同じ気持ちだよね?ごほごほと血で咽せる喉を何とか動かす。

「名前、あい…して、る」
「…狡いなぁ。傑……今からする事は私が勝手に選んだ事だから傑は何も気にしないで幸せになるんだよ。傑ずっと愛してる。」

「術式 創始迴還」

なにを言ってるの?君が無事で良かった。先に地獄で待ってるからね。あいしてるよ。名前…。
唇に柔らかいものが触れてプツリと意識が飛んだ。



身体が重たい。死後とはこんなにも不自由なものなのかと思いながら腕を持ち上げようとした。

「っ!すぐる!!」
「……さと、る?」

重たい瞼を持ち上げると濡れた蒼い瞳と目が合う。
身体が重かったのは悟が私の胸に耳を当てていたからの様だった。
喉が張り付いて声が上手く出ない。

「…しんで、ない?」
「生きてるよ!オマエどんだけ寝てたと思ってんだよ…死ぬ程心配したんだからな!」

硝子を呼んで来ると言って走り去った悟を横目に身体を起こそうとするも思うように動かなかった。

「夏油!何ともないか?!」
「硝子……身体が重たい、喉も痛い…」
「それはお前が三週間も眠ったまんまだったからだ」
「三週間……ねぇ?名前は?」
「…名前は高専にいねぇよ」
「任務なの?」
「その話は起きれる様になってからだ」

身体に微かに感じる名前の呪力のお陰か一日もすれば普通に動けるし食事も摂れるようになった。何事も無かったかの様に飛び散った下半身もある。あれは夢だったのでは?と思う程に何もかも元通りだった。

「名前はいつ帰ってくるの?」
「夏油…お前の足を治したのは名前なんだ」
「え?反転術式を使えたのかい?」
「違う。対価を払って夏油の下半身を創ったらしい」
「…対価ってなに」
「非術師の血と肉」
「……は?」

名前は救助対象だった四人の命を引き換えに私を救ったらしい。
悟が一級術師を助けた事実と呪霊や呪詛師でもなく呪術師からの攻撃だった事を推して処刑にはならなかったが、国外追放となった。
名前は上層部に嵌められたんだ。
私を庇って死ぬか、庇った私を守る為に非術師を殺すのか。どちらにしろ始めから彼女を殺すつもりだった。
私が起きた時にはもう高専どころか日本に名前はいなかった。
あまりの情報量と私の所為で非術師が死に、彼女がいなくなった事に茫然とした。
いやこの際、猿の事はどうでも良い。
この世界で生きる意味を、愛を教えてくれた名前がいない事実に私は初めて絶望の味を知った。



それから私はずっと探していたが連絡すらとれない彼女が何処で何をしているかすら掴めないまま今まで生きて来た。
いつか名前が戻って来てくれた時に『傑!頑張ったね!』と言って笑ってくれる事だけを望んで悟と共に後進を育てているのに。また彼女はいいように使われるだけなのか?

「傑…名前の居場所が分かった」
「っ!!何処にいるんだ!?」
「高専だよ」
「…は?」
「僕たちがどんだけ探しても見つからない筈だよ。ずっと高専にいたんだ」
「……もう、殺していいかな?」
「それは…僕も同じ気持ちだけど、駄目だ。名前だって逃げようと思えば出来たのにそれをしなかったんだ。とりあえず迎えに行こう」

本当、全員殺してやりたいよ。何が帰国だ。
私達が海外を探し回ってるのを見てるのは嘸かし愉快だったろう?自分の無力さに絶望している私を見て満足か?
いずれ悟と世界を変える。その時にお前らの立場は無いのだから、せいぜいそれまで笑っているといい。

暗い地下牢の最奥に名前はいた。
壁に張り付けられている様は物語の火炙りを待つ魔女のようで殺意が身体中から湧き出る。

「名前…」
「自分で封印してるみたいだね。とりあえず硝子に見せよう」
「…分かった」

鎖を砕き名前を抱き上げるとあまりの軽さに涙が止まらなかった

「ごめん、名前…ごめんね」

なんて無力なんだろう。私の愛は名前を苦しめただけなのか?
四年間名前は何を想って此処にいたのだろう。
硝子に引き渡すまでごめんと譫言のように呟いた。


「五条、身体に問題は無いよ」
「なら封印解くよ。傑大丈夫?」
「…早く解いてあげてくれ」

ふわりと光に包まれて懐かしい彼女の呪力が溢れてくる。そっと名前の頬を包み込む様に手を添えるとピクリと眉が動いてゆっくりと瞼が開いた。

「ん…す、ぐる?」
「名前!ごめん、ごめんね…」
「なに、泣いてるの?」
「私の所為で、ほんとに、ごめん」

私を捉えた瞳はあの時と何ひとつ変わらない、柔らかくて優しい瞳だった。

「悟、硝子?傑どうしちゃったの?」
「オマエが勝手に消えたからだろ」
「名前が夏油泣かしてるんだから責任とって」
「あー…思い出した。何年経った?」
「四年だよ…すまない、ずっと見つけてあげれなくて…」
「四年か…傑は泣き虫になったんだなぁ。頑張ってくれてありがとね。傑は偉いねぇ」

縋り泣く私の頭を震える手が撫でてくれた。
ずっとそう言って欲しかったんだ。
まだ身体が動かないのか辿々しい手つきにさえ涙が溢れる。

「傑が悟と硝子と生きててくれて私は嬉しいよ。傑?笑ってくれない?」

ちょっと今は無理だよ。でも私が此処で生きていられるのは名前のお陰だって伝えたくてぎゅっと抱き締めた。

「名前、傑を助けてくれてありがとう」
「あれは私も治せなかった。ありがと」
「四年も経てば皆大人になるんだねぇ。でも忘れてない?私は愛の為に人を殺したんだよ」
「…私も全部は救えないって分かっているよ。名前が優先してくれたこの命は無駄にしない」
「そっか…傑は頑張りすぎちゃうから別に適当でいいよ。私にとっては君たちが生きる為なら何百人死のうが別にどうでもいい」

相変わらずな名前に安心するよ。
言っている事は分かるけど、極論すぎるのは私の為にも少し抑えて欲しいかな。

「傑は幸せ?」
「…名前がまた私の隣で笑ってくれるならもっと幸せだと思えるよ」
「ふふっ、傑は狡いな。呪術界ぶっ壊して死ぬつもりだったのに。愛は世界を救うって本当だったんだなぁ」
「オマエ自分でヒロインって言ってたくせに悪役気どんなよ」
「悟は相変わらず馬鹿で安心するわ」

ぎゃあぎゃあと言い始めた二人に硝子と二人で笑い合う。
うん。そうだった。この暖かい空気が私は好きだったんだ。

「オマエ何で逃げなかったの?」
「傑の気配が無くなったら封印解けるようにしてたんだよ。傑が笑ってくれるなら私は何でもいいんだ」
「そっか。僕もオマエらが幸せなら何でもいいよ」
「悟が僕とかウケるね」
「五月蝿いよ!」
「ふ…ハハッ、本当相変わらずだよ」

私も名前が笑って此処にいてくれるなら何でもいいよ。
愛は無力だ。
それでも愛の為なら何でも出来る気がするんだから悪くない。


「名前、愛してるよ」
「傑…。悟も硝子も今の顔見た?!ヤバくない?かっこいい…素敵すぎて死ねるわ。はぁぁぁ。傑かわいい!結婚しよ!!」
「いいよ」
「……は?」
「名前死んだ」「死んだな」




  
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