不器用なカレ 01.

私は、気が付けばもう彼を追いかけていた。目が、意識が、身体が。探して、見つけて、追いかけて、つかまえて。

初めは彼のことなんて嫌いだった。学校の中でもひと際異彩を放つ、王者立海大附属中学校テニス部。そこに所属している彼。

眼鏡をかけた紳士的な柳生くんとダブルスを組み、あらゆる技で相手を翻弄する。陽に輝く銀の髪をたなびかせ、決していいものとは言えないような異名で名を馳せている。

コート上のペテン師。それが彼の異名だ。女生徒が噂しているのを、嫌という程聞いてきた。

飄々としたその姿。そよ風に吹かれ、気持ち良さそうに木の上で昼寝をしているのを幾度となく見たことがある。

いつもどこかつまらなさそうに、それでいて面白そうに目を細めている。つかみどころのない彼。

言うなれば自由気ままな猫のようだ。決して誰かの言いなりにはならない。自分は自分、その意志に従うのは自分だけだと言っているかのように。

私はその不真面目とも見える態度が嫌いだった。関わりも持ちたくないと思っていたが、三年に進級し偶然にも同じクラスになってしまった。

そこで何事もないように今まで通り過ごしていたら良かったのだ。しかし私は、視界に入る彼をそのままにしておけなかった。



「こらっ!仁王、何してるの。」

「おっと。名字か。
見てわからんか?懐かしいのぅ、しゃぼん玉じゃ。」

「…それくらいわかるわよ。」



しれっと、悪びれもなく言う仁王に、怒りを通り越して呆れしか出てこない。仁王は教室の窓を開け、小さなボトルに入ったしゃぼん玉液を吹き具でふうっと吹いて遊んでいた。

仁王の吹いたしゃぼん玉は陽の光に輝き、風に乗って踊るように舞い上がっていく。彼はそれを見てご機嫌なようだった。

ケラケラと笑い何事もなかったかのように続ける仁王に、戻ってきた怒りが沸々とわき上がってくるのを感じた。



「何度言ったらわかるの!不要物は持ってこないで!」

「おお、風紀委員の名字はマジメじゃのぅ。こわいこわい。」



おどけたように仁王は目を見張って言った。けれどその口元は確かに笑っている。楽しんでいるのだ、私が必死になって注意しているのを。

本当に、何度このやり取りをしたことか。はじめは見るに見かねて注意をしたのだが、それでも収まる気配はなく、最近ではこれ見よがしに色々な物を持ち込んでいる。

スーパーボール、おもちゃのピストル、ピコピコハンマー、うさぎのぬいぐるみ、スコップ、不気味な箱、防塵マスク。

私も私で、そんな仁王のことを放っておけないのだ。毎回見かけては声をかけてしまう。最近ではその度にかかってきたというようにニヤニヤ笑われる。

そろそろ仁王のネタも尽きるかと思っていたが、彼の頭の引き出しの数は多いらしい。思ってもいなかったことを次々とやってくるのだ。

埒のあかないこのやり取り。私では役不足なのかと思ってしまう。彼の方が何枚も上手なのだ。



「……、っ…。」



口を一文字に引き結び、ぎゅっと拳を握った。

我慢ならないように震えてくる。それはバカにされているような気になるからか、自分への情けなさからか。

必死になって伝えていることが伝わらないのはもどかしく、辛いものだ。

顔を赤くしながら黙っていると、クラスの何人かが気にしたようにこちらを見始めた。またやってるよ、と何も言っていなくてもその目が語っている。私だって好きでこんなことしてるわけじゃない。

