天使の涙が舞落ちる@





「傑」





少し高めの心地良い声音。
優しく私を呼ぶ君が好きだった。
何も言わずに消えた酷い人。



「名前さんは卒業した後はどうするんですか?」
「そうだねぇ。まだ考えている途中かな」
「もう半年もないですよ?名前さんは相変わらずですね」
「傑もね。変わらずにいてよ」

ふわりと微笑んだ苗字名前。二つ年上の恋人。
私の一目惚れだった。いつも誰にでも微笑んでいる様は不条理なこの世界には似合わない綺麗で強くて心まで美しい人。
彼女の存在があったからこの地獄でも私は生きていられた。悟が最強になった日も、灰原が亡くなった日も貴女がいたから私は私でいられた。のに。なんで。



名前さんは卒業してから高専で教鞭を取りながら一級呪術師として働いていた。
変わらず高専で会える事が凄く嬉しかったし、彼女が同じ世界に居てくれる事が幸せだった。私を選んでくれたと思っていた。
忙しくとも彼女と過ごす時間がありふれた日常がいつも私を癒やしてくれていた。
そんな平穏な日々はあっと言う間に過ぎて行って気づけば今度は私達も卒業まで半年を切っていたそんな頃。


「名前さんが重症?!」
「夏油落ち着けよ。名前さんは反転術式使えるでしょ。下半身ぐちゃぐちゃだったらしいけど、もう綺麗に治ってるよ」
「はぁーーー。…良かった。」
「医務室で眠ってるから後で顔出してやんなよ」
「いや、今から行ってくるよ」

急いで医務室に向かう。まだ眠っているって硝子が言っていたのを思い出してそっと扉を開ける。
名前さんは起きてベッドに座っていた。
俯いて膝の上の掌を見つめている。

「名前さん?」
「あぁ、すぐる。心配かけてごめんね。もう大丈夫だから家に帰ろうと思ってたところ」
「っ!!」
「…まだ血が足りてなかった、かな」

立ち上がり微笑んだ彼女の身体がゆらりと傾く。
慌てて抱き締めて支えると低すぎる体温にゾッとした。少し震えているようにも感じる。

「全然大丈夫なんかじゃない。本当名前さんは無茶ばっかりだ。家まで送りますよ」
「うん。すぐる、ごめんね。」
「こういう時はありがとうでしょう?」
「ううん。…ごめんで合ってるんだよ」
「どういう意味?」

彼女は困ったように笑うだけだった。
何も話さない名前さんを家まで送り届け明日の朝にまた来る事を伝えて高専に向かう。この違和感は何だ。なんとも言えない不安が身体を駆け巡る。
明日朝イチで名前さんの家に行こうと考えながら高専の門をくぐった。
この時彼女に会いに戻らなかった事を死ぬ程後悔する羽目になるのを今はまだ知らずにいた。


『任務で二週間くらい出張になったから暫く会えない。また連絡するね』
朝彼女の家に向かおうと寮を出ようとした時に届いたメッセージに溜息を吐く。
「本当に無茶ばかりするんだから…」
万年人手不足のこの世界に彼女が必要不可欠である事は勿論分かってはいるが、昨日の様子を思い出して不安になる。
他人の為に命をかける名前さんの事は凄く尊敬しているが、少しは私の気持ちも考えてくれたっていいだろと湧き出る不満を隠して『気をつけてね』と返信した。

特級術師である自身も一応まだ学生であるのに毎日任務に駆り出され多忙な日々に二週間などあっと言う間だった。
今日確か帰ってくる予定だったか。事務員から二週間前に見せて貰った任務表を思い出して口元が緩む。

「おー傑!久々じゃん」
「何ニヤけてんの?キッモー」
「硝子、失礼だな」
「…意外と元気そうじゃん」

朝から教室に三人が集まるのなんていつぶりだろうか。同期がいない名前さんは私達が三人でいるのをいつもニコニコと見ていたっけな。心がほっこりするとか何とか言って。確かに久々に会うとその気持ちは分かるかもしれない。