そのうち仁王と同じテニス部の、丸井くんが寄ってきた。私の顔を見てぎょっとしてから、ちらりと仁王に視線を移す。



「…仁王。それくらいにした方がいいんじゃないか?」

「ん?からかいすぎか?」

「見てるこっちが不憫になるぜ。」



それなら見てなくて注意してほしいものだ。口には出さないが、そっと心の中で毒づいておいた。

仁王はふっと笑ってからしゃぼん玉をしまい、両手をあげて肩を竦めた。ズボンのポケットに手を入れると、そこからまだ何枚かパッケージに入っている板ガムを取り出す。

フレッシュな青りんごのパッケージだった。緑色でグリーンアップルと書いてある。丸井くんが、おっと声をあげたのを確かに聞いた。



「名字。これやるから機嫌直しんしゃい。」



いかにも面白がっている仁王に、私はペットでも何でもないと言いたい。そんなガムだけで機嫌が直るほど単純なものではないのだ。

私はさらにむっと口を尖らせる。

それに仁王からのその誘いの手に、いい思い出なんかなかった。



「どうせちゃんとしたものじゃないもの。」

「今名字の目の前で出しただろ。」

「……ガムだって、学校では不要物。」

「そう言いなさんな。ブン太が泣く。」



仁王のことだ。そのガムにだって何かあるに違いない。そのつもりでいれば、仁王は私の言葉を楽しむかのように言い返してきた。

私たちの言葉のやり取りをラリーのように目で追っていた丸井くんはそろりと仁王に寄った。

そういえば丸井くんはいつもガムを噛んでいたような気がする。



「1枚もーらいっ!」



そう言って丸井くんは仁王の手から一枚板ガムを抜き取った。そのまま包装を剥がして口へ放り込めば、ふんわりとグリーンアップルの匂いが漂う。

本当に、何もないのだろうか?グリーンアップルなんて匂いだけで変な味だったりとか。膨らませて弾けると剥がれないだとか。

疑いの目を丸井くんに向けて、その様子をしばらく見ていたけど、丸井くんはご機嫌で何もおかしなところはなかった。

私はその目を仁王に移す。仁王はこちらを試すように見ていた。その挑発的な視線に、思わずどきりとしてしまう。

まるで度胸試しのように、私はその視線に誘われるがまま板ガムを掴み引き出した。



「……ッひ、!」



ぎゃあああぁぁああ!と色気のカケラもない悲鳴が口から飛び出した。クラスメイトがぎょっとしたように一斉に私を見る。

私は一心不乱に掴んだ板ガムを振り落とした。はたから見たら奇妙この上ないがそんなにも必死になるのにはそれなりに理由がある。

仁王の手から引き抜いた板ガムの、返しバネによる仕掛けが私の指に襲いかかってきたのだ。いわゆるパッチンガムというやつだが、その仕掛けが一段と意地の悪いものであった。

口に出すのもおぞましいあの虫が、黒くぬらりと気味悪く光る羽を持ったあの虫が、指を挟む先についていた。

今にも指を這い上がってきそうな勢いのその姿に、たまらず声を上げてしまったというわけだ。

仁王はそんな私の姿を見て大喜びで、大きな笑い声をあげていた。

丸井くんまでも可笑しそうに笑っている。庇ってくれていた手前あまり大きな声では笑えないのだろうが、それでもあんまりではないかと言いたくなるほどだった。



「っだ、大丈夫か、名字。」



ぷくく、と笑っているようなまま、引き攣った顔で丸井くんが声をかけてきた。

私の指から外れて床に落ちた仕掛けの板ガムを見れば、そこには貼りつけられたかのようなあの虫がいる。

見た目こそ本物のようだが、それは動きもせず飛びもしないただのオモチャだった。

私は夢中だったが、それがわかると荒い息を繰り返した。

丸井くんもガムを取ったことを考えると、丸井くんがそうすると仁王は見透かしていたのだ。それでも私に仕掛けが当たるように仕組んでいたのだろう。やはり、仁王の方が何枚も上手だった。

無意識のうちにポロッと目から何かが零れ落ちる。一粒落ちれば、あとはポロポロと何粒でも続いてくる。

それを見た仁王と丸井くんは驚いたように目を見張り、クラスメイトはあちゃーというように苦笑していた。



「…さ、……さ、っ!
真田さんに、言ってやるんだから…!」

「おっ、おい!名字!」



こんな時何も言えず、震える声でただ捨て台詞のように風紀委員長の名前を出した。委員長も仁王と同じテニス部で、副部長だったはずだ。

厳格で風紀委員長に相応しい人格のあの人には敵わない。ただ勝手に私が憧れているだけだけれど、真似をしたように注意をしても私の言うことは何一つ聞かないのだ、仁王は。

丸井くんは焦ったように私を呼び止めたが、私は振り返りもせずに教室から飛び出て行った。



「………。」



名前の足音が遠ざかり聞こえなくなった教室は、すっかり音が消えてしまったかのようだった。

教室内にいる人は互いに顔を見合わせ、その気まずさに口を噤んでいる。

仁王だけはクックッと含んだように笑っていた。静かな教室には、その仁王の声だけが響くように存在している。

丸井は気にしたように教室の外を見ようとしていた。名前が駆けて行った方を心配そうに見つめる。

ちらと仁王を見た後、丸井は決心を決めたように足を踏み出そうとした。



「…俺、名字の様子を、」

「駄目じゃ、ブン太。」

「な、なんだよ。」



追いかけようとした丸井を、仁王が呼び止めた。その瞳は真剣で、丸井は一瞬ドキリとしてしまう。

なぜ呼び止めるのだろう。丸井が訝しむように眉根を寄せると、仁王は真剣な瞳を細めて薄く笑った。

流れるような動作で仁王は丸井の前まで足を進め、その視線を合わせるように背を曲げる。口元こそは笑っているが、その瞳は丸井を見据えていた。



「あれは…名字は、俺のだよ。」



仁王は丸井にそう言い残すと言葉を失ったような丸井を尻目に教室から出て、名前の去って行った方へ向かっていった。

ざわりと教室の空気が揺れたような気持ちになったが、そのまま自然と普段のざわめきに戻っていく。

それでも動けない丸井は立ち竦んだままポツリと、詐欺師、と呟いた。

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