「傑?なんか良い事でもあった?」
「今日名前さんが任務から帰って来るんだ」
「…え?」
「夏油…お前知らないのか?」

悟は目を見開いて此方を見ているし、硝子はサッと顔を青くした。

「二人とも何?どうかした?」
「傑が何で知らないんだよ。名前は帰って来ない」
「名前さんは呪術師を辞めたらしい」
「は?何を言って…」

何だ?このタチの悪い冗談は。4月なんてまだ先だろう?悟も硝子も何を…
止まりかけた頭に手を当てて考える。
二人の表情を見ると嘘では無い事くらい手にとる様に分かる。視界が揺らいで膝から崩れ落ちた。

「っは」
「傑!!」
「夏油!息をしろ!」

彼女が辞めた?私に何も言わずに?なぜ?
どうして?私を選んでくれたんじゃないの?ねぇなにかんがえてる?どこにいるの。消えない疑問が脳を埋め尽くして呼吸も出来ない。名前さんなんでなの。
意識が遠ざかって行った。

目を覚ますと見慣れた医務室だった。

「傑、大丈夫?」
「さ、とる、迷惑かけたね…すまない」
「僕の方こそごめん。知ってたら元気な筈ないのに。軽率だった。」
「…いや、教えてくれてありがとう…名前さんが辞めた理由は聞いてる?」
「僕達も昨日夜蛾センから聞いただけだけど、理由も言わずに辞職届けだけ置いて居なくなったらしい。名前見かけたら教えろって言ってたよ」
「…そう。…ふ…ハハッ!」
「傑」
「彼女にとって私は話す価値もないその程度だったのか…ふふっ。」
「んな訳ねー!高専の時何回お前の事相談して来たか知らねぇだろ。アイツは好きでも無い男と付き合えるようなクズじゃねぇのは傑が一番分かってるだろうが」
「…」
「…名前何かあったんじゃないの。探してやれよ。僕も手伝うからさ。」
「…うん。そうだね。ありがとう」
「最強コンビが探すんだから、絶対見つかるよ」

悟のお陰で少し落ち着いた後、彼女のマンションへ向かう。卒業記念にどうせならと彼女が買った部屋。何軒も一緒に内覧に行った中の一つ。最上階の角部屋。貰っていた合鍵で部屋に入った。
綺麗に片付けられたモデルルームのような部屋は彼女の香りに包まれている。いつもと同じ筈なのに彼女がいないだけでこんなにも違って見える。キッチンにもリビングにも寝室にもどこにも居ない。
ドレッサーの横に飾られた二人の写真がふと目に入った。初めてのデート。クリスマスのイルミネーション。この部屋で引越し祝いをした日。心底幸せな顔をして写真におさまっている二人。誕生日を祝って貰ったの時の二人でケーキを持って笑っている写真。
寄り添って笑っているのに、何故隣に彼女がいない?何故、なぜ、どうして。

イルミネーションの隣に自分が笑っている写真があった。

「名前さん。こんな写真いつ撮ったの?」

目を細め笑っている自分。これは愛おしい彼女を見る時にする顔だとすぐに分かる。
初めて見る写真を思わず手に取る。
何かに導かれる様に写真を裏返した。

『傑。勝手に居なくなってごめんなさい。私は取り返しのつかない罪をおかしてしまいました。貴方の隣にいる資格なんてないの。傑。笑って幸せに生きて。傑に愛されている私は世界で一番幸せでした。ありがとう。ごめんなさい。』

ぽたり、と落ちた水滴で彼女の文字が滲む。
何が笑って幸せに、だ。名前が居ないと私は呼吸すら忘れてしまうのに。
何があったの?罪って?一緒に背負う事は出来なかったの?
震える指で文字を打った。
「会いたい」と送ったメッセージは静かなリビングで受信の音を鳴らす。
一人きりの部屋でただ立ちすくむ事しか出来なかった。







  
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